創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(577)クローン、プロードヴィッチの「小バウハウス」を語る

『DDBニュース』1974年2月号


クローン、ブロードヴッチを語る

彼の「小バウハウス」とでも呼ぶべき講義コースで育った多くの人が、のちに名をなしているのだ。


(これは、ヘルムート・クローン(右下写真)が1946〜47年のあいだにアレクセイ・ブロードヴィッチから学んだことについて話してくれと要請した英国のデザイン学生たちに対するスピーチ原稿である。
クローンは、ブロードヴィッチの「発明的」という言葉が意味することについて述べている。ぜひ、お読みいただきたい---編集長)



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ぼくがブロードヴィッチから学んだのは、ニューヨーク市が1946年から2年間開講した市民学級「ニュー・スクール」です。
このクラスは、現にデザイン分野に身を置いているプロフェショナルの人たちを対象としていて、「グラフィック・ジャーナリズム」という講座名でした。


この講座で学んだ人たちの中から、その後、いかに多くが有名になって活躍しているかは、驚くほどです。写真家のリチャード・アヴェドン、DDBのA/Dとして同僚であるボブ・ゲイジ、『エスカイヤ』誌や『ハーパース・バザー』誌のA/Dをやったヘンリー・ウルフなどがそうです。


ぼくたちにとって、講義内容は、いってみれば「小バウハウス」でした。


ぼくたちが家でやってきた課題を、ブロードヴィッチは、クラスで講評してくれたのです。
そして、講評とやりとりのあとで、次の週の課題をだしました。
彼が期待したものは、新鮮な思考を生かす細心の技法でした。


ぼくがこの師から学んだもっとも大きなものは、絵、写真、タイポおよびグラフィックデザインに関して「発明的」という言葉の本当の意味でした。
ブロードヴィッチは、定型というものを嫌っていました。


提出課題は、なんで表現してもいいきまりでした。
彫刻であれ、絵画であれ、広告だってO.K.でした。


課題の一例をあげると「ニューヨーク」なんてのもありましたよ。
ぼくは、升目をつくって、そこへニューヨークの群集の写真を貼りこんだのを提出。
(少略)
いまはイラストレイターとして名をなしているビル・シャーメッツが提出した「ニューヨーク」って作品は、こうでした。


ブロードヴィッチ講評が終わったところで、教壇へ上がってゆき、師の机の上に2個のレンガを10cm離して並べ、その中間にバラの花をおきました。そうしておいて、やおら、レンガを引き寄せ、花をつぶしてしまいました。
見守ったブロードヴィッチ先生は、いたく喜び、
「凄い」 「すばらしい作品だ」


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知友の masa さんのブログ、kai-wai散策 へのコメントに、アヴェドンのパリの写真があったので---。
ニューヨークの写真ではないけれど、拝借。


http://www.richardavedon.com/#s=18&a=1&mi=2&pt=1&pi=10000&p=0&at=0


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