創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(407)アル・ハンぺル氏とのインタビュー(1)


 ベントン & ボウルズ社
 取締役副社長兼クリエイティブ・ディレクター


インタヴュー集『劇的なコピーライター』(誠文堂新光社 1971.3.10)に氏をとりあげたのは、コピーライターとしてよりも、既存の組織体ベントン&ボウルズ社をクリエイティブな体質に変革すべく努力していたからです。その試みにすごく興味を惹かれました。とはいっても、ライターとしての氏の資質が低いということでは決してありません。個人技を超えた次元の話なんです。



12年も勤めたY&RからB&Bへ移ったわけは---


ハンぺル氏がまだヤング&ルビカムのコピー・チーフだった1968年の秋に、私たちは会いました。
それからちょうど1年後に、今度はベントン&ボウルズ杜のクリエイティ・ディレクター室で再会しました。そして、最初に感じたことは、「アルって意外と大男だったんだな」ということでした。広く明るい個室で会った彼と、
1年前にY&Rの古風で暗いミーティング・ルームで見た彼とは、まるで印象が遊いました。


chuukyuu 「Y&Rからこちらへ移ったのはいつ?」


ハンベル氏「Y&Rに12年間いて、1969年の7月7日にこちらへきました」


chuukyuu 「Y&Rで会った時、Y&Rの人びとはほかの代理店にいる人びとより長く留まる傾向があるというような発言をなさいましたが、そのご本人がその代理店を辞めてしまったわけは?」


ハンベル氏「いい質問ですな。Y&Rよりも、ここではより多くのことがやれるチャンスを与えられたからです。
Y&Rでは私はコピー・チーフとして、すべてのライティング、すべてのコピーを処理する役を与えられていました。
しかしここでは、私はクリエイティ・ディレクターで、アート、コピー、そしてプロダクションなど、クリエイティブ全体の処理にあたっており、 しがってより多くの仕事ができ、地位も高く、給料も高く、株も多く持つことができるわけです。
そんなことすべてが集まって、私はここへ移りたくなったというしだいです。Y&Rでここまでたどりつくためには、もっと長く待たねばならず、私は待てなかったのです」


chuukyuu「その株のことですが、今お手持ちの株は、あなたがお買いになったものですか、それともだれかが譲ってくれたのですか?」


ハンペル氏「買うように勧められたのです。でもその株もよい値で買うことができ、しかも私がここにいる間、株価を上げる手助けができるという望みがあるわけですからね」


私はさらに、追加株を買うチャンスはあるか、といった再質問をし、氏はそれに答えてくれました。というのは、米国の上級コピーライターが会社を変わる時の条件を聞き出したかったからです。しばらく話し合ったあと、氏はハツと気がついたように、「本にする時には、この話は削除してほしい」といいました。


chuukyuu 「追加株を買うチャンスはあるのですか?」


ハンベル氏「あります。時がたてばそれだけ多くの株を買うことができるでしょう。しかし、私がここへ移ったのは、もちろんそのこともありますが、それだけの理由ではありませんからね。たまたま、そういうふうになったのであって、偶然のことなのです。だって、お金のためだけでY&Rをやめるなんてことはありえないことですからね。要するに、仕事のチャンスがあったからです。
この代理店は、Y&Rのようにクリエイティブではありませんでした。そこで、彼らが私のところへやってきて、私にここへきてここを変えて、今までよりもよくしてくれるように頼んだのです。私には、ここをよりよく変えるという考えが気に入ったのです。それが主たる理由です」


