創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(719)『アメリカのユダヤ人』を読む(5)


8日(日曜)までのGW中は、拙訳『アメリカのユダヤ人』(日本経済新聞社 1972)を分載しています。



アメリカのユダヤ人』の原著が1968年に出版されたことは紹介しました。拙訳が日経から1972年に刊行されたことも記しました。
小説のほう---ブロンクスのママもの8作を収めた最初の短篇集『ママは何でも知っている』がハヤカワ・ミステリ1287として出たのは1977年と《Aga-search.com》にあります。
1977年には『アメリカのユダヤ人』は絶版になっていたかもしれません。しかし、ジャンルが異なるとはいえ、アメリカのミステリー作家にユダヤ系の人が多いのは常識だから、解説文には目くばりがあってもいいとおもうのは当事者のグチかも。
Aga-search.com》のデータにも、『アメリカのユダヤ人』の邦訳は拾われていません。群小版元じゃなく日経なんですがねえ。


拙訳『The American Jews 邦題:アメリカのユダヤ人』―――から(5)



建  設


古来の敵


 アメリカでその野望を成就する前に、ユダヤ系移民は大きな戦いをしな
ければならなかった。
ユダヤ人が有史以来いろいろな方法で戦い続けてきた反ユダヤ主義との戦
いである。
ユダヤ人がどの程度までこの戦いに勝ってきたかをはっきりさせ、この戦
いが彼らにどんな傷跡を残したかを調べないで、今日のユダヤアメリ
人を理解することはできない。


 アメリカの反ユダヤ主義はヨーロッパのそれとは異なっている。
ヨーロッパの諸政権は反ユダヤ主義を国民の注意を国内問題からそらせる
手段として政策的に用いた。
世襲独裁統治者はキリスト教の名のもとに、ヒトラーは文化的純粋性を口
実として利用した。
しかしアメリカでは反ユダヤ主義がいまだかつて法的地位を持ったことは
ない。
常に放任し、戦前のカフリン神父、最近のジョージ・ロックウェル(在米ナチ党員
のような狂信者による刺激的で時には猛烈な憎悪の爆発の形をとることは
あっても、公的にユダヤ人が弾圧されたことはない。


 とはいっても大多数の人がユダヤ人に敵意を感じていないということでは
ない。
感じてはきたし、その敵意は社会的経済的差別の形をとってきた。
こういった差別の残酷さを過小評価してはならない。
大っぴらな迫害ほど残忍ではないにしても、それなりの恐ろしさがある。
非常につかみどころがないので犠牲者の心情に破壊的な力を振るう。
十分に資格があると思った医大への入学をあいまいな理由で拒否されたり、
資格証明書を提示するや丁重なロ調で就職を断わられてしまった移民の青年の
どうしようもない欲求不満は、言葉には表わせないほどだった。
この不正に腹が立っても抗議の余地はない。
反ユダヤ主義だ!」とでも叫ぼうものなら、拒絶者たちは眉をつりあげてそ
の喧嘩腰、進取の気性こそ「イスラエルのガキ」との接触を避ける理由だと言
うだろう。


 こういった反ユダヤ主義は、19世紀後半までアメリカのユダヤ人の問題と
はならなかった。
問題視されたのは一般には実際的というよりむしろ象徴的に1877年、ドイ
ツ系ユダヤ人銀行家ジョセフ・セリグマンー家がサラトガ・スプリングの観光
ホテルで宿泊を拒否された時であるとされている。
この時から「紳士協定」――カントリークラブ、フラターニテイ、ビジネス・
グループや大学入学、就職などにまで及んだ――はアメリカの日常生活の一部
となった。
1877年という年は重大な年である。
ユダヤアメリカ人がとるに足らない少数派から人目に立つ少数派へと変った
その瞬間から反ユダヤ主義が始まったのである。


 今世紀初頭には、この問題はユダヤ人になんらかの対策を講じさせるほどに
大きくなっていた。1906年には金持ちのドイツ系ユダヤ人がユダヤ人委員
会(コミッティ)を設立し、ロシアでの大虐殺
の犠牲者を助けるために立ちあがった。
だが活動範囲は間もなくアメリカ国内にも及んだ。
その方法は秘密裡に「政治家らしい」やり方で、重要な説教徒に人種差別禁止
運動をするように説得することだった。


