創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(695)コピーライター……現在・過去・未来(3)


 TCC(東京コピーライターズクラブ 会員誌 第3号 昭和38年10月10日号)より



(この4月に新入社したピチピチで空腹の雛鳥コピーライターたちの副読本にはなることを願って……。)

英語に堪能だった4人メンバーに感謝。




コピーライター…… 
現在・過去・未来


注意】 [現在]といっても、アメリカが「広告革命」[クリエイティブ革命]に燃えていた1960年代前期のこと。


彼は広告語と自分の言葉とを使う---

それらの言葉は製品を売り、サービスを促進し、広告の歴史を語る。
彼は歌いはやされることのないヒーローであり、匿名に慣れてはいるか、自分の才能が不時の免職処分になることにはぜったいに慣れまいと決意している(そしてそれは、お金とはなんの関係もないことが多い)。
彼は内部から認められたいのであり、またどんどん、認められつつある。


1 現  在(1)


カクテルーパーティーでその婦人は訊いた。
「何をやっていらっしゃいますの?」
彼は答えた。
「雑誌広告のためのコピーとテレビのコマーシャルを書いています」
「その他にはどんなことをやっていらっしゃいます?」
で、彼は答えた。
「それだけですよ」
彼女は言った。
「それでやっていけるとおっしゃるの? 変ねえ」
まったく変だ。
自分たち独特のやり方をとってみても……というのは、このコピーライターは、大多数のコピーライター同様、ジェイムス・ウェッブ・ヤング(トンプソンのベテラン・ライター、コピーコンサルタント)が説明するこの感じをよく知っているからだ―――
「よく、一気に白熱化して書きなぐったものが完全無欠の広告だったということがある。
それからまたこんなこともある。
骨を折り、苦しみぬいて、書き直し、推敲の結果、ようやく自分で満足できるものができる。どちらの場合も、できたコピーをちょっとした満足感と誇りを持って送りだすものだ。
その1週間後、2週間後、1ヶ月後に、突然、何かの印刷物でそれを見つける。
顔をしかめ、こう言ってしまう。
<うへー、おれがこんなもの書いたっけ?>」
欲求不満のコピーライターたち、しかも彼らはしょっちゅうそんな瞬間があると訴えるのだが、彼らはA・ハックスレーの引用が好きだ。
「あまり深く追求しない批評家にぶつかる程度によいソネット(十四行詩)を10も書く方が」とハックスレイは言う。「しかもその批評家たちがアドマンの問題についてはそんなに寛大ではないものだが、そんなソネットの方が批評的でない購買大衆2〜3,000人に打ち当たるより、ずっと簡単だ」
コピーライターたちの多くは、ソネットを書いていた方がいいと思っている。
彼らは代理店社長のレオ・バーネットが語るところの、彼らを苦しめているものは「二つの部分から成り立っている。インフェリオリティ・コンプレックスである。彼らは創造的な匿名人であると感じている。彼らは創造的に弁解がましいと感じている」
古いボードビルの言葉にあるように「劣っているのだから劣等感を持つべき」
コピーライターについては心配の必要もないが、コピーライター一般として見た場合には最も成功している人々をも含めて、多くの苦情の文集を持っている。
彼らは、代理店のままっ子のような気がすると公言する―――
アカウント・エクゼクティブのような偉い地位も、アートディレクターのような「クリエイティブな奇行」も許されてはいず、彼らがむしろ向いているそれら二つの方向からへだたったところにいるのであると。
彼らはTVのネットワークはコマーシャルの画面が出ないときには75パーセントを払い戻すのに、失敗したのが音だと25パーセントだということは、コピーの地位の低さを指摘するものと考えている。
彼らはいまだにアート対コピー戦とコピー対リサーチ戦で戦っており、これら二つのとりあわせは、百年戦争にも匹敵するほど長く代理店の中で荒れ狂っていたのだという。
彼らは、クライアントが満足しさえすれば、その広告がいかにクリエイティブであるかなどということはお構いなしのアカウントメンたち、そしてクライアントはといえば、良い広告を見たところでそれとは分からず、また代理店の高級将校たちが良い広告をファイルしてしまうコツを知っているので、クライアントが良い広告に会う機会というのもめったにないのだと、不満を洩らす。
奇妙なことには、コピーライターがあまり優位に立ったことがないという徴候が多く見られることである。
ライターが欠乏していることと、代理店が良いライターをひきぬくという話を合わせれば、コピーライター自身、自分たちは求められているのだと知らずにはいられない。
またもし、より高い地位に彼が上がりたいと思えば、現状では副社長になるチャンスは、およそ7対1の割合で彼の同僚のクリェイティブマンであるアートディレクターより優位に立っているのである。
さらに、クリエイティブな仕事を勇敢にもしているということで評判をとった代理店がこの過去10年の間に、ドラマチックに成長している。
