創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(491)パーカー夫人のスピーチ(5)

パーカー夫人がバーンバックさんのことを語るときの口調は、まるで娘が自分の父親自慢をしているようです。いえ、この感触は、パーカー夫人にかぎったことではありません。
男性クリエイターたちも、そうなのです。兄とか、叔父とかの扱いで語ります。その信頼ぶりは、企業のボスと従業員という関係をこえているように思えます。「昔風」といってしまっては誤解されますが、ようするに、暖かい家族の関係に似ているといえましょうか。それでいて、安易に馴れ合わない---つねに、一歩上目指す。



DDBのクリエイティビティの秘密(5)



講演者:ローリー・パーカー夫人
DDB 副社長兼 コピー・スーパバイザー(1966年当時


超人的なバーンバック


それでは、次にバーンバック社長のクリエティブ活動における役割について説明しましょう。
まず二つのことがらが、常に私を驚かします。


一つは、米国内だけでも60以上のアカウントをかかえているのに、バーンバック社長はわが社で制作する広告原稿やテレビCMのすべてに通暁しているということで、他の一つは、彼は常に門戸を開放して誰とでも気楽に相談にのってくれることです。
たいへん信じ難いこととお思いになるかもしれませんが、1,300名の社員をかかえた年間1億8,000万ドル(558億円)の扱い高の広告代理店の社長が、常にオフィスの門戸を開けているのです。


もし、質問があったり、彼の承認を必要とするキャンペーンなどができ上った場合には、ただ彼のオフィスに入っていけばいいのです。
途中、邪魔するような秘書もおりません。
ビル(バーンバック社長の愛称)は、秘書半人前かかえているにすぎませんし(1人の秘書をネッド・ドイルと共有しています)、また、この秘書は別の部屋におりますから、彼女に会うことなしにビルの部屋へ入って行くことができるのです。
問題は、ビルに会って意見を聞こうとしている他のクリエイティブ・マンたちで、レイアウトや絵コンテをかかえてビルの部屋の外で待っていますから、そのために彼に会うのが遅れることもあるわけです。
クリエイティブ関係者と、コピーや写真の問題について意見をかわすために、ビルが何度か新聞記者に会うのを断ったり、偉い人たちからの電話を断わったりするのを、この目で確めたことがあります。


このようにして、社長が門戸を解放しておりますと、私たち社員全員に素晴しい心理的効果を与えます。
社長のいる26階の部屋から、社員全員が一弾となって働いているのだという気が湧き出てきます。
ちょうど2ヶ月ほどドイツのデュッセルドルフ事務所へ出張した時のことですが、この時は、ビル・バーンバックから3,000マイルも離れてしまい、彼に連絡するには、手紙で1週間もかかりましたから、彼との個人的接触は失なわれてしまい、何だか見すてられたような気持ちになり、よい仕事をするのは、なかなか骨でした。
しかし、これだけではありません。ビル・バーンバックに会いたいと思って、彼の居所を探してみると、アートディレクターの部屋で腰をおろしてクリエイティブ・チームの連中と会っている時なぞがあります。
また、ひまな時には、クリエイティブ・フロアの各部屋に顔を出して、あの仕事はどうだなどとか、この仕事はどうなったかなどと、聞き歩いていることもあります。
彼はまた、誰がどの仕事を担当しているかを正確に知っています。また、全部のクライアントのすべての原稿のコピーを一語一句覚えています。


つい最近、私は、ビルが6ヶ月前のクライアントとの打合わせで、出席者が発言したことを一語一句正確に覚えていたので、驚きました。
クライアントとの打合わせは、たいへん興味深いものです。
ピルは、その打合わせが何であるかぜんぜん知らずに、ぶらりと入って参ります。
そして、打合わせに耳をかたむけ、2〜3の質問をすると、もう会議の内容を正確に把握してしまいます。
すると彼は、司会を受けついで、私たちが1時間もかかって解決できなかったことを、たった10分間で解決しています。
しぶしぶ作品の承認をくれた日など、私たちにとっては意気消沈の1日です。


>>(6)「DDBで働いている人たち」「仕事に対する満足がすべて」


参照
ロール・パーカー夫人とのインタヴュー
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