 1913年にブネイ・プリスが名誉毀損反対(アンチ・デファーメイション)リーグとして知られる
特別機構をつくった。
これは現在も親機構から資金援助を受けているが完全な自治権を持っている。
反対リーグの活動はユダヤ人委員会よりはるかに侵略的で開放的だった。
説得だけでなく、必要とあらば圧力さえかけた。
例えば、1900年代初頭の大手映画会社は、ユダヤ人悪役が登場する二巻も
ののメロドラマを大量に製作していた。
守銭奴で盗品宝石故買者のローゼンスタインが登場する映画で、両手をもみも
み冷笑を浮かべて哀れなキリスト教徒の未亡人や孤児のなけなしの金をしぼり
あげる筋書は日曜日の午後映画館に行くユダヤ人子供たちにとって啓発的なス
ペクタクルだった。
当時ユダヤ人の映画制作者は少なくてユダヤ人劇場主が多かった。
そこで反対リーグが劇場主にこの種の映画をつくっている映画会社をボイコッ
トさせ、ローゼンスタインとその同類は姿を消した。

1916年には最も好戦的ないわゆる「防衛機関(ディフェンス・エージェンシー)」が
誕生した。
ユダヤ人会議(コングレス)の公式目標は、ドイツ系ユダヤ人がユダヤ人委員
会を通じてアメリカの共同体生活に力を振るっていた「独占」を破ることであっ
た。
指導層は急進的で好戦的な東欧系ユダヤ人だった。
同会議は最初からユダヤ人委員会の「上部からの静かな説得」戦法を軽蔑してか
かった。
同委員会役職につけなかったせいもあったろうが、静かな説得戦法は迫力がない
と感じていたからに違いない。彼らはオールド・ヨーロッパ出の「ステート・ジ
ュウ」(政治的に
影響を及ぼせる立場にあり、ユタヤ人を代表してユダヤ人のために働く人
)――法廷で特権を
与えられているがためにゲットーのためにパンくずを乞うことができる抜け目な
く卑屈な仲裁者――を叩きのめした。


 実をいうと、1930年代初めまでは、この防衛機関なるものは理論上でしか
存在し得なかった。
機構も資金も貧弱だった。
しかしナチスの脅威がこの機構を強くした。
反ユダヤ主義が復活するたびにユダヤ人の間に奇跡が現われた。
反ユダヤ主義の中を生き残った人は強くなり統一されていく。
1930年代にはドイツ系ユダヤ人がロシア系ユダヤ人に情深くなるという奇跡が
起こった。
また共同体……アメリカ全体と同様に不況によって大打撃をうけた共同体から多額
の金を引き出させることさえできた。


 金はドイツで迫害されているユダヤ人の救済と国内の反ユダヤ主義運動に対抗す
るために使われた。
もちろん三つの機関もそれぞれ独自のやり方で動いた。
反対リーグは集会やデモを行なってナチスの恐怖を訴え、カフリン神父、ジェラー
ド・スミスやナチス支援の独米基金の取り締まりを教会側や新聞、政治家などに促
した。
ユダヤ人委員会は異教徒の指導層との単独交渉によって同様の効果を狙った。
ユダヤ人会議はドイツ製品をボイコットして経済的差別を強調して急進性を示した。


 戦争が終わって強制収容所の恐怖が暴露されると、アメリカのユダヤ人は反ユダ
ヤ主義闘争の戦術転換を余儀なくされた。
少数派のユダヤ人会議が主張しつづけてきたことがみんなにはっきりとわかるよう
になった――和解、説得では衝撃を与えることはできない。
行動が必要だった。
同会議は新戦術を率先実行した。
偏見を制御することはできまいが、差別を撤廃することはできる。
人の感情を変えることはできないが、行動を変えることはできる。
すなわち反ユダヤ主義と戦う方法は、影響力のある人たちに舞台裏で働きかけるユ
ダヤ人委員会のやり方でもなければ、ユダヤ人のイメージ改善PRキャンペーンの
スポンサーになる反対リーグの方法でもない。
法が変えられなければならない。
差別は法的に撤廃されなければならない。
絶えざる訴訟とアジテーションが必要だというわけである。


