創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(443)トミ・アンゲラーとの対話(10)

CBSダイアリー



42丁目西220番地(つづき)-------


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トミとの対話は、快調なテンポではかどった。
トミは、ちょっとだるいような声の調子で、よどみなく質問に答えてくれた。
見方によっては、口から出まかせ、頭に浮かぶことを、パッパッと反射的に言葉にしているようでもあった。
だからといって、語られている内容の意味が軽いというのではない。
その反対である。


トミの口からセリーヌの『夜の果ての旅』・・・が出た時、「コレハ、タイへンナコト二、ナッタゾ」と思ったぐらいである。


1894年にバリ西北方のセーヌ河畔の都市クールブポワに生まれ、1961年7月1日に卒した時には、戦犯文学者の理由のもとに教会から葬儀を拒否され、墓石には---ノン---ただ「否」という文字だけを記さしめたセリーヌ


そして今なお、アカデミックな文学事典は彼のための解説を記載することを肯じない「呪われた作家」。さらに困ったことに、日本ではセリーヌの名を記しただけでは、ほとんどの人に異様な響きを伝え得ない。フランス本国においても・・・多分。
「私に大きな影響を与えた作家は、ルイ・フェルディナン・セリーヌだ」とトミは言った。
トミを理解するためには、セリーヌと彼の第一作『夜の果ての旅』について若干の解説を加えなければなるまい。


マルセル・エーメは「消毒済みの新聞記事と、審美的作家の文章を読むことに慣らされ、かたい食物は受けつけない縮まった胃を持っている」(生田耕作/大槻鉄男訳。中央公論社版「世界の文学」42)人びとには、セリーヌは消化不良と曜吐をもたらすだろう-・-とまで言っているそうだ。


「『夜の果ての旅』はきわめて分析困難な書物である」と、訳者の生田耕作氏は前置きして、「フランス文学の系列のなかにこの作品の位置づけを試みることは、不可能である。従来のいかなる作家の、いかなる作品ともなんらのつながりも持っていない。いわばフランス文学の正道を踏みはずした異端児にもたとえられる」と言っている。


たしかに、解説することはむずかしい。第一次大戦に志願した医学生フェルディナンは、戦闘に直面するやたちまち戦場から逃亡することを考え、負傷して病院に送りこまれると今度は、愛国心からの逃亡を心がけ、除隊になって渡ったアフリカのコンゴでは野蛮からの逃亡を策し、夢に見た米国を訪ねたあとも、デトロイトの売春婦モリイの愛情から逃げ出す決心をする。
逃げることのみが主人公フェルディナンの主体的行動である。
彼の目にうつる現実の一切は虚偽であり、敵であり、不合理なものであり、無意味であり、絶望的なものだ。
それらはフェルディナンによって価値をはぎとられ、ツバをはきかけられ、罵倒される。まさに「八方破れの抗議文学」である。そこには、フランス文学伝統のユマニズムなどという救いは,かけらほどもない。読後に残るのは、言いようのない疲労感と生きることに対する嫌悪感だけだ---と言ってもいい。


1932年に刊行された『夜の果ての旅』をトミがいつ読み、どこに共鳴したのかは聞き洩らした。
けれども、私は推測する---・。もし彼がモロッコへ派遣される前に読んだと仮定すれば、「士気を鼓舞するために分隊単位の兵隊の銃殺」を命令する戦争の無意味さを暴露した前半部だけで、少年時代に戦争の恐しさを身にしみて感じていたトミ青年の心をとらえるに十分であったはずだ。


ロッコの砂漠の中で読んだとすれば、それに加えて、アフリカにおけるフェルディナンの体験がトミ兵士の共感をよんだに違いない。
熱帯病に苦しめられながら、黒人たちからすべてを騙しとる白人たち。そして、部族同士の殺し合いの合戦のあと「血まみれの人肉の龍を百以上もぶらさげ、部落へぱくつきに引き揚げて」くる蛮人たちの去勢された無気力さ。
ロッコでの気候不順から得たリウマチと肋膜炎の治療のために本国送還になって入院していた頃に読んだとすれば、戦場から逃避するためには---アフリカの灼熱とマラリア蚊とハイエナから逃げだすためには、病院以外にはないと思いこむフェルディナンの考えに同感したことであろう。


