創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

ランジュ・ド・メゾン


chuukyuのおまけ】オフィスでやっているクリエイティブ・センス・アップ・ミーティング---きのうは、特別の部で、終業後6時から45分、日本になかったコンセプト---ランジュ・ド・メゾンについて、ポルトー(D.Porthault)製の金刺繍の12人掛け用大判テーブルクロスなどを持ち込んで実物講義。内容は、拙著『知的女性のためのエレガンス商品学』(鎌倉書房 1977.3.30)のあとがきでご推察を。


あとがき


この(1976年)秋、パリヘ行ったついでに、モンターニュ街の店でシーツとかタオルとかテーブルクロスなどを売っているポルドー社のエ場を見学しました。
 工場はパリから150kmほど北、ベルギー国境に近いリール県の田舎町カンブレの町はずれにあります。
運転してくれたのはアラン・ポルトー2代目社長で、テヘラン出張から昨夜帰ってきたばかりというのに「天候が悪くて自家用機で飛べなくて申しわけない」を連発しながら、同行のパリ育ちのゴルペスト嬢(---といっても若くはない)とあれこれ話しています。
で、ゴルベスト嬢が、
「ランジュ・ド・メゾンってフランス語を知っていますか?」
知らないと答えると、タオル、バスマット、手袋(これで体を洗う)などの浴室まわりのもの、シーツ、ベッドカバー、枕カバーといった寝室用品、テーブルクロス、ナプキンなどの食卓用の布類のことだと説明されました。


なるほど、フランス語の辞書を見ますと、
・linge---リネンノ布地
・lingé---白布ノ備エテアル
とあります。


要するに「家庭内に備えるべき白布」といったほどの意味でしょうか。
その後、ミラノでクレメンティ夫人から、イタリア語だと「ビャンケリーヤ bianchenaj」がそれにあたると教えられました。
ビャンコが「白い」ですから、ビャンケリーヤは「白布」でしょうね。
ゴルベスト嬢とボルドー社長は、フランスでは、ランジュ・ド・メゾンの揃え方については、学校の「エコノミ・ドメスティク(家庭科)」の時間で教えるし、母親も娘に伝えるとか、中世紀ごろの豊かだったフランドル地方で生まれた言葉だとか、上流家庭になればなるほど自宅への招待は大切な行事なのだから、家庭内のそういった小物にまで主婦の洗練さが及ばなければいけないのだ・・・とかと交互に説明してくれました。
戦後、「白布」は色物や柄物に変わってきたわけで、よけいに主婦のセンスが問われるのでしょう。
それで、ふと気がついたのですが、私たちは、いろんなモノをヨーローハからとり入れているのに、ランジュ・ド・メソンのような生活の基本的な考え方については、存外関心を払っていないのではないでしょうか。
急ぎ足だった世の中も落ちついてくるようですから、もういちど根本に帰って、モノと生活のかかわりあいを考えなおしてみるのもおもしろい・・・と思って本書をまとめてみました。
原稿は、マダム誌の坂口元編集長と小島弘子さん・原田英子さんにせっつかれ・せっつかれながら1年半連載した同題の『エレガンス商品学』に大幅な手を入れたものです。
久里洋二さんのイラスレイション、森本宏さんの写真はなるべくそのまま転載させていただき、連載中もお世話になった松本達さんの腕をふたたび借りました。