創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(721)『アメリカのユダヤ人』を読む(7)

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アメリカのミステリ作家にはユダヤ系の人が多い---と書いた。
ぼくはある時期、ミステリに没頭したことがあった。


ジェイムズ・ヤッフェ『ママはなんでも知っている』(ハヤカワ・ミステリ1287)もそのころに凝った。
すでに、『アメリカのユダヤ人』(1972)を訳出し、しばしばニューヨークへかよい、多くのユダヤ系アド・マンと交流していたので、颯爽と活躍しているクリエイターたちの母親にブロンクスのママを重ねていた。


現実に、もっとも親しくしていたDDBのV.Pでコピー・スーパバイザーのパーカー夫人が、よく「明日は母親の訪問日なの」という言葉を口にするのも聞いた。
パーカー夫人はオーストリーから英国へ逃れ、ロンドンで大学を卒え、ニューヨークで秘書からコピーライターになった人であった。


さて、ミステリー作家にはユダヤ系が多いと書いたが、コピーライターもそうである。ともに国家試験のない職業で、文才とマーケットを読む能力と知識と僥倖(チャンス)があれば成功する職業なのである。


旧大陸からの移住者に対して、アメリカ国家が、そう簡単には門戸開かなかったことは、ヤッフェのノン・フィクションである当書に書かれている。


小売商店も、行商人も、ミシン工も、編集者も国家試験のない職種であった。そこにも移民ユダヤ人が集まった。


警官にも民族枠制限があったろう。アイルランド系にまじり、有名大学を卒えたダヴィッド(ダヴィ)もその門をくぐりぬけた。
妻にえらんだシャーリーは、東部の女子大の名門校---ウェズリー(マサチューセッツ州ウェズリー)で心理学を学んだ才媛である(ヒラリー・クリントンはここを出たあとイェールの大学院で法律を習得している)。「実生活では役に立たない学問」と、ブロンクスのママ(51歳の未亡人)は毎週金曜日の晩に食事に訪れる息子の嫁にトゲのある皮肉を飛ばすところなど、江戸の長屋の後家に似て、生き生きと描かれている。
このママの生き方通して、ある時期に移民ユダヤ人のありよう(価値観)もうがえる。





建  設


戦いの傷あと



 異教徒に対する感情で性格がゆがめられなかったユダヤ人を見つけるの
はむずかしい。
傷あとには大小があっても、たいていの人はそれに打ち勝つか、持ったま
ま生き続ける方法を身につけるか、それをもとにして有意義なことをしよ
うとしている。
しかしどんな形にしろ傷あとは常に残っているのである。
それを分類するのは単純化しすぎることになるし、全体的に影響を受けて
犠牲となっているというユダヤ人もほとんどいない。
しかしいくつかが当てはまらないユダヤ人はもっと少ないだろう。
ユダヤアメリカ人の大多数は次の範躊のどこかに自分を見るはずである。


 まずはっきりとした例――ドイツとドイツ人に対して今日の多数のユダ
ヤ人が抱く感情から始めよう。
基本姿勢は非常に単純で、すべてのドイツ人はナチスなのである。
この見方は戦時中に10代以下だった人からヒトラーが死んだ頃には生まれ
てもいなかった人々、そしてまだ生まれていないドイツ人世代にも適用され
る。


 この概括には推論が働いている。
ナチは決してナチでなくなることはない……がそれである。
この毒には解毒剤がない--時間も後悔も宗教改宗も解毒剤とはなり得ない。
このためドイツは終生監視しなければならず、どんな小さなネオ・ナチ感情の
現われにも警告の叫びを浴びせる必要がある。
少年時代にナチ青年隊に属していたクルト・キージンガーがアデナウアーの後
継者として西ドイツの首相となった時、私はニュ−ヨーク市大のあるグループ
を取材中だった。
学生が真っ青な顔をして走ってきてニュースを伝えた。
「ナチを選んだぞ!」
旧ナチではない、キーシンガーの自由主義的経歴、昔からあの事件に対する拒
絶反応、当時の若さ――を並べたててもものの数ではない。
奴は昔もいまもそしてこれからも『ナチ党員』なのである!


