(411)ゲイジ、ロビンソンさん、25周年を語る(2)
インタヴューの中に「マジソン街は若者革命で沸きかえって」いたという発言が出てきます。DDBを飛び出したジョージ・ロイスのPKL、メリー・ウェルズやディック・リッチのジャック・ティンカー&パートナーズ(その後のWRG)、カール・アリー社、デルハンティ・カーニット・ゲラー(DKG)社などの活躍を言っているのです。当時、わくわくしながら、これらの社をつぶさに取材できたのは、ぼくの若い血がそうさせたのでしょう。その時代は、別の言葉で、マジソン街の〔黄金の10年〕と呼ばれ、また、〔The son of DDB の時代〕とも言われました。
記事は『DDB News』1974年6月号 25周年特集号より意訳)
問:25年前(chuukyuu注:1950前後)、DDBはその当時の広告にどんな影響を?
ロビンソン:そうね---私たち、広告の風通しをよくしたってことかしら?
ゲイジ:ビジュアルと言葉の相互作用で、より大きな第3の意味を醸しだしたことですかね。もっとも、これは当時も今も基本ではあるけれど。
ロビンソン:ビジュアルがどうのとか、コピーがどうのといった部分々々のことではなく、それらが一つになった時の印象とか衝撃力よね。それがとても新鮮だったってこと。そんなこと、それまで、誰もしていなかったんですもの。いまでこそ、あたりまえのことのように思われているけれど--−。
問: 数年前(注:1960年代)に、マジソン街は若者革命で沸きかえっていました。 その後、クリエイティブな人びとはそれから数年間に燃え尽きてしまったと信じられました。 あなた方2人はどうして燃え尽きなかったんでしょう?
ロビンソン:それって、真実じゃないわよ。
ゲイジ:ぼくには、おきるはずがないことだし、フィリス(注:ロビンソン夫人の愛称)にもおき得なかったことです。でも、言わせてもらうと、ぼくはいつも、やり終えたばかり仕事を、あれでは十分とはいえない、もっと上があるはず---と自分に言いきかせています。これって、ぼくの躰にビルト・インされている一種の病癖かもしれないんだけど。
問:精神分析をうけたことはありましたか?
ゲイジ:いいや。
問:じゃ、大丈夫。もし、精神分析をうけていたら、あなたは現状に満足できず、たえずハードルをあげることをご自分に課すのをおやめになって、進歩がとまっていたことでしょう。
ロビンソン:私、うけました。ボブがいっているものをビルト・インされているから健康なんだって結論でした。見解の相違ですけど。分析料に大金を払いましたよ。
問:フィリス。あなたがコピー・チーフになったのは?
ロビンソン:DDBの創業と同時。部下1人もなしのコピー・チーフ。そこが問題(笑)---あなたがいっしょに創業に参加したとしてたらコピー・チーフになってたわよ。わたしの代わりに---。
問:当時、女性のコピー・チーフって、そんなにはいなかったのでは?
ロビンソン:どうだったかしら? でも、過去にも、成功した女性コピーライターは少なくはなかったんですよ。デパートなんかに---バーナイス・フィツギボンとか、マーガレット・フィッシュバックとか、いろいろ。そのなかの何人かは、大広告代理店でいい地位についてました。でも、私見ですが、その人たち、コピー・チーフって職名いではなく、婦人・赤ん坊部とか食品部のライターって感じだったんでは? 当時は女性コピーライター、男性コピーライターってわざわざ区別して呼んでいたし、手がけるものも分かれていたみたい。いまからおもうと、奇妙なしきたりでした。
問:フィリス、当時、女性でコピー・チーフだったあなたは、好奇の目で見られました?
ロビンソン:いいえ。みんなが目を見張るほど若くはなかったし、面接のときにうしろに子どもを控えさせておくほど所帯じみてもいなかったから---。
問:女性であることは、不利益ですか、それとも有利ですか?
ロビンソン:どっちとも言えないんじゃない? 面接相手の男性の採否を決められる立場だからいい気味だなんて思うはずないでしょ。
問:ボブ、仕事に強い影響を与えたのは?
ゲイジ:なんといっても、バーンバックですね。とても大きな影響を受けました。それと、多くの仕事をいっしょにやったフィリスとは、相互に影響を与え合ったとおもいますよ。
ロビンソン:そう、相互に影響を受けあったわね。でもボブって自分流のスタイルをしっかりと持っているのよ。自分を見失わないほどのね。
ゲイジ:うん。もう一人、影響を受けた人をあげると、いっしょに学んだんだハーパースの(編集アートディレクターの)ブロードヴィッチ Brodovitch。でもね。初期のころ、ビルがふらりと傍らへやってきて、1時間も2時間も自分のフィロソフィ(広告についての根本理念)を話しこんだ、あれはものすごく、効いたね。ポール・ランドにもデザイナーとしての影響を受けているな。とはいえ、自分の仕事については、このごろは、直裁でシンプルに表わすという自分の感覚を大事にしているけれど。もちろん、エモーショナルな趣きも加味することも忘れないで。あのころ、みんなはそうではなかったんですよ。なんでもかんでも詰め込むのでごちゃごちゃしてて、趣味がいいとはいえなかった。強さと直裁さ、いい感じをともなったグラフィック・イメージ、これこそ、ぼくが求めてきたものなんです。
【参照】お時間があるときに、再読なさってみてください。↓
ジョージ・ロイス氏のインタビュー
1970年ごろ
『エスカイヤ(エスクァイア)』誌の表紙を語る(上)(下)
1978年
from "1978 Annual of Art Directors Club of New York"
「名誉の殿堂入り」に際して
ジョージ・ロイスへの道(1・2・3・4・5・6)
1963年
ロイス氏のエッセイ
>「ぼくは、コンプスに信を置かない」
>「あなたはマッズォズをおつくりなさい。広告はぼくがつくります。」
>「すばらしいコピーライターといっしょに働くことができるなら、ぼくだって良い広告がつくれるさ」
>ぼくの建物コンプレックス
>マーケティング志向
>良い広告のための8章
>セールスのためのアートと---
>テレビ広告
2008年
>>ジョージ・ロイス氏からのメッセージ
フィリス・ロビンソン夫人とのインタビュー
(1・2・3・4・5・6・7・8・了)
「世界中の女性コピーライターへ」
"Advertising Age" 1968年7月15日号
インタビュアー:John Revett
「コピーライター栄誉の殿堂」入りを、コピーチーフで1968年に初めて受賞したときの一問一答です。