 同会議は医科大学における入学定員割当に対する大規模な攻撃を開始した。
偉大な指導者のステファッン・ワイズ・ラビは、ユダヤ人への入学定員割当は連邦
の免税違反だからコロンビア大学を起訴するとおどしたが、実際には起訴しなかっ
たし、その気もなかった。
「ちょっとおどすためにやっただけ」と同会議の幹部は語る。
しかし、そこには新しい挑戦姿勢が示されていた。
初期の頃の勝利は1948年ニュ―ヨーク州会議で効果的な公正雇用施行令が通過
したことである。
これこそ新しい戦術が功を奏したことを立証するもので、直ちに他の防衛機関もこ
の戦術を採り入れた。
もちろん最初は古い戦術を改めることを完全に認めたわけではなかったが、今日で
はためらうことなく新戦術をとっている。


 しかし古い戦術が完全に消滅してしまったわけではなかった。
1949年に反対リーグは古い戦術と新しい侵略的な戦術とを組みあわせて独自の
勝利を奪い取った。
彼らは大学におけるユダヤ人定員割当問題を攻撃した。
大学の管理当局と数回の会合を持った。
大学側は「定員割当などというものは存在しない。他の学校にはあるかもしれない
が当校にはない」という立場をとった。
反対リーグの幹部はこう言う。
「真っ赤な嘘を言っているものもいれば、そう信じて疑わない人もいました」。
同リーグは調査を重ねて事実をつきとめたが大学側が認めないことがわかりきって
いたので、世論分析の権威エルモ・ローバーに「独自」の調査を依頼した。
ローバーが反対リーグのファイルにあるのと同じ統計を手に入れ、大学側もついに
折れた。
「おかしくもあり悲しくもありましたよ」と反対リーグの幹部は言う。
「権威ある学士院会員ローバーの調査結果に対する反応を見るまではね」
衝撃から立ち直ると大学側は修正処置をとった。


 今日では侵略的手段も当然のこととされているので、反対リーグ、ユダヤ人委員
会そしてユダヤ人会議までもグループや個人を過激に批判することさえある。
ユダヤ在郷軍人会はこの種の批判をよく受ける。
ジョン・バーチ協会の一般講演会に同軍人会が野次団を送りこむのを防衛諸機関は
嘆いている。彼らは講演者を無視するやり方をとっているのである。
数年前に同軍人会はアラブの圧力でイスラエルとの取り引きを拒否したアメリカの
会社のボイコット作戦に出ようとした。防衛諸機関は協力しなかった。
「ボイコットって言葉は彼らには不正な言葉なんですよ」とユダヤ在郷軍人会側
は言う。


 新しい侵略的攻撃の結果、今日みんなが攻撃するキリスト教徒・ユダヤ教徒全米
協議会(ナショナル・コンファレンス)なるものが誕生した。
この協議会は1928年度選挙キャンペーンのアル・スミスに対するしつこい反カ
ソリック宣伝に応えて設立されたものである。
裕福なドイツ系ユダヤ人はこの協議会を支持した。ロジャー・シュトラウスも創設
者の一人である。
教育と説得によってのみ変化をもたらすことができるという基本主張が気に入った
のである。協議会はいまも同じ方針で活動している。
ピケをはったり訴訟をするかわりに教師の研修会を組織し、全国30大学のユース
・インスチチュートのために高校2年生と3年生を募集している。
参加した若者たちが各自の学校に戻って寛容の教訓を広めるというのが、その考え
である。
1943年に牧師、聖職者、ラビがすべて同じ演壇に並ぶ祭典を考えだした
イデアアメリカの慣習の一部として受け入れられるようになっている。
指導層は基本哲学に従って常に注意深く三宗派に割り当てられる。
議長がユダヤ人であったことはない。
この方針がユダヤ人に強い支持を受けている。


 時代が変わっているのに古いやり方を固守しているキリスト教徒・ユダヤ教徒
米協議会は、多くの好戦的な団体からあざけりを受けている。
特にこの団体の最も有名な発案である親善週間は冷笑の的である。
「そんな形で親善をやっても人種差別主義者に口実を与える結果にしかならない」
と批判者は言う。
協議会の幹部もその批判に気がついており、忍耐と寛容でそれに応えている――だ
が幹部の一人がこう言ってその苦虫をかみつぶしたような気持ちを表現した。
「もしわれわれが明日にでも親善週間をやめれば、あらゆるユダヤ人防衛機関がこ
の行事の奪いあいを演ずるに決まっている」