上位25の代理店の社長の半数以上は前身はコピーライターなので、代理店の中には少なくともトップ・マネージメントが自社のライターの直面していることに対して敏感に違いないと思われるところがあるかもしれない。
そしてまた、ほとんどの代理店においては、コピーそれ自体はビジネスの中身ではないにしてもハートではあると完全に思われており―――それはマッキャン・エリクソンの社長であり、会長のエマーソン・フート(前Foot Cone & Beldingの店主)が、もしもう一度くり返さなければならないとしても自分はコピーライターになると言っているのも、広告社会の一つの事実なのである。
にもかかわらず、コピーライターは自分の価値が認められておらず、また正しく理解されてもいないと言う。
また、ライターは社会学者たちがグループ討議とか組織人会などと呼ぶものの犠牲の多くの一つであるということは明白である。
そのグループ研究とか組織会などはレオ・バーネット社のクリェイティブ・サービスを担当していて、最近は合衆国政府の貿易伸張計画のコーディネイターとなったD・ダニエルズが「アメリカのビジネスを今日の低・梯隊方式の経営会議を生かすことのできないようなアイデアに基づいてたてた輝かしい創始者たちが」「用心深く、監督の目を光らす経営陣……新しいアイデア以外のものなら何ものでも提供できるような美事な能力を備えた調査員やマーケティングの専門家……を持った彼ら」にとって代わられたと、呼ぶ環境である。
この、監督官式マネージメントは明らかに、感じやすいアドマンをひきつけてはいるのだが、一方、クリェイティブマンの神経の末端を特に鋭く衝いているように思われる。
なぜなら、クリエイティブマンの仕事はまさに、アイデアに負うものだからである。
典型的な例で言えば、コピーライターがつくりだすものは、自分の代理店のマネジメント・スーパバイザー、アカウント・スーバイザー、アカウント・エクゼクティブ、クリェイティブ・スーパバイザー、コピー・スーパバイザー、そしてまたクライアントの会社側では社長、重役連、広告部長、営業部長、販売部長、製造部長などなどの人々の偏見、思想、感情を反映しなければならない。
その結果、ダニェルズが言ったように、たとえ「我々がタイプライターと、より多くのアイデアを待った孤独の人々の必要について多くのことをきいていても、これらの言葉は厳密にクリエイティビティについての広告協定やセミナーのためのものなのである。
なぜなら実際には、タイプライターを持った男たちは多くの代理店ではひどい時間を過しているのだから」
「クリェイティブマンのひどい時間」についてはAEや媒体系のそれについてよりもずっと多くのことが書かれたり語られたりしてきた。
彼はほんとうにより多くの問題を抱えているのだろうか? 
あるいは彼がクリェイティブマンなので、そういうことをはっきり言うのがうまいのだろうか? 
たぶん、またクリエイティブな人間であるゆえに彼はドラマチックなもの、メロドラマチックなものに対する鋭い眼識力を持っているのである。
ちょうど、どこかの商店で社長から適当な代理店のモットーを探がしてこい、と言われ、ダンテの言葉−−−「ここから入る者すべて望みを棄てよ」を持ってきてようやく欲しいものを見つけた不満派のコピーライターのようにである。
クリエイティブの末端で働いたことのない代理店人は、慢性的泣き虫主義のことで、広告の問題を自分たちの芸術的手腕にゆだねることが不能(または不承不承行なわれている)だということで、また「クリエイティブ気質」と呼ばれているものに苦しめられているということなどで、コピーライターを定期的に責める。
この「クリエイティブ気質」とは、いうなれば、彼らは明らかに気むずかしい、ということなのである。
ライターたちは、これを別の角度から見ている。
クリエイティブ・プロセスの基本的な要素が直観だということはよく知られているのだが、コピーライターたちは一般に広告は、直観というものに疑いを持ち、ビジネスの流れの中に直観などの入る余地などないと思っているような、計算尺の分析に夢中になっている人々によって裁かれるのだという。
この2者が一致することは決してないのだろうか?
広告コピーのパイオニアで、いま95歳のコーキンスは、3年前にプリンターズ・インク誌でこんなふうに言っている……「良い広告とは、ひどく異なった二つのタイプの精神の産物である。それは、順序正しく組織的なビジネス精神と、自由に動きクリエイティブで創意ある精神とである。この質が二つ組み合わさっている場合はめったになく、あったとしても、不釣り合いにである」
これは問題の主要点かもしれない。
というのは、今日のトータル・マーケティングという概念からすると、コピーライターがこの二つの資質を豊かに備えていると思われているからである。
コピーライターはすべての広告が包含すべき、この二つの要素を理解し、また創造することができなければならない。
だが、ふつうのコピーライターは、コーキンスが秩序立ったビジネス精神と自由に廻転するクリエイティブ精神とよぶところの二つのものを合わせ持っているだろうか?
