創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(105)ポーラ・グリーン夫人とのインタヴュー(4)

(DDB, Vice President, Management Creative Supervisor)

(既自著の前書きから)英文をつける---これはたいへんな作業になった。テープから文章化し、それを24人に送って校閲を求めることになったのだから。しかも、彼らのほとんどは、大幅な加筆。削除をしてきた。それによって、自由奔放な語り口のおもしろさが減じた場合もあった。ぼくは、日本文にはあっても英文にはなし---を決行することにした。


英文を附したことが、このブログに幸いしたともいえる。英文をつけているので、ほとんどの国のクリエイターたちに読んでもらえている。刊行時に手間を惜しまないでよかった。


インタヴューをしたのは24人。『みごとなコピーライター』誠文堂新光社 ブレーンシリーズ 1969.7.15)と続編『劇的なコピーライター』 (同 1971.3.10)に分載した。
刊行時の価格は、前書が1300円、後書が1800円。いまなら、この3倍だ。


収録したうち5人はすでに紹介ずみ。ポーラ・グリーン夫人は6人目(もっとも、この順番にはなんの企みもない)。


ポーラ・グリーン夫人とのインタヴュー(1) (2) (3)

ライターと広告代理店の雰囲気


chuukyuu「コピーライターにとってのDDBの雰囲気を話してください」


グリーン「たぶん、DDBは最高の雰囲気を持っているところのひとつじゃないかと思うわ。というのは、上の人たち、経営者の人たちの雰囲気が、そのまま下へ伝わってきているのね。一言でいえば、率直開放的なことです。
若い人を育てあげる雰囲気を持っていますが、それはどういう形でかといいますと、決してひとつの統一したものにまとめようとしないことです。上の人たちが、自分なら書くだろう、だからあなたもこうやりなさい、と下の者にら言うんじゃなくて、だれもが、自分のベストさえ尽せばいいのね。
だから、対応性、それぞれに変化があるということちがむしろ望まれます。 とにかく、本人が自分のベストを尽くせばいい、ということなんです。
たとえば、あるクライアントが、あるクリエイティブな人のアイデアを買わなかったからといって、それでもう罰をくうようなことは決してありません。ですから、そこに流れているものは、精神的その他の報酬と、責任、この2つのが基礎の要求としてあるわけなんです。
DDBは、非常にユニークな場所だと思いますよ。というのは、この会社をつくった人たちが非常にユニークだったからですね。この雰囲気っていうのは、下から生まれてくるんじゃなくて、上から生まれてきて、それで下のほうへ伝わってきているものなのです。
こういう会社というのは、上の人があるていど自由を与えてくれなければ、下の者は伸びようがないわけなんです。普通は、上の人たちの与えた枠の範囲内でしか伸びられないものですけれど、ここでは、上の人たちは下の者をできるだけ自由に、良い仕事ができるように伸ばしてくれます。
わたしは、ほかに2つぐらいの広告代理店で働いたことがありますが、よその代理店に比べて、やっぱり、ここがいちばんいいとおもうわ。
外部の人たちの話を聞きましても、だいたい代理店というのは、だんだん大きくなるにつれて、アカウントも大きくなり、そのアカウントを失うことは、すべてに臆病になり、クライアントのわがままを許すことになり、働く人びとをくさらせてしまいがちです。
しかし、それを保身主義と攻撃するのはやさしいのですが、直すのは困難です。


chuukyuu「才能のあるコピーライターであれば、どんな広告代理店にいてもよい仕事ができるでしょうか?」


グリーン「いいえ。雰囲気の悪い代理店だと、コピーライターにどんな才能があっても、よい仕事はできないと思うの。代理店が与える自由の許容度の範囲の中でしか仕事ができませんもの。
まあ、コピーライターとアートディレクターの場合、雰囲気の悪い代理店だと、その代理店の設定した要件だけはみたすかもしれないないけれど、必ずしもそれが彼のベストの仕事じゃないということがあるんですね。これでは、すごくフラストレーションを感じます。
何か自分のできることがありながらできない、やらしてもらえない、それはある場合にはクライアント側からの圧力、あるいは代理店の会社としての立場からの圧力、という理由もありますが、そのために、やれる能力を持っていてもやらしてもらえない、などということが起こります。この時、そういうことがわかっていながらそこにいるというのは、非常に欲求不満を感じさせるもとです。
もちろん、いろいろ環境によっては、ある程度の制約は当然あることです。これは仕方がないことですね。
そこで、私たちが新人を採用するような場合には、いままで本人が自分のアイデアとして、あるいは自分の仕事としてやってみたけれど、それが受け入れられなかった、というようなものがあったらそれを見せてください、と言って、そういうものを基準にして才能を評価します。こうすると、やれば彼はどんなことができたか、などということの予測ができるものです。
ところでコピーライティングという言葉なんですけれど、これは非常によくない、表現が適切でないと思うんです。
まず第一に、「考える人」でなきゃあならない。私たちは、いかにして商品を売るかということに対して、考える人でなくてはなりません。
その次の段階に、初めてコピーライティングということがくるのです。アイデアを言葉に表すという段階です。コピーライティングの仕事をやろうという人たちの中でも、多くの人がとにかく頭がよくって、言葉を巧みに使えばも、それでいいんじゃないかとと思っているようですが、そうじゃないんですね。
私たちの唯一の目的は、売ることなのです。ですから、まずいちばん初めにセールスマンでなければなりません。ひれには、マーチャンダイジングに関する広範な知識と、セールスのコンセプトを持っていなければなりません。また、くぐれた心理的な洞察、動機づけ、こういったもらも持っていなければなりません。
それで初めて、言葉を使うという段になって、コピーライターということになってくるのわけなんです。
多くの人は誤った観念を持っていて、何か書ければ、言葉をうまくあやつれれば、それでもう広告の文章は書けるんだと考えているかもしれませんが、わたしは、これは間違っていると思います」

ポーラ・グリーン夫人の名前を広告界に残すことになったエイビス・シリーズだが、この作品が彼女の手になったものかどうかは未詳。


A copy of this ad is going into every Avis pay envelope.
この広告のコピーは、
エイビス全員の
給与袋に入っています。

この国の人びとは、広告が言ってることをまるまる信じるわけではなくなってきています。
どうしてそうなってしまったか。
このごろの広告の多くには、製品はお客さまの期待どおりの結果にいつもなるとは限りません式の言い訳が、大なり小なりついているからです。
エイビスだって、時として、例外ではありません。
ぴっかぴかのプリマスの新車でも、トランクに泥があったり、スペア・タイアの空気が抜けていれば、エイビスの広告がウソになってしまいますからね。
私たちは、この国のすべての広告を監視することはできません。ですが、自分たちの広告に恥じない行動をとることはできます。
次に出す広告では、2分以内に書き終えられる貸出票書式になることを宣言します。
受付の女性たち、大丈夫だよね、しっかり練習したんだから。
さあ、エイビスが広告どおりかどうか、お試しください。

           (訳:染川優太 & chuukyuu)


ポーラ・グリーン夫人との、もう一つのインタヴュー記録。
いわゆる「DDBルック」を語る(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (了)


これまでにアーカイブしたエイビス・キャンペーン
DDBの広告]エイビス(01) (02) (03) (04) (05) (06) (07)