 同協議会を非難するのは簡単である。
運動も目を見はるような効果をあげたことはない。
ニュ−ヨークのように自由主義に好意的な州ではとりたてていうほどの影響も与え
られないで
あろう。
だがこの国……特に南部には、反対リーグが困難な戦いをすすめており、ユダヤ
委員会は金持ちユダヤ人クラブになってしまっており、ユダヤ人会議が足場を築く
ことさえできない地方がいっぱいある。
それらの地方でユダヤ人と体制派の意志疎通のパイプになれるのは、ユダヤ人協議
会だけである。


 好例がテキサス州フォートワースにある。
ここは億万長者で猛烈な反ユダヤ主義者のエーモン・カーターが牛耳っている。
彼は自分の新聞にライバル都市ダラスを「ユダヤ人街」と評した記事を載せた。
エーモンに他の異教徒たちがおどされていたため、同協議会は長い間フォートワー
スに組織がつくれなかったが、熱心でロータリークラブタイプの男をやっと見つけ
て小さな支部支部長を勤めさせることに成功した。
この男は町中を走りまわり、あらゆる人に会い、握手を交わし、有力者に媚びへつ
らった――要するにユダヤ人会議の面目をつぶすようなやり方である。
そしてついに異教徒指導層の幾人かを協議会主催の会費25ドルの晩餐会に出席さ
せることに成功した。
名誉ゲストには異教徒の中で最も影響力が強く親善の鑑としてはほど遠い男……カ
ーターを選んだ。
カーターは得意になり、他の者もいつかは同じ名誉にあやかれると期待した――そ
して親善晩饗会は年中行事化した。


 数年後フォートワースの事情は一変した。
反ユダヤ主義は演説から姿を消し、ユダヤ人はローカルクラブヘの参加を認められ、
ラビは学校や協会から講演を頼まれるようになった。
カーターが死に、息子のカーター2世が最近の親善晩餐会の議長を勤めた。


キリスト教側の活動的協力なくして、これほどまでの防衛機関の成功は望めなかっ
たことは言うまでもない。


 過去、キリスト教徒は反ユダヤ主義を別世界の連中のやること、狂人の
発作とみなしていた。
しかしナチスの大虐殺は、プロテスタントカソリックの聖職者の支持と
祝福を得て近代的で教育のあるキリスト教徒国家にもその残虐性が現われ
たということで彼らには大衝撃だった。
聖職者の支持が偶然的でないということは、反対リーグが最近行なった反
ユダヤ主義とキリスト教的信仰についての調査の結果立証された。
アメリカのキリスト教徒の25%は宗教教育の結果、反ユダヤ主義的意見
を持っている。
20%は少なくとも反ユダヤ主義的偏見があるとしてその宗教教育を責めて
いる。
この不愉快な事実が多くのキリスト教会側にキリスト殺害者としてのユダヤ
人観を含めた宗教上の仮説を再認識させることになった。


 この再認識の結果、異常事態が数多く起きてきた。
世界教会協議会ワールド・カンシル・オブ・チャーチ)は1948年にユダヤ教徒とキリスト
教徒の関係を改良する決議案を通過させてロ火を切った。
カソリックプロテスタントの教書は目下ユダヤ人に関連した否定的事項を
除去すぺく再編集中である。
ユダヤ教キリスト教徒の子供に説明する目的を持った新しい教書が発刊さ
れている。
ユダヤ教徒キリスト教徒関係の諸機関が全米で教育的な定期的ゼミナール
を開いている。
1966年にユダヤ人委員会はハーバードでキリスト教ユダヤ教に関する
国際コロキュアムを設けた。
世界中から第一線の神学者が100人出席した。
何十という大学でユダヤ教学科やユダヤ人研究講座が設けられているそれに
応えるだけのユダヤ教学者がいないほどである。
フォードハム大学では最近ユダヤ教学科の第一課程を教えるラビを指名した。