そしてまたそれは当然持つべきものであろうか、答えは?
現場でこの問題に携わっている人間次第である。
というのは、コピーライターが自分のひき出しに小説を入れておくのはいいとしても、代理店側は彼に、たまたま広告の仕事をしているライターであるよりは、自分の自由時間にたまたまもの書きになるというアドマンであれと願う変わった傾向が今日、強いのである。
「もし販売よりも文学の方がいいと思うなら、そしてまた販売結果を通してこのビジネスを面白いと思わないようなら、君は間違った職業ほ選んでしまっているのだ」
レオ・バーネット(写真)がコピーライターたちにこう語ったとおりである。
販売の優位性を認めることを拒む(少くとも公的に)ほどナイーブなコピーライターもいるにはいるが、その一方、彼らは広告を創るにあたって、販売結果以外のもの、すなわち、ただのセールスマンではなくアイデアマンが必要なのだということを認めることにいささかの喜びを感じともしるのだ。
なぜなら、広告のライターたちは、他の多くのライターと同じように、法外な作家たることの誇り、それからあるコピー・スーパバイザーのいう「トータル・マーケティング環境で働くことからくる、それらの欠乏感は、我々が呑まねばならぬ、最も苦い薬なのだ」
クロード・ホプキンズ(写真)のようなヒーロー・コピーライターの時代は終わった。
今やコピーライターは「チーム」と一緒に「球を投げあう」のである。
その証拠に、このスーパバイザーはニューヨークのコピーライターズ協会での経験を語るのだが、そこで賞を決めるために広告を囲んで集まったとき、幾つかの大代理店が自社の広告はすべてグループの作品なのだからとコピーライターの名前を一々挙げることを拒むのを見たというのである。
そこでグループの一員であるということはライターの仕事にどんな影響を与えているだろうか?
大方は、抑えつけられると感じているようである。
古参コピーライターで、ドナヒュー&コー社の取締役副社長のW・ウェアは、グループ製作において、ライターやアーチストが創造の圧力下におかれるなどということはないと感じている。
また、オグルビー・ベンソン&メイサー社のオグルビー会長(写真)のいうように「コミッティーは広告を批評することはできるかもしれないが、創造することはできない」のである。
コミッティーは広告を殺すこともあり得るし、コピーを書く人たちはみな、クリエイティブ審査委員会で自分の仕事がズタズタにされたレオ・バーネットのTVライターのように、この点については特にやかましい。
このライターは部屋を出るとき、こうつぶやいていた……
「今日のスコアはライオン3、クリスチャン0」
コミッティー・システムの問題点は、基本的には、コーキンスの用語によれば秩序立って系統的なビジネス精神によって、自由廻転のクリエイティブで発明好きの精神が裁かれることにある。
これはまた、ダニェルズが古き良き時代の聡明なアイデアマンたちにより神経の細かいチーム・マネジメントがとって代わったと言っていることがらを思い起こさせる。
古き良き時代の一例は、この有名な広告、N・ジョーダンが1923年にプレイボーイ自動車のために書いた「ララミーの西のどこかに…」というヘッドラインの広告である。
この叙情詩的な美質も当時としては急進的だったのである。
ジョーダンがすすめようとしているのは、馬、女性、自動車、あるいはワイオミングの不動産のいずれなのかを見ようと熟読させる程度にあいまいではあった。
だが、この広告はプレイボーイ自動車を大量に売った。
この広告が今日だったら惹き起こすだろうという風を、企画審議委員会の後でちょっとの間欲求不満の症状を呈したコピーライターたちの中の一人が書いている。
提出される広告は、ヘッドラインが「ララミーの西のどこかで」
バーネット氏は「これではララミーに何が起きたのか分からない」といい、ヤング氏は気にもとまらないという。
ヤング氏の評によれば「これではこの広告は、単にそこあるだけ、凡の凡」
グリーレイ氏は「ララミーの西に住む顧客へのアピールではこの製品の市場を著しく制限する」と指摘した。
ついでコールソン氏がつけ加えて「ララミーは大量市場地域ではない」と意見を吐いた。
バンクス氏は「これにはTVで売りようがない」と言った。
ヤング氏が提案し、ヘッドラインは「さあ……ボストンの西のどこかで」となる。
ヒース氏はこれを<さあ―――ついに―――ボストンの西のどこかで>と読むよう修正した。
それから、調査資料をもっと研究したあと、ヘッドラインは、<さあ---ついにボストン・メトロポリタン地区のどこかに>とすべきだということが暫定的な同意を得た。
さらにタイラー氏が、コピーライターは、一種の驚嘆をこめた代案を創るものなのだと言い、<オレゴン―――ポートランドの東のどこかで、そうです!>としてはどうかと提案した。

訳:小池一子さん


ララミーの西のどこかに…。
若い女性が、「プレイボーイ」という名の車を、あたかもあばずれ馬を乗りこなしているように運転している。


>>続く




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