 同じようにナチ協力者と思われるドイツのコンサート演奏者が来るとこ
の感情が表面化する。
戦後何年もウォ
ルター・ギーゼキンダ(ピアニスト)、キルステン・フラグスタード(歌手)、エリザベット
・シュワルツコプ(歌手)などは来演できなかった。
来演時にはピケが張られた。
こういったことは今日でこそないが、最近シカゴで終身指揮者としてハー
バート・カラヤンを雇うという交響楽団が現われた時はユダヤ人の間から
抗議の声があがった。

 
「われわれの金をナチに与えてはならない」というのがこういった抗議で
表現された考えである。
ドイツ製品を買うのは道義に反するというユダヤ人の感情にも同じ考え方
がある。
子供にドイツ製玩具を買い与えない母親さえいる。
コメンタリー誌の記事でミルトン・ヒメルフアーブ(作家)は会堂の駐車場に
ベンツやワーゲンが駐車しているのを見ると必ず睨みつけると語っている(注1)。


 この感情は強烈で、その非合理性をよく認識した人の中にも存在する。
アトランチック誌は多数の知識人を西独へ送って論文集を発行した。
この時、ユダヤ人は自分の偏見とそれに打ち勝とうとする意識の板ばさみ
になったという。
ダイアナ・トリリングやスタンリー・カウフマン(作家)のように自ら予期し
たものを発見したものもいれば、ハーベイ・スワドスやアービング・クリ
ストルのように公平であろうと懸命になったものもいたが、誰一人として
ドイツに気のおけなさを感じたものはいなかった(注2)。


 復讐の欲求がこの感情の中に流れていることは確かである。
ユダヤ人指導者は公式発表の際にもこの種の感情を隠そうとはしない。
ニューヨークで開催されたナチ収容所生存者集会の席上、世界ユダヤ人会
議のナーハム・ゴールドマン議長は「ユダヤ人が常に思い出さなければな
らないだけでなく、ドイツ人にも常に思い出させなければならない」と語
った(注3)。
まるでいまもユダヤ人とドイッ人の間に共生関係があるかのような口ぶり
である。
ユダヤ人は彼らから離れることはできない。
万世を通じてともに行くべき運命にあるユダヤ人は憎しみによって彼らと
結ばれている……と。


 しかしユダヤ人自身に罪意識があるというのがもっと深い理由である。
彼らはヒトラーに殺された600万のユダヤ人に対して罪意識を持ってい
る。
彼らを救う手だてはなかったか? 
たぶん皆無である。
だが彼らの代わりに死ぬことはできたかもしれない……といった考えに根
ざしている。
 反抗もしないで羊のようにガス室へ入っていた600万人の無抵抗ぶりを
責める激しさも、この罪意識が基底となっている。
そして時にはこの罪意識が悲劇的な兆候を呈する時もある。
この罪意識のため絶望にかられ、人生の意味、神の存在を疑惑の目で見る
ようになってしまう人もいる。
ピッツバーグ大学のリチャード・ルーペンスタイン・ラビは、多くのユダ
ヤ人の感情を次のように表現した。
「私はアウシュビッツ以後、超絶対神を拒絶しなければならなかった」(注4


 戦争を知らない若者の間でも反ドイツ人感情はすさまじい。
多くのラビが語ってくれたところによると、会衆の大学生は「600万人」
に関する説教にはうんざりしているという。
「ラビ、またですか」
ところが同じ学生たちでさえ、ダハウ(外国兵捕虜収容所。多くが殺された)の跡を訪
れた若者に共感を示すそうである。
この若者は家に手紙を書いた。
「ぼくも彼らとともに埋められているような気がしました」


