(449)世界中の女性コピーライターへ(1)
G.W.くずれの英語圏優先の第3弾。
ロビンソン夫人をインタヴューしたとき、「足りなかったら、ここから補って」と渡された上掲の英文が、資料庫の隅から出てきました。ぼくのインタヴューのところどころの地の文に補わせていただき、そのまましまいこんでいたのでした。
夫人が、それまで広告代理店の経営者が受けていた「コピーライター栄誉の殿堂」入りを、コピーチーフで1968年に初めて受賞したときの一問一答です。両者を比べてご覧になると、質問趣旨が異なると、応答も違ってくることに、勘が鋭いあなたならお気づきになりましょう。
問 最初にお聞きしますが、広告のどういった部門に興味をお持ちでしたか? コピーライティング? それともお得意先部門? 広告の花華やかな面にあこがれましたか?
ロビンソン夫人 広告の華やかな面にあこがれたわけではありません。コピーを書きたかったのでしょうね。
問 学歴をちょっとお聞きしてもいいです?
ロビンソン夫人 バーナード大学で社会学を専攻しました。広告研究会などの部活にも入ったことはありません。
どうして広告界にはいってしまったのか---昔を振り返ることがちょいちょいありますが、わたしの記憶では子どものころに商店に影響されたのでしょうね。小学校の先生に大きくなったらコピーライターになるのだといったことをいまでも覚えています。
でも人生にはいろいろのことが起こるもので、次第に政治的、社会的問題に興味を持つようになりました。ヨーロッパではいろんな事件が起こり、わたしはもっと意義のあることをしなければと考えるようになったのです。
そこで社会学を専攻し、政府関係の住宅公社に入社しました。
コピーライターの養成講座は正式には受けていません。
つまり、わたしのコピーライターとしての素質を他人にさわってもらいたくないという一人よがりの気持が強かったのですね。養成講座では、1日に一つはコピーを書かせられるのだし、これは重要なことです。養成講座を受講しなかったのはいま考えても残念です。
問 コピーライターになるのにはどんな学歴がいちばんいいと思いますか?
ロビンソン夫人 学歴は問題ないと思いますよ、ふつうの教育だけでじゅうぶんです。
DDBの優秀なコピーライターのなかにも大学を出ていない人が数人います。
ですが、DDBの社長のウィリアム・バーンバックさんは、ニューヨーク大学で広告とマーケティングを専攻していますが、だからといって、学歴には関係がないのではないでしょうか。
問 コピーライターとしての最初のスタートは?
ロビンソン夫人 メソディスト出版部です。ちょうど第2次世界大戦の最中で、夫がハーバード大学から学徒動員されまして南部に連れて行かれましたので、わたしも南部で公共建築関係の仕事を探しましたが適当なのが見つからず、どんな職業でもいいからという気持になりました。
そのとき、何か広告、宣伝関係でコピーを書いてみたいと思ったのです。
そこで宗教関係の出版社にはいって、牧師さんたちに送るダイレクト・メールのコピーやキリストのカレンダーの広告、子ども向けの聖書の広告を書きました。
当初は、その地方の百貨店に就職するつもりでいたのですが、正式な宣伝部といった組織があれませんでした。
問 最初のコピーライターとしての給料はいくらだったのですか?
ロビンソン夫人 出版社での給料は覚えていませんね。
グレイ広告代理店のときの給料ははっきり覚えています。(彼女ば出版社からグレイヘ移った)たしか週130ドルでした。
問 女性のコピーライターとして何かとくにむずかしいことがありましたか?
ロビンソン夫人 全然。
問 すごく影響を受けたコピーチーフ、あるいはスーパバイザーはいますか?
