創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(417)ゲイジ、ロビンソンさん、25周年を語る(了)


このブログは、3年前のある晩、旧著『創造と環境』(ブレーン・ブックス 1969.5.30)を書庫の隅からとりだして読み返し、興奮したことから思いたちました。一組織の構成員の一人ひとりを取材した断片を再構成し、個人のクリエイティビティの開発にとどまらず、クリエイティブの成果を目的とする組織のマネージメント(環境の構築)にまで考えをひろげた労力が自分にあったこにと、個人的には驚いたのです。体力的にも資力の面でも、いまならとても不可能です。それで、ブログにして残しておこう、志のある人たちに読んでいただこうと思い、自分の年齢も体力も考えないで立ち上げました。
その気になってみると、資料庫には、未紹介のデータも残っていました。このインタヴュー記録もその一つです。さいわい、幾人かの協力と支援をいただくことができ、アクセスしてくださる方々も、広告界を超えて、クリエイティブ畑の方がふえてきています、それが励みとなり、老騏に鞭うって今日まで自分の都合では1日も休まずに2年半つづけてきました。

1週間、夏休みをいただきたいとおもいます。

記事は『DDB News』1974年6月号 25周年特集号より意訳)




:ボブ。現業についたばかりの若いアートディレクターたちは、あなたに、人生は汲めども尽きない泉であるか、AIDに似たようなものかなんて質問しますか?

【chuukyuu注】辞書によるとAIDは2様の略語。Agency of International Developmentと、arttificial insemination donor (非配偶者間人口受精)。'70年代には、さらなる新語が生まれていたか?


ゲイジ: アートディレクーの若い卵たちとよく話しますが、そのどちらも話題になってませんね。 彼らの仕事に対する批評・助言は求められますよ。現役のベッド・アートディレクターとして何年間活躍したかとか、クリエイティブ・ディレクターとしての期間とかね。いまは、ポラロイド・カメラのチーム内以外では、できるだけ避けるようにしてはいますが。


ロビンソン:そうはいうけれど、ボブ、現実には、きちんと指導してきていたし、仕事で私に重大な問題が生じたときには適切な意見をのべて助けてくれてきたじゃない。私のみるところ、みんなは尊敬して、あなたの助言を受け入れてたわよ。人びとが、とももすれば、クッキーの片抜きみたいに横並びの仕事ですまそうとするのを、やめるように説得し、いさめ、成長するようにはげましてきたんだもの。
そのことは、DDBの中でもみんな感じてきたし、ここ以外でもみんなそう思っているわよ。
そう、尽きることのないあなたの創造力に対する新しい意味での敬意にほかなりません。
コピーライターとアート部人たちは、期間の長短の差こそあれ、みんな、あなたに教えられ、創造のきっかけをもらい、あなたを見習い、周囲の人たちにはあなたからもらったものを分かち与えながら育ってきたのです。
(了)