創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

03-10 コピーを短く!

バーンバック氏と共にDDBを創立したロビンソン夫人については、すでに幾度か紹介しましたが、彼女は同じ質問に対して、少し違った答をしました。

「『コピーを短く!』です。そもそも、バーンバックさんといっしょに仕事を始めたころは、全くの新人ライターだったのです。
そのころ、彼はいろんなことを私に教えてくれました。時には、私の書いたコピーをじっとながめてから、『すごくいいね。でも、ここかrた始めたほうがいいんじゃないかな。初めのパラグラフをとってごらん』といいながら協力してくれました。

私も若いライターと同じように、ついつい自分の言葉に陶酔し、長すぎるコピーを書いてしまって、手も足も出なくなるとういうことがしばしばありました。
彼が私を助けてくれた理由は、どうやらこのへんにあるらしいのですが・・・」
ロビンソン夫人は、どうもこういう人のようです。
ロビンソン夫人に指導を受けたローゼンフェルド氏との一問一答を、今思い出してみて、思い当たります。
chuukyuu「ロビンソン夫人は、あなたをどのように指導してくれましたか?」
ローゼンフェルド「彼女は、私の書いたコピーの全部に目を通してくれ、単調な時にはどこが悪いか指摘してくれたり、言葉使いなども治してくれました。
私にとって、彼女は非常に助けになりました。
また、彼女の作品を読むことも、私には大変勉強になりました」
chuukyuu「今のあなたの指導法は?」
ローゼンフェルド「(デイブ)ライダー氏、ロビンソン夫人が私に教えてくれたのと同じような方法を採っています。
若い人の作品を読んでみて、決まり切った言葉とか弱い表現、面白くない表現があったら、よりよい言い方をすすめるようにしています。
特に私はリズムということを強調します。どんなコピーでもそこにはリズムがあります。こわしてはいけないものです。

で、彼らと意見が違う時には、彼らの意見に耳を傾けます。

こうして、私も彼らから学ぶし、彼らも私から学ぶのです。結局これが教える側にもプラスになるわけですね」

もっとも、ロビンソン夫人、ローゼンフェルド氏の二人は、DDBの中でも、特に文章にうるさいコピーライターですから、バーンバック氏の文章家の一面を強く受け継いでいるのかもしれません。
二人の英文は、美しいことで有名です。

しかし、こういったことを、立場を替えて、バーンバック氏の側からいうと、どういうことになるのでしょうか?

「私は、社員を拘束し、押しつけるだけの実務家とは違います。私はこの仕事についてかなりよく知っているつもりですが、いまでも私は、彼らに自分の個性を押しつけてはいません。
私が見つけようと思っているのは、彼らの個性はなんであるか、ということ、そしてそれを育てることです。

ですから、私は、この会社にすばらしく深いタレントの層をもっているのです。
すばらしく広く、変化に富んだタレントを。
なぜなら私たちは、自分たちの個性を社員に押しつけなかったからです。
むしろ、なにか変わった目立つものをさがしてきました。

非常にユーモアに秀でている人がいます。生まれつきユーモアに対する感覚が鋭い人です。

また、非常にすばやく、ストレートに問題の核心にはいっていける人もいます。

彼らはまったく異なった人です。
おのおのの人の個性を効果的に生かせる仕事に向けるべきです。
ユーモアの得意な人に、彼のできないような仕事をやらせるのは私が間違っているのです。
これは大事なことです。
その人の個性派なんであるかを発見し、それを育てなければなりません。
すべての人におなじことをやらせ、みんなを退屈させてしまってはいけません」(注・東京コピーライターズクラブ編『5人の広告作家』誠文堂新光社

個性を育てるということは、とりもなおさず、各人の主体性を認めることであり、自由を与えることでしょう。
自由についていえば、バーンバック氏は、日本での講演を、次のような言葉で結びました。
「みなさんに繰り返して強く申し上げたい。みなさんの会社のクリエイティブ部門の人たちに自由を与えてあげてください。数字では人々が感じ取るような広告はできないのです」(注・前出『日経広告手帖』)
この言葉は、この講演を聞いた多くの制作関係者の胸を打ちました。
けれども、その後、クリエイティブ部門の人たちが望んでいる自由についての論議は、日本の広告界ではほとんどなされなかったといってもいいでしょう。