創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(416)ジュリアン・ケーニグ氏のスピーチ(1)


1960年のあのころ、マジソン街には、熱風が吹きあれていた。くだらない広告に飽き飽きし、自分の才能を信じて自分流の広告代理店を設立するという---革新の熱風が。
そのなかでも、もっとも温度の高かったのが、PKLであった。なにしろ、彼らは30代であった。
失うものは少なかった。目標だけは高かった。

 
  パパート・ケーニグ・ロイス(PKL)社社長
  1961年11月9日 全米広告ライターズ・クラブで。

巨額の広告予算よりも強烈な効果を(1)




何か話してくれるようにと招かれて私がお受けしたのは、これが初めてです。しかし何か重大な発表をしようというのではありません。
みなさんがコピーライターであり、昨年私に金の鍵をくださった方々であり、私自身もまたコピーライターですから、ここに立ったのです。
これから私は、これまで私に投げかけられてきた質問になんらかの見解を申しあげ、そしてあなたがたぶん興味をお持ちのことについての雑感を述べようというのです。


1.なぜ私がジョージ・ロイスとともにDDBを辞めて、ブレッド・パパートと組んで代理店を始めたか?


私がクレージーだったからです。
結局、当時私もロイスも、広告で最上の仕事をしていたのですから、私たちのとった行動は論理的にはあわないことでした。


(Think smallの訳文)     (Lemonの訳文

私たちは、1ヶ月もたたないうちに破産宣告を受けるところでした。
しかし、そうはなりませんでした。
今から22ヶ月前の1960年1月には、わずかひとつのそれも不確かな25万ドルのアカウントしか持っていませんでした。
現在では、1,600万ドルにのぼる17のアカウントを持っています。
そこで、あなたに申しあげたいのは、こうです。
もし今みなさんがなさっている仕事が好きなのでしたら、会社を辞めて、広告代理店をお始めなさい。


2. 私たちの創造哲学


ロッサー・リーブスは創造哲学を持ち、その創造哲学は成功しています。
オグルビーも創造哲学を持ち、明確に箇条書きになっています。
私たちの創造哲学は? 何もありません。
広告をつくることが私たちのすべてです。


3. 何千万ドルという広告予算


私は、大金消費者に対して反感を全く持っていません。
実際、私は彼らが好きです。
私たちのクライアントが、私たちに説明の要求をしないでくれて、成功を分け与えてくれるほうが。どちらかといえば好きです.しかし,100万ドル単位の広告予算のために,いい広告が犠牲となっていることが多いのです。広告主が効果を手に入れるためには、キャンペーンという累積のインパクトを持たなければならない、とはあまりにもよく聞くところですが、ナンセンスです。
私たちがつくろうという広告は、すぐに効果をもたらす広告です。
たとえだれかが「これは今まで見たうちでも最低の広告だ」とお書きになるような広告であったにしてもです。
実際を申しあげて、私たちの広告で最初に効果を示したのは『レイディース・ホーム・ジャーナル』誌のための「お姑さん」でした。私たちはかなり皮肉な書き方をしましたが、人びとは強烈な反応を示しました。
人びとは各自の姑との関係によって、それを好んだり、好まなかったりしました。
しかしジャーナル誌の広告部長も言ったように「少なくとも、ここ何年かのうち人びとから反応を受けたのはこれが初めて」だったのです。
私は人びとが注目してくれ、反応を示してくれる広告をつくりたいのです。
私は、人びとを熱中させたいのです。
もしクライアントが「これはだれかの感情を害することになるな」と言えば、「アイゼンハワー嫌いな人だっているんですからね」と私は答えます。
生きているかぎり、だれかの感情を害したことはあるはず。
もっとも、生きていらっしゃらないのでしたら、そういうこともないでしょうが。
裏返せば、だれかの感情を害しているときには、他の人びとの心を動かし、陽気にさせつつあるということです。
もし、コピー調査にこの広告は出すべきかそうではないかをひとつひとつ決めさせていた日には、商売がなりたたなくなります。
もしその広告を嫌っている人はいない、とコピー・リサーチの結果がでたら、私はその広告を見るまでもなく、「その広告は出すな」といいます。
そんな広告は毒にも薬にもならない、浪費にすぎません。
私たちが広告をつくるときには、他人のお金を使うのですから、十分に注意をはらいます。
つまりは、ライフ誌に広告をのせれば、その広告が見られようと見られまいと、同じだけの金がかかるのです。
つまらない広告を無視することにかけては、人びとはみごとな能力をもっています。
ほんとうに経済的なのは、クライアントの広告費の最良の使い方は・・・人びとの注目をあつめる広告をつくるということです。


4.創造性


今日、創造性という名前をかりて、ごまかして通用させようという広告がたくさん出はじめています。
コピーライターの巧妙さを見せるだけで、商品の長所を見せられない広告には弁解の余地はありません。
雑誌や新聞やテレビは、創造性を仮装した気のきいたはったりでいっぱいです。
私は、最近リチャード・マノフ代理店が、新しいアカウントを手に入れるために、他社と同じくらい同社もうまい広告ができるということを示そうと、いわゆるクレバーな創造的広告というヤツをいくつもつくったのを見ました。(ある商品をDDB流、オグルビー風---と5つの個性のある代理店のやり方を真似てつくった。
けれどそれは、他社とも同じくらい悪い広告をつくりますといったシロモノばかりでした。
たとえユニーク・セリング・プロポジション(ロッサー・リーブスの理論)と呼ぶにせよ、他の呼び方にせよ、広告とは商品についてのアイデアです。
商品についてのユニークなアイデアに根ざしていない広告は広告ではなくて自己陶酔にすぎません。
創造性とは何か? その人独特のアイデアをとりあげ、それを単純で直接的で刺激的に表現することです。
それにはコピーでいっぱいの広告が要求されることもあります。
もしその商品に理にかなったニュースがあれば、それを述べるのがよろしい。もし商品にニュースが何もない
ときには、ショーマンシップでいくのです。


>>(2)

【参考】『レイディース・ホーム・ジャーナル』誌の反響のあった広告



お姑さんが息子をはなさなかったら、妻はどうしたらいいのでしょう? 夫を分かち合うべきか? 彼のもとを去るべきか? 実家へもどるべきか?
レイディース・ホーム・ジャーナル2月号に「この結婚は再びうまくゆくだろうか」を掲載、両親を一時的には憤らせても、大きな子どもが結婚生活をよりうまく対処できるようになる真の状態を述べました。ジャーナルのこのような特別記事は、世代の壁をくずすのに役立っています。
10代、20代の若い女性にはそれなりの意見があり、分別ざかりの婦人にはまたそれなりの意見があるものです。
しかし、彼女たちの一心不乱さ、自分たちのその間題に関しての利害関係に対する感情は同等です。
女性が気にかけていることの核心をジャーナルがつかんでいるからこそ、愛情問題の権威としての地位をジャーナルは楽しんでいるのです。
ただ見るだけの発行物とは違うのです。ジャーナルは読み、切り抜き、引用し、よくよく考えるためにあります。
編集者たちも投書を受けるためにいるみたいなもの。掲載広告も研究されるためにあります。個々に個人的にジャーナルを読んでいただくのは、読者にも広告主にとっても他誌には見られないほど価値のあることなのです。だから年々ジャーナルが女性に深く親しまれるようになり、生活上欠かすことができなくなってきているのです。
だから、毎年レイディース・ホーム・ジャーナルはNo.1の女性誌であり、発行部数でも、店頭販売数でも、広告でもNo.1なんです。


>>(2)へ続く