創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(418)ジュリアン・ケーニグ氏のスピーチ(2−1)

この年(1966)、ケーニグ氏はコピーライターたちの団体から「名誉の伝堂入り」を指名されました。オグルビー氏やバーンバック氏につづいての氏名でした。これは、授賞返礼のスピーチです。前回の同団体へのスピーチから6年目の第2回目のそれでした。(ケーニグ氏の近影)



   パパート・ケーニグ・ロイス(PKL)社社長

   1966年4月19日 全米広告ライターズ協会


誠実こそ、最高の武器



広告賞の罪

飼主の手をかむことをお許しください.
「不良品」とか「小さいことが理想」などを含むフォルクスワーゲンの広告が初めて出た1959年に、仲間の広告人たちは、その年の最優秀キャンペーンとしてルノーを選びました。


(Think smallの訳文)     (Lemonの訳文


ルノーは多色タイプと風船を使って、しごくフランス的なもので、みんなを華やいだ気分にさせました。(1959.7.4『ライフ』誌掲載)


一方、VWはみんなの考え方をしっかりしたものにしました。
広告人である審査員たちをごまかすのは簡単でした。
でも消費者というのは、もっとずっと手に負えないものです。
このときからです、私にとって好きなコンテストは、自分が賞を得たものだけになったのは・・・。
それは、もう、私が参加する必要がなくなるように思えたからでしょう。
人びとと仲よくはなっても、セールスをだめにしてしまう広告がありますが、そういった広告でも決して低く評価するべきではないでしょう。


古い例ですが、バートとハリーのピールス・ビールがあります。
コンテストでは何回もまつりあげられたキャンペーンです。
8年がたちました。
みんながこの広告を気に入っていました。
でもこのビールが好きな人は、だれもいませんでした。
みなさんも、このビールはひどく悪質なビールと考えていらっしゃるでしょう。
でも、目隠しテストをすると、ビールスは上位の部にはいるんですよ。
人びとは、心で味わって、口では味わおうとしないんですね。
あげくの果ては、バートとハリーのおかげで、ビールス・ビールは漫画ビールになってしまいました。
PKLの仕事は、このピールス・ビールをマジソン街から三番衝に移すことでした。
私たちがどんなふうにとりかかったか、お見せしましょう。
(「プレスリン」のコマーシャル〔ヘラルド・トリビューン紙のコラムニストであるプレスリン氏の世間話をテーマにしたピールス・ビールのコシャル
レスリンがバートとハリーよりも結果は悪かったとおわかりになれば、あなたがたはいい気持でしょう。
つまりあなたがたは、プレスリンアイルランド風漫画よりも良くも悪くもないという、私の主張を支持していらっしゃるわけです。
つまり、広告人は、自分たちをごまかすのに喜びを見いだしているのです。
けれど根本的に問題となるのは、その商品に自分のお金を払ってくれる人たちの意見なのです。


昨年、ロッサー・リーブス氏(テッド・ペイツ社会長)がきびしく、質問をしました。
それに対して、私はまだ最終的な答えを開いていません。
氏は私たちに、どうして売れる広告に賞を与えないのか」教えてほしがっていました。
・・・売るということが「広告というものの目的ならば」というのです。
氏はエイジャックス(粉石けん)のキャンペーンを例にとりました。
このキャンペーンのおかげで、この製品は世に出まわり、競争の激しい洗浄剤市場での株価を4ポイント(4ドル)もあげることができたのです。
りっばなものです。


また氏はこんなことも尋ねました。
「"彼女は使っているでしょうか、それとも---"はあの基本的なアイデアのおかげで偉大なる業績を果たしたのに、なぜあなたがたに認めてもらえなかったのか?」
シャーリー ・ポリコは、私の大好きなヒロインなので、私も同じ質問をくり返したいと思います。
コピーやアート、テレビなどのコンテストが急増していますが、その審査がなかなか鼻をきかすことができない見解、つまり、その広告がある商品を売ったかどうか(あるは、もっと重要なのだが、何かを売ることができたかどうか)によらないで、個人的な審美眼に基づいているというのが現状なのです。
また、ドリスタン(アレルギー専用薬)やアナシン(鎮痛剤)などのキャンペーンを思い出します。
これらは広告人には、最低のキャンペーン・・・ときめつけられました。
でもホワイトホール(ドリスタンの会社)、アメリカン・ホーム(アナシンの製薬会社) の人たちは、ニコニコ笑いながら銀行通いをしたものです。
ですから、私たちはまちがったことをしているに違いありません。
私たちは一方の手に、醜く、キイキイいう耳ぎわりなイライラする広告を持っています。
でもこれは、時にはうるさいぐらいの効果をもつ広告で、たくさんの商品を売ります。
そしてもう一方の手には、勇敢で、学があり、魅力的で、みごとな広告を持っています。
でもこれは、時には許しがたい罪、審査員にしか売れないという罪をつくります。


例をあげてみましょうか?
ティング(足のムレ止め)の30秒コマーシャルをお見せしましょう。私の好きなコマーシャルの一つです。
(「ティング」を映写)
これはコンテストでは、優秀なできでした。でも売ることはできませんでした。
PKLでつくったものだからよくわかっています、
今年の最終予選で残された作品の中から、フレッシュ(わきが止め。PKLからDDBへ移動)のコマーシャルを例にとっても同じことが言えます。
私はDDBにはその余裕があると思いますので、DDBのアラさがしだけをします。
このフレッシュのコマーシャル(DDBの作品だが販売成績はよくなかった)と、それに匹敵しうるシークレット(わきが止め)のコマーシャルと比較してみて、どちらがたくさんのわきが止めを売ったか考えてみてください。
あなたのわきの下に訊いてみてごらんなさい。
汗がにじんできませんか?
でも私は、醜くって、耳ぎわりで、イライラする広告を弁護しているのではありません。
私はほめたてることは好きではありません。
欺瞞も好きではありません。
最小公分母をめざす広告は、好きではありません。
たいへんありふれたものになってしまいがちですからです。


>>(2-2)に続く