創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(416)ジュリアン・ケーニグ氏のスピーチ(2)

カステラが1本あります。10等分の印をつけ、1日1ヶ、10日分の美味しいおヤツ---と決めたはずなのに、つい、つい、1日に「もう1ヶはいいだろう」と自分に許して手をつけてしまいます。そしてもう1ヶ---。
美味しいものは、じっと我慢しましょう。このブログがそのカステラだというのではありません。でも、1切れずつに分割して、1日分量だけをアップしています。2ヶも3ヶも一度に口にしたのでは、味わい方が粗雑になろうかとのよけいな老婆心で。




パパート・ケーニグ・ロイス(PKL)社社長



  1961年11月9日 全米広告ライターズ・クラブで。


<<ジュリアン・ケーニグ氏のスピーチ(1)


巨額の広告予算よりも強烈な効果を(2)


(Think smallの訳文)     (Lemonの訳文

5. 商品

商品とは消費者がお金をはらって、手に入れるものです。
商品を有利に見せることができるなら、商品を見せること。
たとえば、ウルフシュミッツで私たちがやったように。



     
「きみは、たいしたトマトだよ。2人で美味しいブラディ・マリーがつくれるよ。ぼくは、その辺の連中とはできが違うんだからね」  
  「あなたって好さよ、ウルフシュミット。あなたって、あれがいかすんだもの」


ウルフシュミット・ウォッカは、純正でよき時代のウォッカ特有の微妙な味わいを持っています。ブラディ・マリーに使ったウルフシュミットは、勝ち誇ったトマトの味です。ウルフシュミットはひとロごとに最高の味わいです。


しかし商品がなくても広告が最上のものなら商品を見せないことです。たとえば、私たちがこちらのウルフシュミットの広告でやったように。




もし、ウォッカに味がなかったら、ウルフシュミッツがどれなのかを、どうやっていいあてることができましょうか?

6.クライアント


私は、金持ちには最高の敬意をはらいます。
私たちは、クライアントは自分の商品について私たちよりもよく知っているという前提にたって仕事をすすめます。
そして広告についてはクライアントよりも私たちのほうがよく知っているという前提で仕事をします。
そういう関係があってこそ、相互の尊敬と報酬が生まれるのです、 コピーライター、そして広告に関係しているすべての人の、最も大切な仕事とは、クライアントの言うことに耳をかすことです。
たっぷりと時間をかけて、そしてしっかりと知性的に聞けば、何かを学ぶことができます。
自分の広告が自分に話しかけるのを聞くこともあります。
私がこれまでに読んだ広告の中で最高だと思ったのは、ユチカ・クラブ・ビールです。
「ときどき私は、こうやってビールをつくって引き合うのが不思議に思うことがあります」(DDB時代の広告)というへッドラインでした。
このヘッドラインは、クライアントによって語られたものです、しっかりと時間をかけてクライアントの言うことを開いたので、そのコピーライターは広告主が彼に話しかける言葉を聞いたのです。

(chuukyuuのお断り)ケーニグ推奨の広告が行方不明なので、その広告の冒頭に掲げられている記念写真をあしらった見開き広告をご紹介します。残念ながら、 「ときどき私は、こうやってビールをつくって引き合うのが不思議に思うことがあります」という老社長の名セリフはヘッド・コピーにはありませんが、ビールづくりの実態はしっかりと語られています。


この時代のビールのうまさの秘密は?