ロビンソン夫人 2人います。1人はもうずいぷん会わないのですが、無料配布誌『パーク・イースト』を発行していたボブ・アルトシュラーさんです。
わたしが大学時代にそこでアルバイトをしたことがあるんです。
その雑誌にコラム欄を一つ設けてもらい、詩を書いたんです。
アルトシュラーさんがいろいろと文章の書き方を教えてくれました。
まず、もったいぷった文章は書かないようにとの注意を受け、ポイントを突いた文章を書くようにいわれました。
ほかの人から初めて文章の書き方をあれこれ注意され、ほんとうにショックでしたが、とても役に立ちました。それ以前に文章を他人から批評されたことはなかったのです。
2番目にウィリアム・バーンバックさんがいます。パーンバックさんはグレイのときの上司で、コピーを引き締めるのと、コピーを生き生きとさせる、この二つを教わったのです。
自分にコピーを書く力がじゅうぶんにあり、いい先生にめぐまれたら、他人からコピーの書き変えを要求されるようなことはなくなります。
とにかく、バーンバックさんの気に入ったコピーを書いたのでしょうか、バーンバックさんがグレイを出て、DDBを創立した途端、誘われたわけです。
問 DDBに行くについてはバーンバックさんといろいろ話し合ったのですか?
ロビンソン夫人 いいえ。バーンバックさんはわたしのコピーをよく知っていましたからね。それこそ会社をつくったときは、コピーライターはおろかコピーチーフさえいなかったのです。
もちろん、会社の設立については事前に相談され、こないかといわれました。
新しい会社というのは何かステキなので、それにわたしなんか何も失うものはないし、まだ新人だったので、結局、バーンバックさんについて行ったのです。
ロビンソン夫人 とにかく、まだ未開の分野で、そんなことはだれもやっていませんでしたね。DDBはその仕事ぶりに惣れてくれたクライアントのお陰で大きく成長しました。
クライアントは「こんな広告がほしい、あんな広告がほしい」といってはDDBに集まってきました。もちろん、ハーンバックさんが何度も指摘しているように、わたしたちはクライアントに対して大胆なショッキングなコピーを提供したのです。
問 何か事例をあげてくださいませんか?
ロビンソン夫人 ずいぶん前のことですが、オーバックス(百貨店)のアカウントがグレイからDDBへ移って、わたくしたちは大いに期待されたのです。わたしはまだその見出しを覚えているのですが、これはわたしが書いた子どもだましの広告の最初のもので、
「奥さんを連れていらっしゃい。2ドルか3ドルで新しい女性をプレゼントします」
でした。
もちろん、いまではこんな変てこな広告は当たり前のものになっていますがね。
問 広告のユーモアについてはどうお考えですか?
ロビンソン夫人 ユーモアのある広告はすばらしいでしょ。でも、下手なユーモアは時にぞっとしますね。下手にユーモアを使ったものは、退屈でしかなく、ストレートな広告よりもずっと癪にさわります。
わたしは(ホール・オブ・フェイム---コピーライター名誉の殿堂入り---の授賞式で)ラジオの広告について偉そうなことをしゃべりましたが、わたしのラジオのCMが一つの流行をつくったことは認めます。
ですが、いまのラジオのCMにはひどいのが多いですね。
これはもうテレビのCMや新聞の広告についてもいえますよ。
とはいっても、ラジオのCMがいまいちばん程度が悪いですね。どうしてこうも程度が悪いのかその原因がわからないのです。まあ、広告代理店のコピーライターが何でもいいから変なCMを書けと命令されて、書いているからではないでしょうか。しかし、いいCMの場合、消費者がいっしょに大笑いしてくれ、商品の知名度もいっぺんに上がりますね。
問 WRG(ウェルズ・リッチ・グリーン)といった新興の広告代理店についてのお考えを---。
ロビンソン夫人 新興の広告代理店に対しては、わたしは″おばあちゃん″のような態度をとっております。
あちこちにやたらと新しい広告代理店が誕生しますね。広告界には優秀な人材がいま多くなっていますが、DDB出身者が多いでしょ? DDBの影響を受けているし、これはあの人たちも認めていますよね。
ほかの広告代理店のことは何もいいたくありませんが、新しく広告代理店をつくった人たちはDDBには大いに感謝しているのではないでしょうか。もちろん、それぞれ独自の営業方針はお持ちのことと思いますが。