(572)「もう---」と「まだ---」比べ
シーヴァス・リーガルのシリーズを紹介した1年と3ヶ月ほど前、たしか、米国での「もう---」と「まだ---」の日本版がしばらく出稿されていたなあ、とキリンの「お客さまセンター」へ電話で問い合わせて、不発に終わったことがあった。
書庫で偶然、季刊『太陽コレクション 士農工商 農民』(1979.5.25発行)
を手にとってみたら、表紙裏(表2)に下の広告があった。
米国では同じ視角のものが1975.5.26の『ニューヨーカー』に掲載されているから、米国版を下敷き(?)にして制作されたものであろあか。あるいは、ポジ・フィルムをDDBから取り寄せたか。
日本版の広告制作におかかわりになったクリエイターがご生存であれば、ぜひ、コメントして教えていただけるとありがたい。
両者を比べると、キャップに封印されている通関済みのシールが日本版のボトルにはないこと、中身は半分に減っているのに、日本版のキャップは開栓の痕跡が薄いことなど、同じ写真といえない点がある。
色調の違いは、日米の印刷技術の違いかもしれない。
30年前の値段は8,500円、いまだと3,000円しない。税率が大きく下がったことと、円の実力があがったこともある。
もう半分も飲んだのか、と主人側。
まだ、半分もあるじゃない、と客。
1975.5.26 『ニューヨーカー』
To the host it's half empty.
To the guest it's half full.
”New Yorker" May 26, 1975
A/D Charles Gennarelli
C/W Larry Levenson
上のアイデアは、5年前のアイデアを、よりシンプルに、より直裁に昇華させている。DDB内でも、チ−ムが替われば、前のチームのアイデアを踏み台にするということである。
こちらの瓶は半分 こちらの瓶は半分 しか残ってない も残っている
もしこれがあなたの瓶だとなると、あなたは、
多分、半分しかのこっていないと感じる。
しかるに、友人宅を訪れて、その瓶が同じ状態だと、
あなたは、まだ半分も残っていると安心する。
1970.9.26『ニューヨーカー』