創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(528)アーノルド・ヴァーガ氏の新聞広告


『ニューヨーク・アートディレクターズ・クラブ年鑑 第43回展』を洋書古書店で手にとったatsushiさんからのメール。
『年鑑の巻頭---この年の金賞としてカラーであなたの原稿が載っているのは、どういうことなんですか?」


第43回展の年鑑は、1964年に刊行されました。
金賞をうけたのは、ピッツバーグに住み、そこの小デパートCox'sの新聞広告を創りつづけている大御所アートディレクターのアーノルド・ヴァーガ Arnold Varga氏で、ぼくではありません。


右下の、C/W フランク・ハラー Frank Haller氏の手になるコピーを読んでみましょう。


ミキスポート(ピッツバーグ近隣の町名)はけっこう
知名度があがりましたよ。
日本の『ブレーン』誌1963年10月号に、私たちの店---
Coxと広告が紹介され、高く称賛をうけたからです。
私たちが太平洋をこえて日本へどのようにして届けたか?
簡単。この雑誌に寄稿しているある筆者が、ハイセンスの例を
読者に示すために世界中から素材を集めているんです。
もちろん、私たちだって、この記事を読んだ日本の読者が、
わざわざCox店へ来はしないとはおもっています。
だからといって、私たちは残念がってもいません。
私たちのお客さまのテイストの良さが誉められたんですからね。


McKeesport has become a bit more famous. In the October, 1963 issue of a top-notch Japanese magazine called "Brain", Cox's store and its advertisements were written up and highly praised. How did we get all the way across the Pacific to Japan? Easy. The Japanese editors of this magazine gather material from all over the world to show their readers examples of good taste. We're sure none of their readers will 'come all the way over here to McKeesport to .hop in Cox's. But that doesn't bother us. People here have good taste, too.


つまり、1963年10月号の『ブレーン』誌にヴァーガ氏がアートディレクションをしている小売店の1ページ新聞広告の数点を、グッド・テイストの参考例として紹介したことが、そもそものおこりだったんです。


数点---もちろん、ヴァーガさんに手紙を書いてプルーフ(清刷り)を送ってもらったのです。
このことが機縁となり、4年後に、「ピッツバーグのA/Dの神様的存在」とあがめられている
氏をダウンタウンのオフィスに訪ね、ちゃっかり、昼飯をご馳走になりましたがね。