 しかしユダヤ人の対ドイツ人感情は大局的判断の必要がある。
これはユダヤ人が異教徒に対してヒトラーの出現以前からずっと抱き続
けてきた感情の一種独特かつ極端な例でもある。
ユダヤ人の母親が何世紀もの間わが子に語り伝えてきた古い諺の中にそれ
が表現されている。
「異教徒をひっかくと反ユダヤ主義が現われる」
その阻野さゆえにこの諺を嫌い「もちろんそうとは限らないさ」と進歩的
なことをいうユダヤ人でさえ、同じ意味のことを洗練された言いまわしで
言うことが多い。
「私には異教徒の友人がたくさんいます」とある女性が私に言った。
「あの人たちのことを好きなことは好きなんだけどお友だちになって久し
いのに何かしっくりいかないわ。あの人たちの感じ方ときたら」
 すべての異教徒は心に必ず反ユダヤ主義感情を持っているのではないか
という疑いがあるため、多くのユダヤ人はキリスト教の宗教上の象徴に対
して本能的な恐れと嫌悪を感じている。
反ユダヤ主義闘争のカソリック教の指導者エドワード・フラナリー神父は
ユダヤ娘が「十字架を見るとゾッとするわ。災いにあったみたいな感じが
して」と言ったのを聞いた時、初めて問題の大きさを悟ったという。
ほとんどのユダヤ人は学校時代イエス・キリストの名が出てくる讃美歌を
歌わなければならなかった時に似たような気分を味わったことがあるだろ
う。
仲間を敵に売る危険にさらされたかのような気持ちで、イエス・キリスト
の名を口にし、十字を切ったことのないユダヤ人ははたして何人いるだろ
う。こういう習性は消えるものではない。
最近ミシシッピー州で夏を過ごしたある黒人教会であるユダヤ公民権
動家は「イエス・キリストの御名において……」として言葉を口にしなけ
れぼならなかった時は、気がめいったと書いている(注5)。


 この得体の知れない恐怖から多くのアメリカのユダヤ人がひそかに抱い
ている考え――アメリカでもいつなんどき反ユダヤ主義が爆発しヒトラー
が現われてユダヤ人をガス室へ送りこむかもしれない――が生まれるので
ある。
ニュージャージーのウェイン事件がこのことを立証した。
ウェインの投票日の翌日、ユダヤ人法律家の一団がニューヨークの連邦裁
判所の中庭に集まって、心の底からの恐怖感を交換しあった。
ほとんどが35歳以下の私立大や東部大学の卒業生で、反ユダヤ主義を経
験したことのない者ばかりだった。
 この異教徒を恐れる気持ちがロックウエルのような狂人に対して行き過
ぎる結果を招く。
ユダヤ人委員会の右翼団体研究家が、ユダヤ人諸団体でこの件についての
講演をしてまわった。
彼は危険を過小評価するような男ではなかったが、ロックウェルの無能力
と無知に言及すると必ず聴衆から「ヒトラーの時だってそう言ったぜ!」
という野次がとんだという。


 これが孤立したあるいは非典型的な見解でないことをある明白な事実が
立証している。
今日のアメリカでは以前よりも反ユダヤ主義運動は減ってはいるが、反対
リーグヘの寄付額は逆にずっと増えているのである。
ガルベストンのような都市でも反対リーグ予算を削減しようと
いうユダヤ人共同体の動きはない。
いまは何も守る対象はないのだが、なにかしら守る必要性を感じているの
である。


 もちろん、恐れをなだめようと極力努力している。
注意深く感情を害さないようにしている。
ユダヤ人はいつも異教徒の感情に注意を払っている。
とりわけ敵意に満ちた異教徒の世界に責任をとらそうとしてはいけない―
―特に原因が反ユダヤ主義にある時には、傷つけられたユダヤ人に報復さ
せてみるがいい、他のユダヤ人からたちどころに反対の声があがる。
私が話したことのある婦人は、ニュ−ヨーク・タイムズ紙に載ったあるユダ
ヤ人法律家の行動に「許しがたい」ほどの怒りを感じていた。
その法律家は彼がユダヤ系であることを理由に入居を拒んだマンションを
訴えようとしていた。
「恥を知るがいいわ!」とこの婦人は言った。「私なら、私をうと
んじるようなところへは行かないわ!」


