創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(405)ジム・ダーフィ氏とのインタビュー(了)

   カール・アリー社 社長 兼 コピー・ディレクター(当時)


カール・アリー社は、この38年のあいだにどう変貌したか、そもそも存在しているのか、流星のように輝きながら消えていったのか、より大きな星と合体したのか---ぼくは資料を持ち合わせていません。これは、いま活躍なさっている広告人に報告していだだければ幸いです。仮に消えていたとしたら、その原因も知りたいものです。また、あの時期、マジソン街という空で、2等星として輝いていたことだけはわすれることができません。


もっと大きな代理店になりたい


chuukyuu 「カール・アリ一社および米国の広告業界全般に関しての簡単なコメントを」


ダーフィ氏「私たちの会社は,まだ成長段階にあります,それで,私たちの基本的な哲学というのは、できるだけ少なくクライアントを持って、できるだけ多くの売り上げをするということなんです。
現在、だいたい2,300万ドルぐらいの売り上げを6つのクライアントで持っています。私たちは、15だとか20だとか30だとかいうようにして、個々の売り上げを少なくして、クライアントをたくさん持つなどということをやりたくないのです。小さなところで1社あたり50万ドルぐらいの扱い高というようなことはやりたくありません。私たちはもっと大きい代理店になりたいと思っていますし、そうなれると思っています。
これは広告業界の将来ということに関係してきますが、これからもますます広告は非常に質のいいものでなくてはなりません。
というのは、一般消費者が非常に知識をたくさん持っています。商品やすべての生活環境に対する情報をたくさん持っていますから、彼らを納得させるためには、いままでのような広告ではどうしてもだめだということになります。
それだけ一般大衆が利口になってきているんですね。これは、いままでの古いかたちの広告が、彼らに受け入れられなくて否定されてきているという事実で証明されると思います。
だから、広告業界としても、大衆を無視することができません。そして、世代が新しくなってきているということを常に考慮に入れなければなりません。
特に現在の若い人たちというのは、テレビで育ってきていると言えます。彼らを相手にする場合に、いま50代ぐらいの人なんかを対象にするのと同じようには扱えないのです。
ひと昔前には、テレビ・コマーシャルというのは非常に珍しい時代でしたが、いまはもう珍しくもなんともない。たとえば、10歳の子どもがテレビ・コマーシャルを見ている時に、ただ単にひとりの聴視者として見ているんじゃなくて批評家として見ているのです。
これは、おとなの場合でも同じです。彼らはただの聴視者じゃなくて、批評家としてテレビ・コマーシャルを見ているんです。


テレビを見ている人たちというのは、3つの役割を持っています。一般消費者であるということ、それから聴視者であるということ、それから同時に批評家であるということ---この3つの役割を持っているのです。これを考えに入れなければなりません。


そして、その3つの役割のうち、彼らはテレビを見ている場合には、消費者とただの一般聴視者ということの前に、まず批評する人、批評家なわけです。
ですから、コマーシャルをつくる側の立場としては、ただのしろうとにコマーシャルを見せるとV}うことじゃなくて、それぞれ各人が批判する人なんだということを基本的にわきまえて、テレビ・コマーシャルをつくらなければなりません。
そして、クライアントもだんだん利口になってきていますし、なるべく優秀な人を集める、また優秀な代理店に仕事をたのむようになっています、したがって優秀なところはますます伸びるチャンスがあるわけです。
何人かの広告人が、広告業界にいるということは恥だと言う人がいますが、私はそうは思いません。私は自分自身では、広告業界にいるということが決して恥だと思わないんですけれども、時々広告そのものに関しては、非常にまずいのがあるなあという感じはします。広告自体に対しては、何か恥ずかしいと思うことがありますが、私自身が広告業界にいることが恥だと感じることはありません。


(了)