 ナチス反ユダヤ主義の評判を落としたのはキリスト教徒間だけではない。
ジョセフ・マッカーシー上院議員の反動主義的反共産主義にも当初は反ユダ
ヤ主義が混じっていた。
彼の支持者はユダヤ人はすべてアカだとひそかに話しあってさえいた。
やがて同上院議員は汚名をそそぐ方向へ傾き、若いユダヤ人法律家を
二人も主任調査員として雇った。
彼は巧みに時流を読みとった――マッカーシー時代には反ユダヤ主義の復活
はみられなかった。


 この新しい雰囲気が知的団体や大学内に顕著な現象を生みだした。
ユダヤ人らしさはいま快く受け入れられており、時には流行とさえ見えること
もある。
ニューヨークで開かれるオペラや重要な文化的集会で社交界で令名をとる婦人
たちが常にユダヤ人男性にエスコートされているのを目にすることができる。
彼女の母親たちにはその勇気はなかった。
イディッシュ語――憎しみのシュテットルの象徴――はもはや社会ののけもの
ではない。
最近出版されたイデッシュ語辞典は大金を投じて広告されている。
イディッシュ語が、ユダヤ人であるジェリー・ルイスからユダヤ人ではないジ
ョニー・カーソンにいたるまでのテレビの人気者のスピーチにピリッとした味
をそえる。
ハーバード大学評議員立候補者を取材するために大学院の代表がハーバードヘ
やってきた時の話である。
どの候補がユダヤ人か見きわめようとするのだが、そんな質問を直接するのは
いまや違法である。
取材記者には一つのことしか思いつかない。
イディッシュ語がしゃべれるかどうか聞くことである。
まず最初の青年に試みた。
するとこう答えられた。「ええまあ、ハーバードのキャンパスで困らない程度
には」
この話は信憑性は低いが何かを伝えている。


 ユダヤ人らしさに対するキリスト教徒の共感は、イディッシュ語のジョークが
好きという以上の結果をもたらした。
1956年以来、アメリカで3万人以上のキリスト教徒がユダヤ教に改宗した。
数都市で改宗者のための定期クラスを設けているアメリカ・ユダヤ教会衆連合で
はこの10年間で登録者数が25%増加したと推定している。


なぜ改宗するのだろうか?
8〜90%はユダヤ人と結婚するために改宗する。
とはいえ一世代前にはたとえ結婚のためでもこんな徹底的な手段をとる者はいな
かったろう。
今日では強制的に改宗させられる者もあるが(ユダヤ教徒になるのを拒むと夫が
気分を害したり、ユダヤ教徒の孫が欲しいと祖父が花嫁に頼んだり脅迫する場合
もある)、ユダヤ教に対する一種の好感が重要な要因となっているようである。
あるイタリア系青年の「ぼくはずっとユダヤ教徒といっしょだった。ぼくはユダ
ヤ人が好きだ。ぼくもユダヤ教徒になろうと決めた。いわばぼくの人間宣言だ」
という告白が一般的である。


 ここへ来て改宗率が高いのは、ユダヤ教がこれまで伝道宗教ではなかったため
である。
改宗者を拒否しはしないが水をさしてはいる。
改宗希望者にラビはユダヤ教徒に課せられるすべての重荷、義務、危険を細部に
わたって説明しなければならない。
それでも挫けなければ家へ帰ってよく考えさせられる。
再びラビのところにくると説得がくりかえされる。
こんなことが3回もあり、さらに徹底的研究を積んでやっと改宗が許されるので
ある。


 正統派はこの挫折過程にさらに凝ったことを加える。
たとえば正統派のラビは改宗をむずかしくさせようと思うと、古代からのありと
あらゆる屈辱的な儀式を持ちだす。
厳正な戒律どおりに婦人改宗者は儀式の水に首までつかり、浴場の外に立った2
人の学者の大小の戒律の問答の間、じっとしていなければならない。
生まれながらのユダヤ教徒よりも改宗者のほうがはるかに忠実な会堂参会者とな
り、安息日の守り手となるというラビの言はこれでうなずける。


