創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(415)ゲイジ、ロビンソンさん、25周年を語る(6)


どのクライアントが、いつ、DDBに来たかのリストは、もらっています。しかし、去っていった年月と理由については、問い合わせたことがありません。まあ、理由についてははっきりしないでしょうが、一つだけわかっているのは、これ以上つづけると、DDB側のクリエイターが傷を負うと判断したときだったでしょう。

記事は『DDB News』1974年6月号 25周年特集号より意訳)




:フィリス、あなたのベストは?


ロビンソン:やっぱり、ポラロイドの一連のものってことになります。




たしかに、これなしでも生きられます。
芝生を刈ったり、あなたを駅までドライブして行ってくれたりは、このポラロイド・カラー・パック・カメラはやってくれません。
これにできることは、1分後に美しいカラー写真と、あなたの生活に新しいキッキを与えてくれることだけです。


ゲイジ:だけどフィリスとぼくのものでは、マックス・ファクターもあるね。


:いっぷう変わったアカウントだったんでしょう?


ゲイジ:まあ、ちょっと変わってはいたね。
最初のころのことだから、フィリスもいたよね、それにぼく、ビル(バーンバックさん)、(アカウント担当の)ジョー・ダリー、(アカウント部の責任者の)ネッド・ドイル、(経理・総務担当責任者の)マックスウェル・デーン、さらに数人---
ぼくがマックス・ファクター担当のアートディレクターだったと記憶しているんだけども、きれいなアートと美女の写真を手にして、得意になって社内中に見せてまわったんんだ。フィリスは「ワオ、素敵」。ビルは「まさしくビューティフル」。
マックは視線を走らしただけ。ネッドは「うん、ボブ。ビューティフルだ」といってから、ぼくに返してくれた。ところがドアのところまで言ったとき、「ちょっと待った。そのモデル、斜視みたいに見えるけど? 」もういちど確かめさせてくれなすか。ボブ」と声をかけてきたものだ。ぼくは渡して言ったね。「ええ。流し目の雌犬です。そう、指示したんですから」 それでネッドは納得し、クライアントの売り込んでくれた。


>>(7)


【chuukyuu補】これに似た経緯を、ネッド・ドイル氏が『DDB News』(20周年特集号---1969年7月号)でのインタビュー『DDBのやり方を語る』←(クリック)で詳しく語っている。

すなわち、カリフォルニア・コール水着社が虎やライオンを描いた水着を作って『動物園』とネーミングしていたが、バーンバックさんが「雌獣シリーズ」とリネーミングした。クライアント側は「セックスで売りたくない」と難色をしめしたが、ネッドが長時間にわたって説得した。結果は、同社始まって以来、最高の売れ行きであった。


>>(7)