 こういった小心さが皮肉な状況を生んでいる。
ロサンゼルスー帯を占拠している映画産業の大物のほとんどがユダヤ人で
ある。
ところがロサンゼルスの一流ビジネスマンクラブ……カリフォルニアクラ
ブはユダヤ人を受けつけない。
映画界の大物連にはこのクラブに門戸を開放させるほどの権力はあるのに、
あえて行使しない。
そうすることはすなわちユダヤ人が劣っているというユダヤ人以外の人々
の考えを認めることなので、大物連の不安定なエゴが許さない――そこで
彼らはそんなクラブが存在していないかのように装って現状に甘んじてい
るわけである。
ロサンゼルスでは最も権力のあるユダヤ人企業経営者が、自分の部下が属
しているクラブから除外されているという景観を呈している。


 異教徒を懐柔するためには、ユダヤ人は攻撃をしかけてもならないのみ
か注意をひいてもいけないのである。
 「人目につくな」――これが、ユダヤ人母親がわが子に与えた最新教訓
の一つである。
ユダヤ人がとったどんな行動でも、目立つということでユダヤ人たちから
責められるかもしれないのである。
例えばアナーバーのユダヤ人は長年の間、死人をデトロイトの近くに埋め
ていた。
だが最近この習慣をやめようというキャンペーンを開始した指導者が出た。
「異教徒にどううつるか? まるで土地の墓地では釣り合わないと思って
いるみたいではないか!」


 目立つ態度はよくないが、不道徳な行為やまぎれもない犯罪行為は特に
いけない。
多くのユダヤ人は明らかにユダヤ系姓名の犯人の犯罪を報道する新聞の大
見出しを恐れながら生きる。
犯罪や横領を働く時には、スミスとかロビンソンに改姓してからやってく
れ、だができることなら、手を汚さないでくれ。
大衆の目につくような非難に値する振舞いは、二重の意味で非難に値する。
というのは――ユダヤ人すべての胸に刻みこまれている言葉を使うなら―
―「ユダヤ人のためにならない」からである。
こういったことに対する感受性は、どれだけ誇張しても誇張しすぎるとい
うことはない。
胴元が逮捕された、徴兵忌避者が摘発された、建築検査官が収賄で逮捕さ
れたという記事を目にするたぴに、彼らは無意識にユダヤ人名簿をめくる。
ケネディ大統領の死をユダヤ人も他のアメリカ人と同じく悲しんだ。
しかし暗殺を耳にして「神よ、ユダヤ人でありませんように!」と祈らな
かったユダヤ人がいるだろうか?


 ユダヤ人は己れの罪を異教徒の凝視から避けようとするだけではだめで
ある。
仲間のユダヤ人の罪を人目に触れさせないようにしなければならない。
これは公的なユダヤ人共同体とユダヤ人著述家の間にずっと昔から存在し
た摩擦源となっている。
著述家はその第一の義務は、よく知っている世界を忠実に扱うことだと心
得る。
公的共同体は第一の義務を、異教徒にその世界を魅力的に見せることだと
心得る。
そこで1917年エイブラハム・カーハンはある有名なラビに依頼されて
『デピット・レピンスキーの出世』にとりかかった。
そして1938年、ジェローム・ウェイドマソンは自薦公民権指導者委員
会から『卸し値で手に入れてあげる』という本を書店から引っこめるよう
に言われた(彼の返答は公開をはばかるものだった)。
25年後、大きなラビ・グループの幹部がフィリップ・ロスを『さよなら
コロンバス』で「ユダヤ人生活を不健全に描与した」と叱りつけた。
ユダヤ人が書いた良書は必ず「ユダヤ人のためにならない」ようである。


