創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(420)ジュリアン・ケーニグ氏のスピーチ(2−3)

コミュニケーション・ツールの発展はすごいですね。ケーニグ氏のこのスピーチ草稿は、もちろん、ぼくの要請により、氏の秘書からタイプ打ちのもののコピーが郵送されてきました(いまなら、一瞬のうちに電子メールで届くでしょう)。受け取ったぼくは、「白い騎士」や「バーナム」など、きょう( )を挿入した事項について質問状をおくり、またも秘書からの返報を俟って、アルバイトに来ていた三瀬日出男くんに渡してファイルしてもらいました。三瀬くんは、コピーライター志望のR大の英文科3年生でした。ぼくのちっぽけな広告制作会社への入社はともかく、広告のクリエイティブというものの本来のあり方を学んでもらうために、集めていたDDBやPKLなどの資料のインデックス・カード化をやってもらったのです。左のパンチング・カードが、このスピーチのためのものです。彼は、半年ほどかけて、1000枚ほどもカード化してくれましたか。で、いざ就職というときに、ぼくは三瀬青年に言いました。「うちの社に来てくれるのもいいが、それでは、あまりにお手軽すぎる。君の才能をもってすれば電通博報堂も難関ではない。だから、まず、電通博報堂を受けてごらん。結果、だめだったら、うちへ来なさい」
電通に、みごと合格。大阪にコピーライターとして配属され、余暇に上方芸能を研究し、その分野でいっぱしのベテランになりました。
いや、言いたかったのは、彼が作ってくれたパンチング検索システムのカード、いまだったら、もっと手軽にパソコンに入れて整理できるでしょうね。
このブログは、こうした試行錯誤の産物なのです。もっとも、個人としての処理量をはるかに超えていたのは、三瀬くんのような有能の士やとびきりの秘書群に支えられていたからでもあります。あの当時にパソコンがあったら---と、悔しがること、しきりです。



   パパート・ケーニグ・ロイス(PKL)社社長

   1966年4月19日 全米広告ライターズ協会

誠実こそ、最高の武器(3)


初めに言葉が・・・・・・


このことを口にしたために、たとえマフィア(犯罪地下組織)にこの場で暗殺されようとも、ご参会のみなさんに、ぜひ、思い出していただきたいことがあります。
それは、初めに言葉があったということです。
すぐれたアイデアを持っているときには、それを固執しなさい。
だれにもみそをつけさせてはいけません。
同性愛の白い騎士(ある洗剤のコマーシャルで、白い騎士がその洗剤を汚れた所に散布していくとすべてが真っ白くピカピカになっていく)などは、私たちの国では、必要としていないのです。
大切なのは、どのあたりのでとどまるかを知ることです。
さらに、正しいと思ったのなら、前に試みられたものでもやってみるだけの勇気を持つことです。
あなたがすぐれていれば、何か違ったものが生まれているはずですから。
さて、あなたがたは、私のすぐれたコマーシャルのアイデアを見たがっていらっしゃるでしょう。
(コマーシャルを中止してしまってもかまわないくらい、すぐれたアイデアのコマーシャルを)。
(1960年、ジャビッツ共和党上院議員を当選させたCM)
ドン・キホーテ式なできばえです。
最近でも私たちがそれ以上のものをつくれたかどうかというと、それは疑問です。
1世紀昔、バーナム(米国の興行師。サーカスの創始者)が、今日私が見るのと同じくらい生き生きとした広告の興行術を作りだしました。
60年前、一人の男がこんなのを書きました。
「1ドルお持ちでしたら、そして痔の気がおありでしたら、1ドルを私たちに送ってください。痔を癒してあげます。1ドルが惜しければ、痔はそのまま」
これは特殊成分H・・・ってやつの下にも流れているように思えます。
40年前にジョージ・W・ヒル(広告代理店社長)が書いています。
「お菓子の代わりにラッキーを」
これはタバコの広告らしい広告の仕方です。
このスローガンのおかげで1925年には21,000ドルの利益だったのが、1931年には46,000ドル、1947年には32,254,645ドルにまでなった)
私は「ふきでもの」、「私は69ポンドぽっちの病身でした」、 「私たちは、サラリー300ドルなのに、どうして辞めることができたのでしょう」といった広告が好きです。
生き続けるために売らねばならない通信販売の人たちは、家にいて働き、商売のコツを学びます。
私たちはどうでしょうか?
「ローエンブロウ(ビール)をきらしていたら、シャンペンをご注文になれば---」(リバー・カッツ・パチオーン社がつくったスローガン)
ところが、なんと、「シュリッツをきらしていたら、ビールをきらしたってことです」(ローエンブロウとシュリッツを組み合わせたもの)ときたもんです。いやはや。

リバー・カッツ・パチオーン代理店がつくったローエンブロウ・ビールの広告。




ローエンブロウがきれていたら、シャンペンをご注文になれば---


>>(2-了)「アマチュア主義の害」に続く

A Speech by Mr. Julian Koenig(2-3)


Julian Koenig
president of Papert Koenig Lois Inc.


to the Advertising Writers Association of New York
April 19. 1966


At the risk of having the Mafia follow me through the corridors, I remind you that in the beginning was the word.
When you have a good idea, insist on it.
Don't let anyone muck it around.
After all, what this country doesn't need is a Fag White Knight.
The important thing is to know when to stop.
And to have guts enough to do what's been done before--if it's right.
If you're any good, it will corne out different.
Well, after all that perhaps you'd like to see my idea of a good commercial---where an agency's 040b is to get out of the way.
(Show "Javits" commercial)
It's a quixotic business, and after all these years I'm not sure we've improved.
A century ago Barnum was creating advertising showmanship as vivid as any I see today.
Sixty years ago a man wrote "If you have a dollar, and if you have piles, send me your dollar and I'll get rid of your piles, or keep your dollar and keep your piles."
I think that stacks up with Preparation H.
40 years ago Hill wrote, "Reach for a Lucky instead of a Sweet, " and that seems to advertise like a cigarette should.
I like ads that say "Pimples, " "I used to be a 69 pound weakling, " "How we retired on $300 a month" ---ads you can coupon.
The mail-order people, who have to sell to survive, do their homework and learn their les sons.
Do we?
If you run out of Lowenbrau, order champagne, but if you run out of Schlitz, you're out of beer.

If they run out of Lowenbrau---order champagne.

The advertisement was created by Leber Katz Paccione Inc.


>>(2-4)