 キリスト教徒のユダヤ教に対する新共感の徴しはほかにもある。
最近共有領域の対話がひどく増えていることである。
共有領域の対話とは、キリスト教徒とユダヤ教徒間の宗教的話題に関する議論で両
教徒が集まって互いの信念と行動を説明しあう試みをいう。
こういった議論はいろいろ異なった形式をとることができる――3人のカソリック
系の女子大生がカフェテリアで4人のユダヤ人学生と夕食会を持ったり、2人のラ
ビと2人の聖職者の話を教会の大講議堂で200人の聴衆が聞いたり、高位聖職者
とラビが静養地で週末を共に過ごしたりする。
こういったすべての対話は、会堂協議会からユダヤ人委員会にいたるさまざまの団
体の発案によるものである。


 キリスト教指導者からの要求が非常に高く「それに見合うユダヤ教徒の数が足り
ないくらい」だとユダヤ人委員会の相互宗教専門家のタネソバウム・ラビは言う。
 今日最も愉快な無所属派の一人アーサー・ハーツバーグ・ラビはこの対話につい
て重大で皮肉な事実を指摘する。
非宗教的な防衛機関のほうが宗教団体よりも激しく対話に関与しているというので
ある。
現在の対話熱は防衛機関側にとっては、自分たちの存在価値を確かめる手段以上の
ものではないというのがラビの結論である。
反ユダヤ主義との戦いは勝ったも同然で、防衛諸機関はユダヤアメリカ人から寄
付を集めるに足る新しい理由を見つけなければならないところまできている。
諸機関側はかつて「反ユダヤ主義からの防衛のために存在する」と言っていたがい
まや「『敵に』話しかけるために存在する」と言いたいらしい。


 正統派ユダヤ教側は対話に対してもっと重大で辛辣な攻撃をかけている。
アメリカのユダヤ教の全支部の代表で構成されている会堂協議会はこの数年間、キリ
スト教徒グループと高度な対話をする努力をしてきたが結局、正統派の委員を退場さ
せてしまった。
対話の評判には、ユダヤ教徒キリスト教徒間の神学上の相違点が取り除かれるよう
な印象を与える危険があるというのが公式の理由だった。
敬虔でないユダヤ教徒がそういった印象を持ってしまうというのである。


 ハーツパーグ・ラビは、正統派の抗議退場は事情が変わったことを裏書きするもの
にほかならないと意気まく。
20年前は正統派反ユダヤ主義に対する恐れから抗議退場などできなかったろう。
異教徒とのより良い関係をつくるために執拗に頑張ったろう。
しかし今日では正統派も自分たちの行為が対話を妨げはしないのを十分承知したうえ
で、対話を非難することで、キリスト教徒の誠意を確信していることを表現している
というのである。


 対話が参加した個々のキリスト教徒、ユダヤ教徒に与えた効果をうんぬんするのは
早すぎよう。
有望と危険が含まれているように私は思う。
有望の理由としては、異
教徒の善意と参加者の分別があげられる。
対話は注意深く知的に計画されており、一回や二回で興味がそがれるようなものでは
ない。


 危険の理由は、ユダヤ教徒キリスト教徒がそれぞれ違った動機で対話に参加する
ことである。
キリスト教徒はユダヤ教ユダヤ人の生活についてより多くのことを学びたがってい
る。
その罪意識ゆえにキリスト教徒は現在のキリスト教観に不満をもらす。
そしてキリスト教に関する考えを再認識させてくれるユダヤ教に価値観を見出そうと
している。
しかしユダヤ人の動機はもっと単純でキリスト教徒に反ユダヤ主義の終止符を打っ
てもらいたいのである。
キリスト教徒がこれまでやってきた害悪を認めて今後は止めることを願っている。
そのことに気づいていないかもしれない。
考えを交流し領域を広めキリスト教についてもっと多くのことを学ぶために対話に
加わったのだと心から信じているかもしれない。
だが、もっと打ちとけてくると、ユダヤ人が心から議論したい主題は反ユダヤ主義
だけになってしまうのではないだろうか。


 こういった姿勢も理解できないでもない。
ユダヤ人は常に傷つけられ、打撃を与えてきた人々との哲学や神学に客観的な興味
を見出すにしてはあまりにも苦汁をなめさせられ続けている。
とはいえユダヤ人は、相手側が耳を貸したいとは思ってもいない「対話」の究極の
効果について思いをいたさなければならない。


明日につづく