創造と環境

コピーライター西尾忠久の1960年代を中心としたアメリカ広告のアーカイブ

(456)DDBの誠実さ・正直さ


最初、「こんな、〔時代のお化け〕みたいなものまで公開して、アクセスした人は、果たして、感心してくれるだろうか?」と、逡巡した。
1964年1月20日付のDDBのバーンバックさんの秘書の一人---Mis.Nancy Costlowからの手紙と、それにつけられた資料をatsushi さんに見せたときである。


atsushi さんは、心底、感心した態(てい)で、
・DDBのオープン性
・秘書の質の高さ(ユーモア性も)
・レターヘッドのデザインと使用法
などを具体的に伝えるためにも、ブログに公開して、ぜひ、みなさんにも見ていただきたい」と。


じつは、この手紙と資(史)料は、つい最近、資料庫の隅から出てきたもの。
宛名が日本デザインセンターになっているから、4年間在職(1960.4.1〜64.3.31)していた最後の年のもの。
つまり、DDB研究は、同センター時代からやっていたということ。


左上の汚れはクリップのサビ


文章部分を少し大きくあつかって、判読できるようにしてみた。


データのおねだりは、バーンバックさんあてにしている。
中央の横線は折り目の跡


atsushiさん「渡米して、バーンバックさんに会っていたんですか?」


ぼく「いや、渡米してDDBへ訪(おとな)いを入れたのは、この3年あと、1967年の秋でした」


atsushiさん「その間は、手紙の往復だけ?」


ぼく「基本的にはそうなんだけど、この手紙の1年ほど前に上梓した『フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』(美術出版社 1963.6.15)をバーンバックさんをはじめ、データをくださったDDBの人びとへ、名刺がわりに贈っています」


あとはすべて、手紙のやりとり(メールなんて、想像外の手段であった)。


バーンバックさんの秘書(専従ではない。ドイル氏とデーン氏の3人をミズ・ナンシーが一人でカヴァーしており、のち、日系の Sach Matsumoto に代わった)や、その他PKLやメリー・ウェルズのところ、デルハンティ・カーニット・ゲラー社 etc.の経営陣の秘書たちと仲よくなる工夫は、広告βさんが下のブログに書いてくださった。


>>広告β 「社長と工場」


さて、このブログのほとんどは、ぼくの個人的作業だが、技術的なことは若くて有能で年齢差40歳を超える畏友 atsushi さんにまかせきっている。
その atsushi さんの言葉だから、ぼくにとっては当たり前だったことも、世代が違えば、受ける感じも異なろう---と、公開に踏み切った。


45年前のこととして、受け取っていただきたい。


上掲の Mis.Nancy Costlow の手紙は、短く用件のみだからB6のレターヘッド。

次は、A4よりすこし大きめのレターヘッドに打たれたDDBの創業からのbillingsの暦年推移。
(1枚に収まるほどで、社歴がわかかる)

アカウント契約が成立した暦年のクライアント・リスト(5枚ある中の1,2と5)。
(邦訳分は、すでに[6分間の道草](46)DDBのやり方を語る(3)「DDBのクライアント」に)
レターヘッドつき便箋は節約している。あるいはコピーなのか





「マーケット調査部の機能」については目下翻訳中(専門用語をどう訳すかに苦慮)。
追記:>>マーケット調査部の機能


むかしは、よく働きました。毎日、センターでの仕事がすむと、こんなことに5,6時間、かかりきりだったなあ。