創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(139)レオン・メドウ氏とのインタヴュー(8)

    (Mr. Leon Meadow Vice-President, Administrator Copy Dept. DDB

6分間は5分より長く、10分より短い、1時間の10分の1です、読むのは6分。しかしいつか、この道草について60分考えることになります。あるいは6日間…


レオン・メドウ氏とのインタヴュー
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広告は科学ではなくて、アートである


chuukyuuバーンバックさんがあなたに話したことの中で最も印象的だった言葉は?」
メドウバーンバックさんの言葉や広告に関する方法論には学ぶべきものがたくさんあって、特に何かを選びだしてみることは難しいんですが---。
まあ、強いていうならば、バーンバックさんの広告に対する感知力は、非常に鋭いと思います。
バーンバックさんが広告というものをいかにとらえているかということですが、バーンバックさんは、『広告は、ひとつの説得である。そして説得というのは科学ではないんだ、科学ではなくて、それはアートである。ひとつの技術である』ということを言っています。あの方の哲学の中で、非常に印象深く残っている言葉です」
chuukyuu「その言葉に特に共感なさる理由(わけ)を話してください」
メドウ「なぜかといいますと、バーンバックさんは最新の調査というもの、調査技術というもの、これを実にうまく採りいれているわけです。採りいれるといっても、それはあくまで、ひとつの道具としてであって、広告をつくるというプロセスに対するひとつの道具に過ぎないのです。
広告が成功するためには、説得力を持たなければならないわけですが、もしそれを認めるとすれば、それに対しては、広告は非常にクリエイティブなものでなければなりませんね。
ですから、どんな大量の調査、そして科学的な技術というものがあったとしても、また、いかに人を説得するかという技術を科学的なほうセ方で教えるとしても、しょせんは、説得というものは感情的なものとの組み合わせなのです。
そこには、感情、論理、あるいは非論理的なものが組み合わされてくるものであって、大部分については、説得というものは、個人個人の間のコミュニケーションなんですね。
ですから、こういう説得は、決して科学、または科学的だといえるものではにくて、これは、やっぱり、アート、更には技術と呼ばれるべきものだと思います」

メドウ氏が監督したフランス政府観光局の雑誌広告の例


スージーが何者であるか知っていたら
オーオーオー!
なんという素敵な女性でしょう!

スージー・ソリディエは、画家たちにとても大きな力を持っていました。1930年代のパリの歌手であった彼女は、一流どころのすべての画家によって描かれました。ピカソコクトー、それにスーラなどもいました。彼女を子どものように見る人もいましたし、バラのつぼみもしぼんでしまうほど美しい---と見る人もいました。
たぐいまれなコレクションのすべては、ニースやカンヌの近くオー・ド・カーシュにある中世の城の地下室にある彼女のナイトクラブにかけられています。彼女は今でもそこで歌っています。闘牛のケープをまとって年季の入ったサビのある声で。あなたがまで典型的なフランスの[地下室]へ行って、一人の歌手のすばらしいウィットを楽しんだことがないのでしたら、フランスへ旅してみる価値があります。というのは、パリ・オペラの華麗さやパリ劇場の洗練されたムードと同じように、そこにはフランスの歌手の特別の味わいがあるからです。まったくのところ、太陽がしずむんで灯のともるころ、フランスは本領を発揮しだすのです。



ここはとても色彩の豊かな町です。
ですから、少女は黒くではなく、赤く汚れるのです。

これから私たちは、この世の中であなたが一番満足できるところへご案内します。
アヴィニョンの東35マイルの丘の上にある、朽ち果てた左官のたて板のような家がつづく村---ルシヨンまでお連れするのです。とても小さな村です。これまで旅行者が行ったことのない村です。けれど、とてもたくさんの芸術家がはるばるここを見にやってくるのです。なぜならルシヨンは全くすべてが赤だからです。家も屋根も道も、そしてほこりも。子どもまでが。
ルシヨンは不思議なところです。プロヴアンスのほかのすべてと同じように。ピカソの目には青く、マチスにはオークルに、ゴッホにさえ数マイルごとに金に映ったのです。
フランスの印象派の画家たちはプロヴァンスに定住したわけです。ここは、絵画たちも住みたくなるような土地なんです。感受性の強い方なら、ぜひ、ここへいらっしゃってください。


つづく