 異教徒を喜ばす重要な原則は、異教徒が望んでいるようにあることであ
る。
とりわけ――とまあ多くのユダヤ人が信じているわけ――だが異教徒はユ
ダヤ人が優しく安全で従順で弱くあってほしいと願っている。
このイメージを満足させるために、ユダヤ人劇場主や映画製作者は、主人
公が賢く暖かみのある忠告にあやかるように、やさしくてあたりさわりが
なくあきらめよく肩をすぼめた架空のユダヤ人像をつくりだしたポーリン・
ケイルは『ウェストサイド・ストーリー』の親切なドラッグストア老店主
に自己を見出し、異教徒の世界にユダヤ人がいかに害がないかを確信させ
るのが彼の主な役目だと指摘している(注6
要するに彼は一種のユダヤ人アンクル・トム……アンクル・マックス……なのである。


 そして命がけで敵を喜ばそうと努めるユダヤ人は当然その努力が成功し
ているというすべての証拠を歓迎する。
証拠がまことしやかなものであってもよい。
熱心になめつくすだろう。
ニューヨークのポスト紙のコラム筆者レオナード・ライオンズはこの点に
関するユダヤ人の格好の指標である。
彼は毎日ユダヤ人とうまくやっておりユダヤ的なものを愛する有名人異教
徒を例示してみせる。
ある年の彼のコラムにこんな面白いニュースが載った。
ヘンリー・フォンダがニューヨークで過越祭をやった。
プレンダン・べーハン(俳優・アイルランド)が
ユダヤ・ソングを歌った、モーリン・オサリバンがヤームルカ(ユダヤ人の小さな帽子)をかぶった若者と
連れだってディスコティックヘ行った、ケーリー・グラントがロンドンで
過越祭を指揮した、ジャン・ピアース(テノール歌手)がミシ
シッピイ州知事の清浄食品晩餐会に招かれた、フランク・シナトラがハリウ
ッドで過越祭を指揮した、グレース王妃はミツバの戒律にご熱心である、
そしリチャード・タッカーがジョンソン大統領にホワイトハウスで過越祭を
やってはどうかとすすめた………ゴシッブ・コラムニストが顧みられなくな
っている時代に、ライオンズは読者をひきつけている。



ユダヤ人は心の底では、異教徒を喜ばそうとする努力は失敗するに違いない
と思っている。
だからアメリカのユダヤ人の多くはユダヤ主義の猛攻撃から自分を守るため
にもっと思い切った手段をとっている。
できるだけ異教徒の世界から孤立していようというのである。
 シュテットルではこの孤立は外部の力で強要されたものであったにもかか
わらず、大多数は不平を述べなかった。
やむを得ずそうしていたのに進んでしているように装い、わが子には異教徒
は「悪魔」だと教え、身を守るには遠ざかっているがよいと教えた。
今日のアメリカでは孤立が法律で強制されているわけではなく、社会習慣で
強制されることもなくなっている。
それでもアメリカ社会生活のパターンとして夜の社交が幅をきかせているし、
それがなお存在しているのがユダヤ人の責任か異教徒の責任かを決めるのは
容易なことではない。


 裕福になるが早いか――第一次大戦後以来――ユダヤ人はカントリークラ
ブをつくり出した。
異教徒の既存のカントリークラブから閉め出されていたからだが、新しく近
代的な冷暖房ビル(異教徒の古いクラブにはないことが多い)にユダヤ人は
ユダヤ的」なもののない雰囲気、一種の社交生活様式をつくりだしていっ
た。
実際彼らのクラブはほとんどどの点をとっても異教徒のカントリークラブそ
っくりである。


 ユダヤ人のカントリークラブがなくならない第一の理由は、多くの地区で
はいまだにユダヤ人が異教徒のクラブから除外されているということにある。
そうでない地区も多いのだが、ユダヤ人のカントリークラブはなくならない。
ユダヤ人以外は入れない規定にさえなっている。
映画界のユダヤ人が設立した一見ミュージカル映画のセットのような法外な
ハリウッドのヒルクレストクラブ(入会金はアメリカ最高の2万2000ド
ルで、会員はクラブ所有の油田の株主となる)は、入会希望者が多いにもか
かわらず長年頑として異教徒を閉め出してきた。
最近は方針がゆるみ、ダニー・トーマスやフランク・シナトラといった名誉
ユダヤ人が属するようになりはしたが、それでも会員の大多数はユダヤ人に
よって占められている。


 ほとんどのユダヤ人は、入会審査委員会が最近ユダヤ人以外の入会を認め
ることを提案した中西部のクラブの会員のように感じている。
強い反対で提案を却下されてしまったのである。
ある人は次のように全員の総意をべた。
「非ユダヤ系の連中に圧倒されてしまう。そうしたらここでくつろぐことが
できなくなってしまう」
なにが本音だったのだろう――否定的感情か肯定的な感情か、それとも両方
か?