上掲の「日の丸」広告の日本文に引用したコックスの広告は、


手が嫉妬(やきもち)をやくほどの靴。

第6回ピッツバーグADC展受賞


あまりにも衝いているので、『テレビ朝日』のある機関紙に[コピーライターの目]という連載エッセイで、


コピーライターをどれほどの年数やったろう? 30年は越している。
実作者としてアイデアをひねりだす一方で、海外のすぐれた広告からあれこれ学んだ。
「手が嫉妬(やきもち)をやく、すばらしい靴」はA・ヴァーガ氏が地元ピッツバーグ近郊の小デパート----コックスのためにつくった新聞広告で、図版をじっくりみていただくとわかるが、靴を履いているのは女性の手。
ガツーンとやられた。
ヴァーガ氏はぼくより四歳年長。ピッツバーグの広告代理店のクリェイティヴ・アート・スーパヴァイザー時代の作。
氏に会ってみたくてピッツバーグヘ飛んだ。
市の中心部、オハイオ川にアレゲユイ川が合流してできた中洲を見下ろすレストランで食事をしながら話した。
「ニューヨークなんかへ行ったら、才能が干あがるまでこき使われるからね」
と笑った。
東京で小さな広告制作会社を運営して忙しがっていたぼくは、赤面してうつむいた。
ピッツバーグは製鉄をはじめとする重化学工業都市で、オハイオ川の船の往来もはげしい。
でも、街を一歩でるとキジが車にぶつかってくるような雑木林がつづき、自然がふんだんにのこっている。
が、地方の時代らしく米国の地方都市がこれほどさかんに紹介されているにもかかわらず、この街を舞台にすえたミステリーを読んだ記憶がない。
それはともかく、「手が嫉妬をやく靴」のようなコピーに出会うとぼくは、置き換えゲームをしてしばらく遊ぶ。
「足が先につけたがる時計」100点の30点。「補聴器が妬きもちをやくほど軽いプラ・レンズ眼鏡」10点。「喉にもまして目が歓喜するカクテル」15点。
嫉妬……ねえ。漢字のどちらの部首も〔女〕だが、現実には男性にも共通してあらわれる精神作用だ。
会社などの組織での抜擢された同僚への陰湿な嫉妬心は男のほうがすさまじいかもしれない。
嫉妬がらみの殺人は現実社会で多すぎ、珍しくもなんともないためか、ミステリーではかえって少ないような気がする。
過去の作家になってしまったが、1959年にMWA(米国探偵作家クラブ)から最優秀処女長編賞を贈られたH・スレッサーの『グレイ・フラノの屍衣』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は、女性の嫉妬で連続殺人がおこなわれた少ない例の一つだろう。
主人公はニューヨークの広告代理店のアカウント・エグゼクティヴ(AE。得意先担当責任者)。
業界用語のAEを会計部長などと訳している小説も少なくないが、アカウントは口座のこと、勘定と書いては正確でない。
スレッサー自身がニューヨークでコピーライターをやっていたこともあり、各章には歴史的な名コピーといい伝えられてきた小見出しを立てている。
たとえば、「純度99・44%」はアイヴォリー石けんが1882年から使ったもの。
「触れたくなるようなお肌」は1911年のウッドバリー洗顔石けん。
「ゆめご婦人の力を過少評価するなかれ」は雑誌『レディース・ホーム・ジャーナル』のもの。
そして「ボタンを押せばあとは引きうけます」がコダックの1890年の広告で、同社始まって以来もっとも効き目が強かったヘッドラインであることを知らないコピーライターは、もぐりだ。
(以下略。なにしろ、20年ほど前に書いたものなので、筆の横すべりはご容赦)。


私たちは、コックスの夏の1/2、1/3、1/4の値下げのクリアランス・セールを劇的にするためにバイの切れはしの写真を使おうとしたのです。が、間が抜けていました。 で、食べちゃいました。ほら----一つのバイから)/2、1/3、I/4をとることはできないのです。


見切品セール----なんて、コックスでは馬鹿げたことだと思っています。
見切品なんかを欲し人が、いるわけないでしょう? だから、
私たちはファッション・セールしかしないんです。


(注;見切品セールは、本来は焼け残り品セールのこと。写真は火災報知器

NY=ADC金メダル


ファッションは変わるが、女性は変わりません。
90年前、メアリー・アン・コックスがここ、ミキスポートに
初めて彼女の店を開いたときと同じように、現代のご婦人連
もやっぱり最高のファッションを求めるためにコックスへ
いらっしゃいます。