ボディ・コピーの全訳はこちら


「自分たちがつくった広告をするようにクライアントに強制するか」と聞かれますが、もちろんそんなことはありません。
そんなことをする代理店なんかありません。
ええ、もちろん小さいアカウントには強くでられるかもしれませんが、そのアカウントが大きくなると、実効というものが厳密にテストされます。
それが、現在私たちの働いている立場なのです。
クライアントは、私たちが提示する広告を使わねばならないということはないのです。
しかし同時に、私たちがいいと思わない広告を、私たちにやらせることもできません。
2番目に最高だから----などという問題ではないのです。
一つの広告課題には、一つ以上の答があるものなのです。
だから、クライアントとのつきあいで、エゴほどバカげたものはありません。
結局掲載されない広告は、だれにだって価値のないものです。


7.悪い広告


ほとんど例外なく、悪い広告のあやまちなり責任なりは、クライアントにはなく、代理店にあります。
広告を準備しなければならないのは、代理店です。
たぶんあなた方が自分の好きな広告をクライア/トに掲載してもらことはできないでしょう。
しかし、クライアントにもあなた方が好きじゃない広告をどうやってあなたにやらせることができるでしょう?
それとも私が単純なのでしょうか?


8. いかにしてよきコピーライターとなるか


すばらしいアートディレクターになることです。


9. アマチュアリズム


広告の分野には、他の職業分野より、アマチュアがずっとたくさんオフィスを占めています。
だいたい広告分野以外に、職業訓練を受けないで立ち入れる職業があるでしょうか?
この職業では、クライアントの奥さんにいたるまで、どんな人の意見でも、等しく重要であり有効なのです。
コピーライターは、ルールを破る職業ではあるけれど、それより前に、ルールを知っていなければなりません。
しかし、破ってはいけないルールもあります。
文法のルールのように。
昔、こんな浸画を『ニューヨーカー』誌で見たことがあります。
それでは、コピーチーフが、一編のコピーを見てコピーライターに「もちろん、スミサー君。これよりは悪いコピーを書くこともできるだろう」と言っていました。
私たちは入社志願をよく受けます。
そして、たくさんのコピーの記録を見ます。
貧弱な、まやかしの、ナンセンスさがいっぱいなのにはうんざりです。
なぜ表現を強くするために、感嘆符をつけるのでしょう。
第一、いったいだれが私たちに国語をまちがえて使う権利を与えてくれたというのでしょう。
なぜ私たちは、コピーライターの書くべき正しい国語を使わないのでしょう。



10. アカウントマン


いえ、アカウントマンなんていないのかもしれません。
彼らについての奇妙な話をしましょう。
私は、私の代理店で働くことを熱望し、より少ないサラリーで働くことを望んでやってきた多くのアカウントマンを見ました。
要するに彼らは、羽根をのばしてのんびり仕事のできる場所を望んでいたのです。
そしてまた、コピーライターがやってくるのを見ました。
その人たちはみな自分のアートのクリエイティブな面を熱愛し、自分が働いている場所にはうんざりし、そして必ずいろいろな金銭給付のことを開き、最初からより多くの金を得ようとする人ばかりでした。
なにしろ1日8時間働けば、自分のしていることが楽しくなってもよさそうなものです。
なのになぜアカウントマンは羽根をのばして働けるというようなことに、コピーライターよりも強い関心を持つのでしようか?
私にはわかりません。
広告のどの分野をとっても、すぐれた人物は必ずいますし、アカウントマンとはどんな人たちか分類することは不可能です。
もちろん、弱いアカウントマンだと、コピーライターの生活は、みじめなものになってしまいます。
しかし、アカウントマンが弱いのは、たいていはその広告代理店のやり方を反映していることが多いのです。
私は一度も良い広告を通してもらったおぼえがないような代理店で何年も働いていました。
実際、私がDDBで仕事を持てたのは、それまでに広告として掲載されたことがあるプルーフのおかげではなくて、一度も掲載されたことのないラフのおかげでした。
もしできることならば、コピーライターは、自分の仕事をアカウントマンを通してクライアントのところへ持っていって売る・・・ということを学ぶべきです。
だいたいにおいて、あなたがベストをつくして、よい広告をつくったのなら、よいアカウントマンは、あなたを支持してくれるはずです。
しかし、あなたがすぐれていても、バカ者たちに囲まれていて、自分の作品を通してもらうことができないようでしたら、私たちのとこへいらしてください。


>>(了)へ続く