組織や方法を変えるだけで代理店の環境が生まれ変わる


chuukyuu「Y&RとB&BKのクリエイティブの方法には、何か違いがあったのでか? それから社内の雰囲気なんかも違いがあったのですか?」


ハンぺル氏「ええ。ずいぶん大きな違いがありましたね。ですから最初の3ヶ月は、ここの方法をY&Rのようなやり方に変えるのが私の仕事でした。私はY&Rでやっていたやり方が気に入っていましたから、そのシステムをここへ持ってきたのです。
それは、管理色の少ないレイヤー(計画者)に関係があるわけです。ここで、管理する人があまりにも多すぎるので、この代理店から広告を持ち出すのが、クライアントに広告を売るのと同じくらいむずかしくなってしまっているのですよ。
広告を、スーパバイザーからスーパパイザーへ、それからまた別のスーパパイザーへと持ち歩かなければなりません。そのためにずいぶん犠牲を伴い、仕事もやりにくくなってしまいます。というのは、だれもが何かしらロをはさんできて摘み取ってしまえば、仕事はすり減ってしまうのです。これでは、コピーライターの士気も阻喪してしまいますよ。
つまり、 ここがY&Rとの大きな違いでしてね。あまりにもスーパバイズのレべルが過密機構になりすぎていたのです。
ほかにも気がついたところがあります。それは品質管理が十分ではないということです。ある作品を発表する場合の締まりのなさです。といっても,、これは、私の規準でいった話です。誰でもがおのおの異なった規準を持っているものですから、私は仕事に満足するということはまれにしかありませ。このことはY&Rにいた時も同じでした。多くの人びとによってよいものだと認められている作品でさえも、それよりもよくなりうることを私は知っています。
そしてこのこと、安易に満足するなかれというのが、私が若い人びとに教えこもうとしていることです。
私は、今までにやった仕事をこえるものができたらといつも願っているのですよ。
さあご質問にもどりましょう。私がB&Bに入った時、ここでは幾つかのすばらしい仕事がなされていました。それはとても成功したものでもあったんです。たくさんの製品がその広告によって売れましたからね。私の目的はその成功した仕事の後にある主なアイデアを変えることではなく、それを世に出す段階でよりよいものにするということだったんです」


chuukyuu 「Y&Rにいらしゃった時より、ここのほうがあなたにとっては自由に振舞えるということですね?」


ハンペル氏「より自由--- そう、ずっと自由ですね。ここでの私は、No.1マンだからです。私は社長にだけ報告すればいいのです。Y&Rでは仲介する人が若干いましたから、あそこでは、私は3人の中の1人で、その権限はそう大きなものではありませんでしたここでは、私はしたいことをコントロールできる権力があります」


chuukyuu「言いかえれば、あなたが自由に動きまわれる環境を自分でつくり出すことができるというわけですね?」


ハンペル氏「ここでは、柔軟を産むというのが合言葉で、私たらはそれぞれ個々の人びとの才能をうまく利用しようとしているわけです。柔軟性のないグルーブ・システム、つまり私がここB&Bで受けついだものなのですが、一つの代理店の中に6つの小さな代代理店があるようなものでした。その代わりに現在では、それぞれのアソシエイト・クリエイティブ・ディレクターのもとでそれぞれ異なったアカウントを受け持って人びとが働いているのです。
そして、クリエイティブ・ヘッド---などという装飾的な名など必要ありません。ライターもアートディレクターもそれぞれのアカウントのもとで、自分だけで仕事をして私に直接藷告するのです。仲介者なんていないのですよ。
私の経験では、クリエイティブマンというのは、一番上にはよい指導者がいますが、それは問題外として、最小限度のスーパビジョンでもってうまくやっていけます。このことは、今日とてもポピュラーなクリエイティブ・ブティックというものが成功している理由の一つだと思いますね。クリエイティブ・ブティックというのは、あの固くるしいシステムという厄介なものがないので、自由に柔軟性を持ってやっているのです。
B&Bでは、どんな時でも、クリエイティブマンが2回以上報告しなければならないということはありません。多くの場合、一度だけ報告すればすむのです。
このことは私たちほどの大きさの代理店では珍しいことですが、そうすることによってここの環境が、さきほど私が申し上げた小さなブティックのように自由で、クリエイティビティを導くようなものになっているわけです。
B&Bで私たち持っているのは、媒体、マーケティング、調査サービスを持った大きな代理店のもつ力、それと、小さな店のもつクリエイティビティなのです。その組み合わせはとてもすぼらしいものなのです。




Y&Rから、ハンペル氏を慕って多くの人が移ってきた


chuukyuu「クリエイティブ・ディレクターというのは、あなたお一人ですか?」


ハンンベル「そうです。6人のアソシエイト・クリエイティブ・ディレクターがいますけれど、こんなに多くのアソシエイト・クリエイティブ・ディレクターをずっと保っていくかどうかはわかりません」


chuukyuu「ニューヨークのオフィスだけで何人が働いていますか?」


ハンベル「全体で約850人です。全米で12番目にランクされる代理店ですから」
chuukyuu「Y&Rからあなたといっしょにきた人がいますか?」


ハンぺル「ええ、そういう人が数人います、彼らは私といっしょに仕事をしたいためにやってきたのです。それと、何か新しいものをつくっていく好機だと考えたわけですね。私がY&Rにいたように、あるところに長く働いている人は、つぎのものをつくりたくなるんだと思いますよ。そして、そういう人がどこへいこうと、その人についていく人びとがいるわけです。
私としては、彼らといっしょに働けるのはうれしいことです。みんな優秀な人たちですから---」


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