創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(498『広告界の殺し屋』第6章 クリエイティブ生活(3)


〔クリエイティブ検閲委員会〕という名前でなくても、クリエイティブなキャンペーンの息の根をとめる組織は、多くの広告代理店に存在していたようです。もちろん、DDBやWRG(ウェルズ・リッチ・グリーン)にはありませんでした。DDBの場合は、直接の上司であるスーパバイザーが容認し、ついでバーンバックさんが承認するだけといっていました。WRGでは、ウェルズ、リッチ、グリーンの3人のうちの1人が納得すればそれでOKです。もちろん、クライアント側の承認はとうぜん必要ですが---。




広告界はゴシップの多い世界である。することもなくて個室にこもりっきりの連中であふれている。だから変な話、あるいは狂気じみた話を耳にすると、お互いにそれを電話で伝えあう。
私はパナソニック真珠湾の男として知れ渡ってしまった。

最初のこの会合で事態が急降下してしまったとは言わない。だが、私の最初のクリエイティブ検閲委員会が聞かれてからというもの、すべて下降線をたどっていった。コピーライターやアートディレクターがクレージーになってしまう理由にはいろいろあるが、その一つがこのクリエイティブ検閲委員会である。
検閲委員会は古風な巨大代理店の考案によるものである。
齢をとった連中が仕事に一役をかっている気分になるためにつくられたものである。
そういった連中は何もすることがないので、そこに坐っているのだ。坐りこんで、クリエイティブ作品を検閲するチャンスを欲しがっているのだ。

クリエイティブ検閲委員会の外形的な特徴は何かとたずねられたら、赤鼻と気のふさぎこんだ連中らで構成されているものだと答えよう。彼らは今にも冠状動脈血栓症をおこしそうな風体で。坐りこんでいる。
すばらしい血色をしており、白髪で20〜30ポンドは肥りすぎの男たちである。今日まで生きながらえ、する仕事もないまま年に7万5千ドル、8万ドル、10万ドルを稼いでいる。会社ヘ10時頃に現われ、机の上の書類をひっかきまわして2時間を過ごし、電話で昼食の相手を決める。昼食デートに絶大な関心をよせている。神よ許し給え。連中は他にすることを知らないのだ。だから昼食デートする。
彼らはそろってクラブ〔21〕へ現われる。ここは連中のたまり場なのである。2、3時間をここで過ごす。

chuukyuu注】 〔クラブ21〕は、40何丁目西21番地ビル2階にある高級レストランで、広告界のいわゆる大物たちが昼食にあつまって、若い世代のクリエイティブをニガニガしげにこきおろしながら歓談する。入り口の階段には、ジョッキー人形がずらりと並んで、大物たちを出迎えている。


検閲委員会の委員連中はふだんは広告のことなど絶対に口にしない。おかしな話だ。狸どもが広告について語るのは委員会の会議の時だけなのである。それから3時頃に会社へ舞いもどりたいした理由もなく会議を召集し、う4時45分になると汽車に乗り、こういった狸たちが住んでいるライやチャパクアヘ帰ってゆく。連中はみんな同じ谷に住んでいる。「死の谷」である。
私に言わせれば、クリエイティブ検閲委員会の一人一人は、たぶん何よりも広告の荒廃に対して責任がある。コ
ンプトンにもこの委員会はある。そしてトンプソ、ペイツ、フット・コーン、ダーシー、フラー&スミス……そういった歴史の古いスタッフ過剰の太った代理店にはすべてある。業界での笑い草は、ダーシーとかレンネン&ニューエルのような代理店にクリエイティブ検閲委員会が存在することである。そして、これら殺し屋たちは毎月一度寄り集まって、検閲を始めるのだ。


メリー・ウェルズやDDBはクリエイティブ検閲機関をなぜ置いていないのだろうか? 彼らは自分たちがすぐれていることを知っており、そのことを確認しあうための委員会など必要ないからである。


参照】↓クリック
『メリー・ウェルズ物語』


その証拠に、彼らはすばらしい成長をとげており、毎年たくさんの賞を獲得している。彼らの作品に検閲の必要があるとは私にも思えない。

あの時のベイツのクリェイティブ検閲委員会は、新しい試みであった。前にはなかった。
第1回であった。彼らの名誉のために、その委員会には比較的若い人もいたと言っておこう。
赤鼻と気のふさぎこんだ人たちだけではなかった。1、2の例外はあろうが、その委員会には若くて、才能のい人も加わっていた。あれほど若くて才能がないなんて……あきれた話である。

新設の検閲委員会で、最初に検閲を受ける人間の中に私も入っていると聞かされたのは、ペイツヘ入社して5、6ヶ月月後であった。
それを聞かされて頭にきた私は「いいでしょう。私は自分がやった仕事を弁護するつもりはありません。自分の仕事をあなたがたに見せ、質問に答えるだけです。自分を弁護するためにベイツにきたわけではないですから」とわめいた。
たしかに私には見せるものがあった。パナソニックの広告もあったし、うまくできたローヤル・グラブ保険の広告もあった。私のグループが制作した作品もあった。?
ローヤル・グラブのテレビ・コマーシャルは、すごくドラマチックなできだった。視聴者が運転席からの夜道を見る形に
なっているもので、六〇秒間に目にするものは、目のくらむヘッドライトのみ……という作品であった。私たちは4人1組のグループにされていた。会社は事態が悪化したら召集をかける特別工作班と考えていたようだ。誰かが広告の扱いを失いそうになった時とか、新規広告主のプレゼンテーションの時にはいつも私のグループ(ロン・トラビサノ、フランク・シーブケ、ネッド・トルマックと私)が呼ばれたものだった。しかしベイッでは、私たちのグループに少々圧力をかけようとしていた。
だからクリエイティブ検閲委員会の会議を待ちこがれていたのだった。