 ユダヤ人のリゾート・ホテルのことを考えると水はもっとぬかるむ。
こうした法外な設備は主に2ヶ所にある――ニューヨーク州のキャッツキル
山系とフロリダのマイアミビーチである。キャッツキルにあるのはとてもユ
ダヤ的である。
食物は厳密に清浄食品に限られ、いろいろな礼拝所があり、宗教祭日にもビ
ジネスはよいとされる。
マイアミビーチのホテルはめったに清浄食品を出さないし礼拝所もなく、ユ
ダヤ暦のかわりに太陽暦を使って客を呼ぶ。
キャッツキルのホテルよりもずっと高い。


 宗教戒律によって清浄食品を食べなければならないのでキャッツキルヘ行
く正統派ユダヤ教徒よりも、そんな義務など感じていない人のほうがはるか
に多い。
グロッシンジャーで私がロをきいた客のほとんどはユダヤ系であった(ユダ
ヤ系以外もよくここを訪れる)が、ほとんどが家庭以外では清浄食品を食べ
ないという人や家庭でも食べないという人であった。
それに彼らはユダヤ人的な場所以外でも休暇を過ごすことが多い。
ニューハンプシャーでスキー、バーミューダでサーフィンを楽しみコモ湖
訪れる。
しかし折りにふれてグロッシンジャーのような場所へ戻る――あるいは若者
や派手な客に人気があり、グロッシンジャーの強敵で、やはり完全な清浄食
品を出すコンコードに戻る――のである。
マイアミビーチのホテルも同じような不思議な魅力を発揮する。
公民権法でいかなる宗教の客でも断わってはならないと決められてはいるも
のの、常連のほとんどがユダヤ人である。


 似たような不思議さがユダヤアメリカ人の生活の他の多くの面を取りま
いている。
大学のフラターニティは昔の規制を解いた。
ユダヤ人もほとんどのフラターニティに入会することができる――ところ
がたいていの大学には非ユダヤ人は断わってもよいとする「ユダヤ人」フラ
ターニティが存続している。
明らかにユダヤ人名とわかる人が株式、証券、保険の広告で申し込むとユダ
ヤ系セールスマンにまわされる。
しかもそれが必ずすごい仕事になるのである。
ウォール街の法律事務所の若いユダヤ系共同経営者はユダヤ人のルームメイ
トとアパートを共有したがる。
ユダヤ系でない病院のユダヤ人医師は、どんなに優秀であってもユダヤ系病
院のユダヤ人医師よりも病院の業務にかかわることも少なく会議での発言も
自由ではない。
ニューヨークの一流のユダヤ人葬儀場……リバーサイド・メモリアル礼拝堂
は案内人や送迎係に異教徒を雇わない。
ユダヤ人は悲しい時も異教徒がそばにいないほうがずっと心が安まるからで
ある。
 

 1962年にユダヤ人委員会がボルチモアユダヤ人共同体を調査してこ
んな結論に達した。
ユダヤ人はユダヤ人雇用者の下で働くほうを好む。
かかりつけの医師や弁護士がどんな宗教の持ち主であろうとかまわないと答
えるものの、95%がユダヤ人医師にかかり、87%がユダヤ人弁護士に
依頼する。
大多数の者が子供がユダヤ人生徒が少ない学校への通学を気にしないとは言
うが、90%がほとんどユダヤ人生徒によって占められている学校へ通学さ
せている(注7)。