ストラスブールに留学していたアメリカ娘(トミの最初の結婚の相手)とのいっしょの旅行中に読んだとすれば、フェルディナンがパリの陸軍病院でものにした米国人の志願看護婦ローラについて「かくも大胆な魅力と、かくも誘惑的な精神の飛翔をそなえた肉体の生産に適した国(アメリカ)であれ、ほかにもまだいろいろすばらしい新発見を、むろん生物学的意味でだが、提供してくれるにちがいない」と米国に期待し、やがて失意を味あう末梢的くだりにも、実感したかも知れない。


ニューヨークに住みついてから読んだと仮定すれば、「ニューヨーク---それは、突っ立った街だ」「ヨーロッパでは・・・そいつは、街は寝そべっている。海辺に、あるいは河岸に、それは景色に沿って身を横たえ、旅人を待っている。ところが、こいつは、このアメリカ女は、身をまかせたりはしない・とんでもない、それは、そこにしゃちこぼって立っている、いっしょに寝る余地などありゃし`ない」という心象描写で始まる米国批判にも共鳴したことだろう。
しかし、いつトミがセリーヌを読んだかを推測してみてもはじまらない。
要するにトミは、セリーヌによって大きな影響を与えられたことだけは事実なのである。どんなふうに---?
こうだと思う。それは、少数の価値ある小説が読者の観念をはっきりさせる、例のやつだ。
読む、すると、それまで言葉にまではなっていなかった観念が、小説の中の文章に、まるで磁石に砂鉄が吸い寄せられて、まつわりつき、形をとり、磁力線の姿を浮きぼりにするように、言葉に合成され、自ら動きだし、読者白身の血液に溶けこんで体内をまわりはじめ、細胞のすみずみにまで彦透するのである。
セリーヌによって、トミは反抗すべきものを、戦争、姉たちの精神的横暴、アカデミズムから、存在するあらゆるもの、わけても「人間」に向けた。
トミの絵が---思想を持ちはじめる。
そして、広い世界に踏みだしたのだ。


エドワード・カミングズについては、彼の長編小説『巨大な部屋』を読んでいるにすぎないので、詩人としての彼、画家としての彼について語ることはできない。
1922年に出版された『巨大な部屋』について、アラビアのロレンスとして高名なT・Eロレンスは、「英国で『巨大な部屋』を出版することは、穏和な出版者にとっては光栄ある冒険だろう(これは強烈な本である)。この本は最初に作家たちが買うだろう。なぜならきわめてすばらしい本だからだ」(飯田隆昭訳。思潮社)と激賞したそうだ。
内容は、第一次世界大戦中のフランスの収容所に、好ましからぬ志願兵として監禁された米国人青年カミングズの体験をとうして語られる、反戦、絶望、崩壊感覚の文学である。


アヌイの戯曲については、すでに多くの人がご存じのように、悲劇は心理や性格によって起きるのではなく、他に還元しえない原理あるいは現実の対立によって起きることを主張している。
したがって、本質的には、救いのないドラマである。


サルトルについては、私が解説するまでもない。


1927年、ドイツ生まれの作家ギュンタ一・グラスについては、今のところ邦訳作品がないので(『ブリキの太鼓』の邦訳は集英社版「世界文学全集」に予定されているが)、解説書を頼りにする以外に方法がないが、幼児期に頑を強打して成長の止まった石工の日をとおして、俗世間に対する作者の抵抗を示した小説が、彼の代表作『ブリキの大鼓』だそうだ。
こう見てくると、トミの好みは正統派文学全集には収まりそうにもない作家に集っている。
かといって、特殊な数寄者だけが愛玩する種の作品ではない。
強烈な毒を持つゆえに、微温的な、ホーム・ドラマ的な読者には耐えられない、ほんとうの文学作品、野性のままの(飼い馴らされていない)小説である。
強烈な毒、一ト口でいえば反逆の精神、これだ。


>>(了)





>>(了)