注;白インクにピンクをのせている。

(『デザイン』誌 1963年9月号に寄稿したエッセイから)
■ヴァーガ氏のプロフィール


全米のアートディレクター組織であるNSAD(National Society of Art Directors)から、'59年の「アートディレクター・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた、アーノルド・ヴァーガ氏は、当時33歳。ピッツバーグのケッチャム・マクロード&グラブ代理店のクリエイティブ・アート・スーパパイザーであった。
受賞の翌年、BBDOへ移った。
ピッツバーグ市はペンシルヴェイニア州の西部にある大工業都市である。鉄鋼(USS)、電機(ウエスチングハウス)、軽金属(アメリカ・アルミニウム) などの本社と主工場が所在している。
従って、ヴァーガ氏を語る場合、これらの重工業企業の広告キャンペーンと切り離すわけにはいかない。現にU.S.スチールの企業広告をBBDO社で制作し、ピッツバーグ・アート・ディレクターズ協会第6回('63年)展でも数多くの賞を得ている。
彼のもう一つの功績は、小売業広告に新境地を開拓し、その質的水準を高めるのに大いに貢献したこと。
その功績が認められて「アート・ディレクター・オブ・ザ・イヤー」が贈られたと見るほうが、より正しいしいようである。
アーノルド・ヴァーガ氏は1926年9月29日、ピッツバーグの近くの町ミキスポートで生まれた。両親ともハンガリー系。ピッツバーグにあるカーネギー工芸学校でアートの学習を積んだ。1946年(20歳)のとき、生まれ故郷のミキスポートの小さな洋装店のためのデザインの仕事をしたのがこの世界でのスタート。いまや伝説になっているが、当時彼は、靴屋の店員をしながらその仕事をつづけた。そして驚くべきことに、この洋装店の新開広告をつい最近まで創りつづけたのである。洋装店の名は----コックス(Cox's)
正確にいうと、ヴァーガ氏がコックスの新聞広告に手を染めることができたのは1954年(28歳)からである。それにしても、9年間(途中1年間、コックスが全国的に広告を止めた期間を除いて)、彼は創りつづけた。そして、昨年、ある事情のためにコックスの広告から手をひくと、今度はピッツバーグの洋服・洋品デパート----ジョセフ・ホーン(Joseph Horne Co.)のためにすばらしい広告を矢つぎぼやに制作している。
『グラフィス』誌の"Who's who"によると、ニューヨークADCから四つの賞を、シカゴADCから八つ、AmericanInstituteofGraphicArtsから11、ニューヨーク・タイポ・ディレクターズ・クラブから九つ、クリーブランドピッツバーグのADCから45の賞を得ている。
NSADの「AD・オブ・ザ・イヤー」に指名された1959年には、ピッツバーグの青年商工会議所からMan of the year award in art"を受けている。
アートディレクターであり、デザイナーであり、アーチストである彼の個展は、シカゴ・タイポグラフィック・アーツで1956年に、ピッツバーグカーネギー工芸高校で1959年に、ニューヨークのフルブライト美術館でそれぞれ開かれた。
作品は、ピッツバーグカーネギー工芸高校と近代美術館の永久コレクションに入られている。


操り人形にはならないで生きた人間になって下さい。
まっすぐコックスへ、ご自分の力で入っていらっ
しゃり、クリスマス贈りものをお求め下さい。


(注;操り人形はピッツバーグの特産品)


バレンタインの贈物は、心のこもったぴったりのものを----
1872年からこのかた、思慮深い人びとは、コックスで買ってきました。
当地に長くお住まいなら、お父さんもきっと、お母さんへの贈物を当店
でお求めになったはずですよ。


ヴァーガ氏の添え書き;クライアントはこれを好まなかった


ミリセントさん、どこで帽子をお求めになったのですか?
彼女は小さな娘のころから、みんなにそうきかれてきました。
彼女は毎春、コックスで買ってきていたのです。
さあ、ことしもその季節が来ました。


C/W Irma Koval


(ヴァーガ氏のコメント;復活祭のためのこの広告を切りぬいて額装している人が多い)



進め! 色を投げ飛ばせ。コックスはやった。そして----あなたの心を舞いあがらせるような
春のファッションを、あなたのために集めるのは楽しかった。
ソフト・ピンク、ショッキング・ピンク----。


C/W Generieve Vilsack
(ヴァーガ氏のコメント;私はとくに気にもとめなかったのだが、この広告が掲載されるや、ちょっとしたセンセーションが起こった)



すばらしい(blg)、すばらしい、すばらしい風味のいちごアイスクリームのある店---ホーン。
すばらしさを絵にしてみました。


C/W Ben Doroff
(1ページ広告です)


真冬に西瓜? これは、ことしの大日標を すでに達成させて下さったお客きまへの
お礼の配当金のつもりなのです。


(ヴァーガ氏のコメント;1957年1月30日ミキスポート新聞に掲載した広告のため、前夜から客が並んだ。米国とカナダにおける年間最優秀広告50に選ばれたコックスの3点の中の1点)


広告を楽しむためだけにを読みになったことがありますか?
おありですね。コックスの広告は、あなたを楽しませたり,
誘いかけたり、心をなごませたりします。
これがコックスの信条です。だから『プリンターズ・インク』誌
が、ハサウェイ・シャツの広告とともに、コックスの広告を最も
すぐれているとものとして選んだのです。


C/W lrma Koval


(ヴァーガ氏のコメント;1956年9月25日のミキスポート新関に掲載のこの広告は、私のコックスのための広告に対する哲学を表現していると思います)。