創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(439)トミ・アンゲラーとの対話(4)

考える早さで描く------


あなたは言ってみれば病気なのよ・・・・・・
いつももっとなにかを知りたいという望みで卜・・・・・・
      ルイ=フェルディナン・セリーヌ「夜の果ての旅」より


アイロンのふくろう Iron-Owl


     ●


母は、トミに家業である天文時計工場を継がせる、ための勉強をさせようと、彼が15歳の年に、ストラスブールの生家に帰ってきた。
娘たちはすでに嫁ぎ、長男のベルナールは大学生活に入っていたので、伝統ある家業を継ぐ可能性は トミ忙しか残っていなかった。
彼女の計画によれば、この街の意匠学校にまず入学し、その後はバリの美術学校で技術を磨いてくれるはずであった。
彼女は、注意深く、慎重に、トミの気持を、この彼女の予定のコースへ向けさせようと計った。
しかしトミの心は、機械いじりにはなかった。
彼は、「絵だ、絵だ」と主張したという。
なぜ彼が絵に自分の将来をかけようと決心したのか、だれにも分からない。
また、それまでの彼がだれについて絵を学んだかも明らかではない。


私の想像だが、幼年期から少年期にかけての彼の絵が、よく整理されて残されていることからみて、家族の者みんなが、彼が描くたびに、もしかすると「画家になったらいい」などと無責任におだてたのかも知れない。
あり得ることだ。


そして、彼女たちの無責任な、その場かぎりの発言が、トミ少年の心に深く刻みこまれたのではあるまいか。
母親が、トミに彼女の計画を打ちあけた時、少年はこう言いきった。
「ぼくにはぼくの人格があり,自分の個性を持っている。ぼくはそんなシステマティックな勉強をしたくない」
この時、 トミが、どのような勉強方法をのぞんでいたのかも分からない。
いろいろ議論しあった末、2人はある妥協点に達した。
そして、トミはひとまず、意匠学校に入学したのである。
ところが、ここでもトミは反抗精神を爆発させてしまった。
こんどの対象は、古びた、権威主義的な授業内容に向けられた。しかし、この時の反逆は、それまでの姉たちへの精神的な反抗、ナチに対しての描くだけの抵抗とちがい、現実の相手があった。
反動は、たちまちにして彼を打った。
放校処分になったのである。


トミの兄嫁の父にあたる、建築家のフランソワ・へレンシュミット氏が語るこの頃のトミは、すこし違う。


トミのティーン・エイジを語る伯父の建築家シュミット氏。(ストラスブール市ラペー通りの事務所で)
Mr.Francois Herren Schmidt, an architec, rememberinhg Tomi's younger days.


氏は「実際にトミを知ったのは、彼が18歳だった時からだが---」と前置きして、「それ以前のトミについては、コルマールの学校で規制された学校生活にどうしてもなじめなくて、非常な反抗をやって放校処分にあった当時の彼を見たことはある」と語った。
最初の放校処分にあったのが、母の話ではストラスブールの意匠学校であり、シュミット氏の記憶ではコルマールのリセになっているが、この記憶のくい違いにたいした意味はない。
いずれ完全な彼の年表がだれかの手で編まれるであろうから、その時に正確になるであろう。


そのあと、シュミット氏は、意匠学校での放校処分について、「あの学校の校長は、きちょうめんで権威を重んじる老人だった。トミの特異な性格、秀てた天分は、校長のそうした性格と相容れなかった。トミは、校長になってしまったのですよ」と笑って、「トミは、なんでもできたのです。デッサンもできれば、彫刻もできた。だから、級友たちがトミを先生扱いにして、彼に教えを乞うたものだ。おまけにトミは校則にしたがわない。そこで2年後には放校処分になってしまった」と語った。


推測では、放校事件は、トミが17歳の時であった。
その前年の16歳の年に、トミは最初のヨーロッパ旅行をしている。
旅行先はスイスとドイツである。
この旅行が、休暇を利用してのことなのか、あるいは古めかしい授業内容にあきあきして逃げ出したものなのかは分からない。
また、旅行の目的が、彼の少年時代からのもう一つの夢であった地質学の研究---というと大そうに聞こえるが、実際は石集め程度のもの---を発展させるためであったかどうかも不明である。
とにかくトミは、アルザス以外にも広い世界とさまざまな人種がいることを肌で感じとったろうと思う。


ところで、シュミット氏の言葉の中に、気になる文句がある。
「トミは、デッサンもできれば、彫刻もできた」
の一節である。


氏の記憶によると、意匠学校の生徒だった頃のトミは、学校の帰り、ほとんど毎日のように氏の建築事務所兼住居であるラぺー通りのアパートに遊びに来ていたという。


氏はトミの才能を高く評価して、トミに画家になるようすすめてもいる。
シュミット氏の表現に従えば、
「トミは自分の手を使ってできることは、当時からなんでもできた」
少年であったという。


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モンタージュ作品【Part1.】


ブリキの河馬 Can Hyppo




ねずみ Rat




ル Ru




ブルジョアの足 Pied De Bourgeois


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