(401)ジム・ダーフィ氏とのインタビュー(2)
カール・アリー社 社長 兼 コピー・ディレクター(当時)
このブログのタイトルは『創造と環境』です。「環境」という言葉は、ここ20年ばかり、いろんなシーンでつかわれたために定義がぼやけてきていますが、ぼくが『創造と環境』(ブレーン・ブックス)を上梓したときには、クリエイティビティを花開かせる集団の組織と雰囲気(土壌)のつもりでした。個人の才能とか気質を上まわる、集団次元のものとしてとらえ、その取材のために、ニューヨークほかへ何回も出かけたのです。前例のないクリエイティブ論であり、いまだに補ってくださる人が現われません。個人のクリエイティビティを論ずる人はごまんといますが---。
偶然にコピーライターになった
chuukyuu 「あなたがコピーライターになった動機を話してください」
ダーフィ氏 「私がコピーライターになった動機というのは何もなかったんです。私ははじめイラストレーターなりたかったのです。
私は高校、大学を通じて、学校新聞などに漫画をずいぶん書いたものでした。大学にはいる前、一時絵の学校へ通ったこともありました。しばらくデトロイトのアートスタジオに勤めていたんです。
しかし、そこにいる時、やっぱり絵のほうには向いていないということがわかりましたので、そこをやめました。
絵に関しては、日曜日に趣味で描くという程度にとどめておくことにして、大学へ行きました。4年制のカレッジで経済を専攻し、美術と心理学を副専攻しました。
卒業後、1953年にJ.ウォルター・トンプソンのメール・ルームに3ヶ月いて、メディア部門の事務の仕事で移りました。トンプソンのデトロイトの支店でのことです。
私はアートスクールに通っていたころに、まだ確固たる考えはなかったんですが、将来は広告のほうの仕事をしてみたい、そのためにも何か技術を身につけたい、その方面で絵の技術を身につけてみたいなと思ったこともあったんです。
ですからトンプソンにはいってから、必ずしもライティングのほうに進むという気持ちはなかったんです。でもまあ、ただの事務員なんかじゃなく、広告のほうで特殊技術を持って仕事したいと考えていました。
そのころ、コピーのほうの部門であきがひとりできたんです。コピーチーフが、デトロイトの店の全員を対象にして新人を採用するためのコピーライティングのコンテストをやったんです。私も応募してみました。どういうわけか、私が入賞しまして、全然コピーの経験がなかったんですが、コピー部にジュニア・ライターとしてはいることができました。
これが、コピーのほうへ進むことになったきっかけです」
chuukyuu 「米国では、コピーライターの職を得ることはむずかしいことの一つですか?」
ダーフィ氏 「昔にくらべると、ずっとむずかしくなりました。
競争が非常に激しくなってきているためです。今日では、より優秀なライターがこの業界にはいり込むすきをねらっています。なぜなら、今日ではより良い広告文が生み出されているからなのです。
ですから、この分野で身を立てようという人たちの間の競争も激しくなってきているわけです。
一つには、若い人たちの間でコピーライターになるとどっさり金が稼げる、簡単に金持ちになれるんだ、という考えかたをするのもるんですが----だから、ますます競争が激しくなるということです。
逆に各代理店では、いつもあちこちと目を光らせて、とびぬけた才能のある人を探していますから、才能がある人であれば、チャンスはいっぱいあるということもいえます。
とくに広告業界で伸びている会社ほど、若い人たちを使ってみよう、若い人たちによって試してみよう、いままでの古い人たちが持っていないようなアイデアを若い人たちは持っているだろうから---という考えがあるわけです。
確かに、古い人たちというのは、現在必要とされているアイデアなんてものを持ちあわせていなかったし、またそういうものが必要であるということすらわかってないなどという人たちが中にはいるんです。
私もずいぶんたくさん若い人たちを雇ってきましたが、必ずしも彼らが経験十分だったから雇ったわけではありません。いままでプルーフボックスだけしか扱っていなかったような人たちもずいぶん雇いました。プルーフボックスというのは、手製のレイアウトとヘッドラインとちょっとしたコピーが書いてあるだけのものですけれども、そういうものだけしか扱ったことのないような人たちもたくさん雇ってみました。
それがうまくいってるんです。ある一つの例では、非常に詩の才能がある男がいて、この人を雇ってコピーライターにしたんですが、これがとてもうまくいって、その人はいまヨーロッパへ行っています。
若い人の持っている特殊な才能によく気をつけていて、それを引きだして育ててやり、こういう点に注意したらいいんじゃないかというように助言してやったらいいと思っています。
若い人たちの持っている非常にリアリスティックな感覚、こういうものは、尊重しなければならないと思います」
代理店によって働きやすさに差がある代理店によって働きやすさに差がある
ここで私は、最も高い関心を居だてたいる問題---つまり、広告代理店によってコピーライターの働きやすさが違うか、ということを質問してみました。
というのは、広告コピーの本は、数多くありますが、この問題に言及しているものが皆無だからです。
chuukyuu 「米国では、才能のあるコピーライターのほとんどが、持てる才能を十分に発揮できる環境に置かれていると思いますか?」
ダーフィ氏 「いいえ。確かに、米国のどの代理店でもある種の障害というのはあります。ことに大きな古い代理店の場合なんかに多いんです。
そういうことが一つの原因になって、最近若い新進の代理店が次々できているのです。
極端な話ですけれども、いまトップから5番目ぐらいまでの大きな代理店の中のどっかの代理店へ行って、そこから適当な人間を抜き出してきて、このカール・アリー社と同じぐらいのレベルの代理店をつくるということは、簡単にできることなんです。それぐらい有能な人物が大きな代理店では十分に活用されていないということなんです」
chuukyuu 「彼らの才能を発揮させないものはなんでしょうか?」
ダーフィ氏「それは、広告業そのものにあると敢えて言います。混成物なんです。一部がアートから、一部がショー・ビジネスから、一部が本当の意味でのビジネスから成っている、大きく歴史ある代理店では、アートからスーパバイズまでを知りつくしたビジネスマンによって運営されているのです。
反して、若い小さな代理店はビジネスからスーパバイズまでを知りつくしたアルチザンによっているのです。私たちが必要とする大部分が後者であり、前者は少なくていいのです。それでもなお私たちにユートピアがないのは、自由を満喫しきっているコピーライターが今日一人としていないからなのです。この点ではここも同じです。アカウント・グループの仕事をしていく際、私たちは彼らにクライアントが追求するものに責任をもたせます。それすなわち私益です。ですから、広告をつくること以外に重大なことが課せられていることを知ったコピーライターがどの程度の才能を発揮するかということを知るのはすてきなことです。