創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

[6分間の道草](563)ジャック・ディロンの小説『アド-マン』(了)

(本邦初訳)



ほんとうの感じ


 現実を歪曲した物語かと訊かれたことは?


ディロン氏 そこまでは、ね。 ほとんどの人は、ぼくがいるDDBにつていて、ある程度の知識をもっていますからね。
その前提の上で答えていることでもあるし---。
ぼくにとって望ましいのは、ことの本質の信憑性を認めたコメントもらうことですね。
そう、書かれた広告代理店が、繁栄し、利益もあげたことの正当性を納得される---エドナ・ファーバーが書いたこととは正反対の、広告業というものの正統の書として評価してほしい。
舞台となっている広告代理店が、どこに似ているかでなく、あのような代理店を思い描いてほしいわけです。


 私の想像ですが、あの小説の中の広告代理がお好きなんでしょ?


ディロン氏言わせていただけば、ぼくはあのようでない広告代理店で働いていてこともあるということです。


 そうですね。主人のジム・ボウワーは、まさしくあなたですもの。


ディロン氏 そんな指摘もうけてます。経歴なんか、どれぐらい似せてるのかってね。
いくつかのインタヴューでなされた質問は、広告業界人の飲酒癖と不安との関連に関してでした。
ぼくが知っているかぎり、ほとんどの広告人は、昼の食事では飲まないってことです。
ぼくは軽く飲みますがね、ほかの人たちは飲まない。
飲んでもカンパリベルモット、白ワインをワン・グラス程度。だって、午後、しっかり頭を使わなきゃなんない仕事がひかえてるんだから。


 広告業にいる不安、あなたにはありませんか?


ディロン それそれ。なんとか抑えてはいます。だって、不安は、不安定な企業にいることから生まれるですからね、不安定じゃない企業といいえるのは少ないように思いますが。
まあ、不安定な業種だから、煌いて見せるのかも。同時に、高い年収がかせげるともいえますが。
しかし、年収を保証しているのは、保証いる社だけであって、そこで5万ドル(40年前の水準で)呉れたからとちいって、ほかの広告代理店がそれだけの年収の価値のある人物との評価をしてくれるとはかぎりません。
そういった恐れが、胃に潰瘍をつくらせているのかも。


 結末でのジム・ボウワーのひそやかな結論は、広告代理店から去るというのでしょうか?


ディロン とんでもない。
広告業は、ぼくがよく知っている唯一のビジネスですよ。
ぼくには、向いています。
それに、お金もたんまり入りました。
広告を創る仕事はうまくいっています---いまはポラロイドを担当していますが---。
いっしょに働いている人たちも申し分ありません。
ほかの仕事につくなんてことは、考えられませんよ。


 言わせてください。この小説に、弱い部分があるとすると、妻とのかかわりあいですね。私には、ボウワー夫人は存在しないに等しいみたいに思えたんですが---?


ディロン 打ち明けましょう。書いたのは、本になったものより3割方、多かったんです。(補;それで、ボウワー夫人のヶ所をほどんど削ってしまったんです)


セクス・シーンは抜き


 冗談めかしていいますと、かまつてくれない夫の変わりに、恋人をつくった44歳の妻---なんて想定をしてみたんですよ。


ディロン なぜ、セックス・シーンを抜いたかといいますと、描いた舞台を保険業界にとっていたら、秘書とできてしまって---なんてシーンを挿入できたでしょうね。
だって、みんな「あらあら」と驚きますからね。
広告業界を描いた小説で秘書とのラブ・アフェアのシーンに出会っても、読み手は、「広告業界なら、どうってことないでしょ」でおわりです。
実際にはそんなことはほとんど起こっていないのに。
しかも、小説の価値を低めてしまいますよね。


 話題を、周囲の人びとの反応へもどしませんか?


ディロン ビル・バーンバックの言は、こうでした。「君がはやばやと、ぼくを第1章で殺してしまった理由は、わかっているよ」
ヘロムート・クローンは「ぼくは、自分をブルック・パーカーと呼んだことなんか、一度だってないぜ」(補;そういう登場人物に擬せられているのでしょう)
出版社へきている風評では、ヘルムートに擬した人物がもっとも魅力的なキャラクターだってことですがね。
読み手はみんな、あの人物が好きだったのです。
それから、多かった質問でいうと、「ジョージ・ブリスのモデルは、誰?」でしたね。
(注;想像するに、ジョージ・ロイスがモデルでしょう)。
一切、答えていませんがね。
あえて、答えると、彼は、DDBにはいない、としかいえません。


 私が聞いたところによると、そのモデルの人は、ディロンさんがほかの広告代理店時代にいっしょにいた人だってことでしたが---。


ディロン ぼくも、2、3度、そんなこと耳にしましたがね。
こころ苦しく思っています。


 ほかに、モデル問題では?


ディロン 英雄的人物が、デヴィド・ライダー(注;DDBの古参コピーライター)にそっくりだと、よくいわれます。
それから、ルディー・デ・フランコは誰がモデルってしばしば尋ねられます。あれは、合成人間なのに(笑)。

 
 本の反応によって、手を入れたいってところがでてきましたか?


ディロン いいえ、ありません。だって、書きたかった小説ですからね。まあ、この1年のあいだ、読み返して、書き直したいとおもう箇所が出るかもしれませんが、いまの段階では、まったくありません。(了)


       ★     ★     ★


昨夕、約30年つづいている集まりに出席しました。集まりは「昭和初午会」といい、昭和5年(1930)生まれの男性(女性は拒否)がメンバー。昨夕はほとんどが顔をみせ、21時まで話に花がさいた(病気と入れ歯と孫の話は厳禁のルール)


参会者:金子氏(元内閣情報室長)、鎌倉氏(宮内庁長官)、唐沢氏(自民衆議員)、日下氏(評論家)、佐々氏(危機管理評論家)、谷川氏(元自民衆議員)、堀内氏(前自民衆議員)、三宅氏(政治評論家)、小生
欠席]:竹村氏(評論家)、渡部氏(上智大学名誉教授)


全員に日下氏が出たばかりの新著『日下公人が読む 日本と世界は、こうなる』をくださった
この人の主張しいつも新鮮なので、帰りの電車と寝床で半分読了
同書によると、250年つづいた近代化の時代がおわろうとしており、[静止経済][静止金利][静止人口][静止技術]の時代にはいるだろうと。


この視点おしすすめていくと、市場はふくらまないパイの取り合いになり、広告は、心の奥底へしみこむような良質のものだけが勝つ---といえそう。
まさに、このブログの趣旨でもある。


       ★     ★     ★