会議の前の晩は何も手につかなかった。坐りこんでひとりごとを言ったものだ。「何とかしなくっちや。私が委員会をどう考えているかをうまく示す方法はないものか……」 
イデアがひらめいた。テープレコーダーで会議の進行をすべて録音してしまおう!
翌日私は、平均年俸8万ドルの7人の男たちで構成された委員会と対決した。世界クエイティブ・ディレクター(つまりベイツの本・支店網のクリエイティブ・ディレクターのことである)と異名をとっていた男は、12万ドル稼いでおり、あとは六万?七万ドルークラスと、五万
5千ドル・クラスが2、3人だった。私の年俸は連中以下だった。出席者の年俸の合計は50万ドルに近かった。

私が入っていくと、いいとこを見せようとした男が「彼のためにいばらの王冠を用意したかね?」と得意気に言った。みんな笑った。
私は小さなテープレコーダーをテーブルの上においた。連中は笑うのをやめ、視線をテープレコーダーに集中した。「私の広告をピンた。連中は笑うのをやめ、視線をテープレコーダーに集中した。「私の広告をピン・アップしてきました。前にも言いましたように広告の質とか様式に関してご質問がありましたら、喜んでお答えしましょう。ところでテープレコーダーで会議の発言を録音したいと思います。録音に反対の人がおいででしたら、喜んでひっこめますが……」
度胆をぬかれた出席者たちは声をのんだ。
私はスイッチを入れて「じゃあ、始めましょうか」と言った。

沈黙……。
1人が咳ばらいして、えー、あーと口ごもりながら「ンー、君はローヤル・グラブの広告に黒の背景を使っているね」
視線はまわっているテープに注がれていた。パナソニックのテープレコーダーですらなかった。私は答えた。「そうです。黒の背景の方が効果的だと思いましたから……」

再び深い沈黙……。その後はさざめき単なるさざめきであった。連中はピクピクしていた。それが手にとるようにわかった。
完璧だ。
私は連中の質問に答えるつもりであった。だが質問は出なかった。
雑談のまま二時間が終わってしまった。1
1人はブロ・フットボールの話をする……。田Jいついたことならなんでも話し……{での間中も目は機械に注がれたままたった。隣席
のネッド・トルマックも驚嘆してこの完璧なシーンを見守っていた。
ナンセンスの2時間が終わると、私は最後にこう言った。
「さてみなさん、お尋ねになりたいことは他にないようですね?」
依然としてテープレコーダーを見守っていた1人が言った。
「なし」
私はテープを止め「どうもありがとうございました」
と言った。そして出てきてしまった。部屋を出る時、連中のほうを振りかえってネットに言った。「ネッド、どうだい? あれ効いたと思わないか?」
ネットが言った。「さあね、だがあの連中バカだな」
「バカだけかな?」と私は聞いた。
「さあ、わからないよ、ぼくには」


個室の近くまでくると、電話が鳴っているのが聞こえた。年俸12万ドルの本・支社世界中の本・支社網をカバーしているクリェイティブ・ディレクター氏からだった。
「ジェリー、私の部屋へあのテープを持ってきてくれるかね?」
「テープレコーダーもですか?」
「テープレコーダーもだ」
「でもあのテープには、何も入ってませんよ。ただ雑談のさざめきだけですよ。2時間分の雑談ですよ」
「わかっている、わかっている。だが一度聞いてみたいのだよ」  「いいでしょう」 私は痛快だった。
「テープをお渡ししましょう。私にはもう用はありませんから。よろしかったら、もう一度録音してあげますよ」
「ジェリー、持ってきてくれるだけでいいんだ」

私はマークスの個室の前を通りかかった。
彼は大理石のテーブルを飛び越えて、廊下へ出てきた。
「どうしたんだ、ジェリー?」
「おれの声を聞くんだってさ」と私。
「割に合わない仕事だぜ」と彼は行ってしまった。世界クリェイティブーディレタター氏の部屋へ行ってみると全検閲委員が揃っていた。

「そいつには参ったよ」と一人。
「なぜこんなことをするんだ?」ともう一人。
世界クリェイティブ・ディレクター氏は言った。「こちらへ渡してくれるかね?」
彼らは本当に不安になっているようだった。
部屋を出る時、私は言わずにはおれなかった。
「これはあなた方の検閲会議にとっていい習慣になると思いますよ。そうだ、ビデオテープを置けば会議進行をそっくりおさめることができるし、他の連中にも見せることができるし、いいんじゃないですか? とても役に立つと思いますがね」

この話が意味するものは何だろう? 
恐怖である。
だいたい連中はいまだかつて録音されたことなどないのだ。
クリエイティブ部門で働いてはいるが、クリェイティブ・マンでない男たちぱ、いつもおれだって書ける……と自分にウソをつくのに慣れているので、テープレコーダー恐ろしいのである。
テープレコーダーは真実を露呈する。ウソのつきっこをしてきた連中に、テープレコーダーは重要な意味を持ったのだった。
テープレコーダーが連中を裏切ってしまう。
テープレコーダーは真実である。真実を否定することはできなかったし、真実だと生きていけなかったのだ。あの小さな30ドルのテープレコーダーに立ち向かうことはできなかったのである。
以後、ベイツではクリエイティブ検閲委員会は開かれなかった。少なくとも私がいる間は。


参照第2章は 2009年4月14日から8回にわたって紹介←クリック


(つづく?)