創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(381)キャロル・アン・ファインさんとの和気藹藹のインタビュー(3)

キャロル・アン・ファイン夫人がどうしてDDBからW.R.G.へ移籍したかは、聞いていないので推測するほかにないのですが、W.R.G.での肩書きに「取締役」とついている---これかなとおもいます。W.R.G.はまもなく株式の公開をしましたからね。それで、大きな一時金を手にできたのでは。しかし、それが逆目にでて、社を去って「洗濯女グループ」の結成につながったのかも。自社株の従業員への譲渡のマイナス面かも(もちろん、上場できるほどのパワーのある企業でのことですが)。


キャロル・アン・ファイン夫人
    ウェルズ・リッチ・グリーン社 取締役副社長・コピースーパバイザー(当時)



DDBからはすべてを学んだ


chuukyuuDDBや他の代理店でとくに学んだことがありましたら---」
ファイン夫人「私が働いたことのある代理店は、ここ、ウェルズ・リッチ・グリーンを除いては、DDBだけです。とってもむずかしい質問ですね、これは。私はDDBからすべてを学びました。恐らく私以外の人が、ビル・バーンバックDDBの哲学といったものをすでにあなたに話していると思いますが。どうやってこの質問に答えたらいいのかしら---」
chuukyuu 「人間関係、人的組織といった点ではどうですか?」
ファイン夫人「これも答えるのがむずかしいですね。ただ、米国にあるすべの代理店の中でもっとも活躍していた、そして活躍している代理店であることは確かです。実際そうなのです。ウェルズ・リッチ・グリーンもまた偉大とうことばで表現しても決して不似合いではありませんが、これは別問題です。
広告というものはとても面白い商売だと思います。米国でつくられている広告の97%は非常に質の悪いものであるといっても言いすぎではないと私はおもいます。97%とは言わないまでも、90%はひどいものです。
悪い理由は、たぶん、代理店が古い体質だからであり、それがもはや動かしようもないものになってしまっているからなのです。
人びとは自分たちの上にいる人びとの言葉を恐れ、自分たちの思い通りの仕事を恐れ、自由になることを、そしてクライアントと意見を戦わせることを恐れているのです。クライアントを説き伏せることを恐れているのです。
クライアントは商品のつくり方を知っているでしょうが、私たちは広告のつくり方を知っているのです。
いつも彼らはビクビクしています。ですから広告の90%までが悪いという熔印を押されてしまうのです。
こういった広告のすべては、昔からあるいわゆる標準にもとづいてつくられたものであり、その標準が良いとされているのです。
これはとんでもない間違いです。
つまりこれは、こう言ってもいいが、ああ言ってはいけないというやり方なのです。そうなれば、彼らに言えることは何もなくなってしまうのです。
これは、誰かが新しい、革命的なことをしなければ解決できないといった種類のものなのです。ヘルムート・クローン---彼のことはご存じと思いますが、彼こそそれをやった人間だと私は思います。
彼は、わが道を行くスタイルで初期の広告界に挑戦した最初の人物です。たとえば誰かに、『君。この広告にこのタイプ・フェイスは使えないよ』と文句をつけられても、 『もちろん、このタイプ・フェイスは使えるさ。それにきれいだろう』と答えるのが彼のやり方でした。そして実際それをやってのけたのも彼でした。
DDBに入ってまだ日の浅い頃は、私も恐れていました。私は代理店そのものに、ビル・バーンバックに、そして前に言ったようなDDBすべてに、強い印象を受けたからです。どうして私がこんなところで働けようか、ここで一番できの悪いのは私のほかに誰もいない、ここにいるのはみな偉大な人間であるのに私ときたら---。
これがあの頃の私の気特でした。ところがそれから2,3年たつと私の考え方も変わってきました。 ビル・バーンバックが、ハード・セル、サウンド・セルを強く信じていながらも、時には陳腐と思われる方法で、時にはまったく新しい方法でもって驚くべき新鮮味を引き出しているという事実を知ったからなのです。


お気に入りのライターは、ジーン・ケイス(明日につづく)

ヘルムート・クローン
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