創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(437)トミ・アンゲラーとの対話(2)

とにかく、ピカソのように多彩・多芸・多案・多忙な仁だ。
電話で受け答えしながら、机上の白ケント紙にはマンガを描いている。


ニューヨークのアトリエで。38歳くらいのころ。(1969?)


タツムリに追い抜かれないように−−−−−−−−−−



彼は多くの世界に住んでいる。
どの世界のことなんだ?
     -----エドワード・E・カミングズ「巨大な部屋」より-----


     ●


トミは、1931年11月28日の夕方の3時30分ごろ、産院で生まれた。
母のアリスは、「秋のもやが街をつつみ始めた頃」と美しい表現で懐古しているが、そんなことはなんの意味もない。


晩秋のストラスブールの夜は早い。
4時には灯が入り、長い夜の来訪を知らせる。


けれど、生まれたばかりの赤ん坊にとって、夜が長かろうと短かろうと、どうってことはない。
「生後1時間のトミの瞳が、すばらしくきれいに澄んでいて、それは『いったい、ポクはここでなにをしているんだ』と問いかけているようだったことが忘れられない」
母は、こう、35年昔のことを語ってくれた。


ストラスブール市ルソー通りのトミの生家
Tomi's parents' home at J.J. Rousseau, Strasbourg.


親たちが、生まれたばかりの子供にどのような意味を発見しようと、それは彼らの勝手である。
期待をかけたのであれば、ことは別だが。


それよりも、トミが、代々、天文時計の製作を業とするアンゲラー家の末子として生まれたことのほうに意味がある。
トミ自身も家業を誇りとしているようで、「私は、機械が好きだ。機械のことがよく分かる」と私に話した。


アンゲラー家が経営する天文時計の製作工場は、この種の時計の需要が盛んだった頃は有名?だったらしい。
父のテオドールが、7歳上のベルナールによりも、末子のトミに家業を継がせたがっていたかどうかは分からない。
彼は、トミが3歳の時に病死してしまったのだから。
そして、ベルナールも別の職業を選んだ。
現在の工場は、9歳年長の姉の夫によって経営きれている。


さて。母アリスの記憶の中で、トミは、神の子として形づくられていた。
満1歳のクリスマス・イブに奇蹟が起こったのである.



ルソー通りの家でトミの思い出を話す母アリス1971
Tomi's mother, Alice


クリスマス・ツリーの飾られたなにかに見とれたトミは、突然ツリーのそばまで歩いた。
この日までトミは立ったことがなかったのである。
当時流行していた生食で育てられて、7ヶ月経っても歯が生えず、食餌法を牛乳中心にかえざるを得なかった---ということだから、あるいは、発育が片寄っていたのかもしれない。


とにかく、その日初めてトミは歩いたことになっている。
次の朝、まだ消えずにいた1本のローソクの灯を、母のひざで凝視していたトミの姿にも、彼女は「なにかしら荘厳なものがあった」と述懐する。


2歳当時のトミ1933
Tomi, at the age of two.


そしてトミ自身は、私の「宗教は?」との問いに「信じない」と答えたのだった。


     ●


幼少時代から、その芸術家の天分が輝きはじめるものかどうか、私は知らない。
もちろん、両親がそろって演奏家である場合、そうした環境の中でその芸術家が早くかち楽器に親しむ機会に恵まれている---という、巧まざる早期教育の例はある。


けれども、幼少期のトミが砂遊びが好きで、銀紙で小川をつくったり、動物の形や教会の形や荷をつくったり、橋を置きかえて遊んでいたからといって、それを彼の芸術天分と結びつけていいか----となると、私には母親のような自信はない。
ただ、当時のトミを、「彼は決して退屈することのない子供だった」という彼女の証言には、注意する必要がありそうだ。
砂で城塞を築き、おもちゃの兵隊を置いて喜んでいた----という幼少期のトミと、ニューヨークのバークサイドのデラックスなアパートの書斉の壁に,行進する軍隊のミニチュアのコレクションを飾って自慢そうに説明してくれる現在の彼とも、あるいは、なんの脈絡もないように、私は思う。


数時間におよぶトミの母親と彼の9歳上の姉から開いた幼少期、少年期についてのエピソードの中で、私の心をとらえたものの一つは、マドレーヌという名の女中についてのことであった。
マドレーヌが当時何歳の娘で、どういう生まれの女だったのかに関しては、まるで語られなかった。
「彼女は気が利いた娘で、
『早くお歩き。カタツムリに追い抜かれないようにしなくちゃ』といった表現でものが言えました」


たったこれだけの言葉でマドレーヌは片づけられた。
けれども、私には、天啓の声のように響いた。


「早くお歩き。カタツムリに追い抜かれないようにしなくちゃ」---なんとイマジナティブな言い方であろう。


こんな言葉で呼びかけられた幼児が、もちろん歩度を早めたとしても、幼い脳裡にどんなに激しく空想の刺激を受けたかは、容易に想像がつく。


マドレーヌについて、トミ自身はなにも語ってはくれなかった。
だから彼自身の現在の記憶の中には、あるいは彼女の姿はないのかも知れない。


また、マドレーヌが刺激した種類の空想の国とはまるで異なった国に、成人したトミの空想は及んでいるのかも知れない。
しかし、空想の国で遊ぶことを教えたのはマドレーヌであったことは間違いない。


「カタツムリに追い抜かれないようにしなくちゃ」といった類いの語りかけで、空想の世界旅行に旅だつ習慣を身につけた2〜3歳のトミが「決して退屈することのない子供」に育ったであろうことは、容易に合点がいく。


>>(3)


平和部隊


無題


交通違反


会長挨拶


口説


桃尻運搬車


口ほどにモノを言い

>>(3)(作品は、トミの趣味のヒトツ---創作凧)