 この孤立主義のため、ユダヤ人の中には異教徒を目にしないですむイスラ
エルヘ行ってしまう者もいる。
数年前、そうしようかと考えている友人とホテルのバーで同席した。
ホテルでは消防夫の集会が開かれており、大声のアイルランド人らしい消防
夫の一団がバーヘ押し入ってきた。
友人は彼らを一瞬見ていたがこう言った。
「やっぱりイスラエルヘ行こう。この消防夫たちから逃れるために……」

 ニューヨーカー誌に連載記事を載せているハロルド・アイザックスによれば、
この友人のような動機はイスラエルヘ落ちついたアメリカ系ユダヤ人の間では
普通だということである(注8)。
皮肉なことにあのユダヤ人ばかりの世界で彼らはアメリカ人としてみられ、い
ままで同様孤立感を味わっている。


 ほとんどのユダヤ人はそんな遠くまで行く必要はない。
アメリカでも十分孤立することができる。
しかし、いったいなぜ孤立するのだろう――恐れからか性格からか? 
私にはどちらも正しいように見える。
この二つの矛盾した動機が複雑に入り混じり、両者の系をほぐすのはずっとむず
かしくなっている。


 動機が何であれ、自己孤立したユダヤ人は自分の運命に満足しているように
見える。
はたしてそうだろうか?
どのくらいの人が疑いの瞬間を持つのだろう――私が話したクリーブランド
30代の弁護士のように? 
彼はほとんどがユダヤ人で占められているシェーカー・ハイツで生まれ育った。
友人、学友、デイトした女性のすべてがユダヤ人であった。
そしてユダヤ女性と結婚しユダヤ人の事務所に入りユダヤ人カントリークラブ
ヘ入った。
そして自分と同じようにしてわが子を育てている。


 (ああ、おれはユダヤ人ジョージ・アプレー(マークワンドの小説『故ジョージ・アプレー』の主人公。
ボストンの上流人士の典型)だ!」と彼はため息まじりで言った。


 このユダヤ人ジョージ・アプレーがそのボストン型の典型的モデルとともに
共有する孤立主義のほかにもう一つの特徴がある。
孤立主義がもととなっているに違いない特徴だが……異教徒世界からの脱出を
正当化し、恐怖が動機となっている自分自身から逃れるために、ユダヤ人は異
教徒よりもすぐれていると考えるのがそれである。
「われわれは選民だ」
 神学上や倫理上の意味で言っているのではない。
ユダヤ人の優越感は屈折していて難解である。
シュテットルで歌われたフォークソング……異教徒はすべて飲んだくれで好色
家で間抜けな農民だと歌う歌などはその一例であろう。
歌詞の中の軽蔑の要素が自己讃美の要素を伴ってユダヤ人を暗にすぐれた民族
に仕立てている。


 シュテットルはアメリカのユダヤ人から見れば遠い昔のことであるが、異常
ともいえるほどこうした古いフォークソングがいまも彼らの意識の中に残って
いる。
ある有名な調査機関が「リバートン」市(仮名)のユダヤ人成人と10代の若
者に異教徒についての意見を求めて、次
のようなきまり文句が明らかになった(注8)。
異教徒は自分たちよりも飲み助でよく喧嘩をする。
子供の教育に無関心で親族間のつきあいが少ない……10代のほうもしぶしぶ
ではあったが、このきまり文句を受け入れていた。


 リバートン市民がシュテットルの住民のように異教徒の世界と断絶した無邪
気さを持っているといったら叱られるだろう。
異教徒の世界によく接している人々からも同じような意見が面接中に繰り返さ
れたということしか私には言えない。
最初のうちはユダヤ人気風に公然と反対するユダヤ人でさえ、警戒を解くと排
他主義が顔を出す。
「宗教はすべて不合理だ」とある大学院の学生が言った。
「いかなる宗教も残されるべきではない」。
それが30分後には「一つだけ残されるとしたらユダヤ教であってほしい。ほ
かのよりは不合理性が少ないから」
 ユダヤ人の優越感にはもう一つよくある態度がからまっている。


明日に、つづく


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