創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(309) ボルボの広告(3)

コマギレのブログ日記で、2つの媒体、2つの時間、2つの広告代理店がつくった広告を、要領よく解説するのは、きわめて困難な作業だということがわかりました。ブログの使いこなしに挑戦する羽目になろうとは---トホホ。



第1章 ガブリエルソンの30年間
2人の男が出合ってから---

伊勢エビの山が消え、ボーイが皿を引いてしまうと、2人のあいだをさえぎるものは、なにもなくなった。満腹感が2人をいっそう親密にした。
「あれは、1920年(大正9)だったな。私がパリへ派遣されたのは---」
ガブリエルソンが、まず、口をきった。
「その年だ、私がストックホルムへ移ったのも---」
2人は、また、沈黙してしまった。そして、2人が同じ職場---スウェーデンのボール・ベアリング会社---SKFで過ごした1917年からの3年間のことを、それぞれ思い出していた。当時、ラルソンは、あと2ヶ月で30歳になるところで、SKFの設計部に入社していたのであった。
そこに、スウェーデン議会の速記者を辞めて、前年からSKFの営業部で腕をふるっていたガブリエルソンがいた。ラルソン技師の担当は、プーリー(滑車)・ベルトとトランスミッション関係の部品の設計で、それらの販売責任は、ガブリエルソンに属していた。
2人は仕事の関係で顔を合わせたばかりでなく、テニス・コートでもしばしば会っていた。

  • 自動車気ちがい

「グスターフ。そういえば君は、SKF時代から[自動車、自動車]と言っていたなあ」
「イギリス以来さ」
ラルソンは、1911年、24歳のときにイギリスに渡り、ようやく産業の形をとりはじめていた自動車に興味を持ち、ウィリアム・モーリスに最初のエンジン1,000基を供給することになった工場へ設計技師としてもぐりこむことに成功したのであった。
彼は、1887年(明治20)7月8日、スウェーデン中部地方のピントロサの農家の末っ子として生まれたが、早くから技術家志望で、とりわけ、パルプ関係の技師を目指していた。
この国の産業革命はやや後れはしたが、豊富な地下資源(鉄鉱石)と森林資源によって、製鉄・製鋼・製紙・パルプ工業が産業の中心をなしていた。だから、ラルソン少年がパルプ技師を夢みていたとしても、不思議はない。
生地に近いエレピロの技術学校で化学を学んだ彼は、スウェーデン・パルプの重要なお得意であるイギリスへ渡って、さらに勉強しようと思ったのである。そして、パルプは簡単に自動車に化けてしまった。
イギリスでの数年を、自動車設計で送ってしまったラルソンは、スウェーデンに帰ってからも、内燃エンジンにとりつかれていた。アメリカの自動車会社の有名な設計家たちと文通をしながら、疑問を質したり、自分のアイデアの検討を依頼したりした。
この文通によって、彼の自動車設計の知識は、スウェーデンに並ぶものがないほどに進んだ。

  • 可能性を読む

「アッサール。君が自動車に目をつけたのはいつからだい?」
ラルソンは、齢こそ自分よりも若いけれど、明敏で、現実を直視した上での楽天主義者で、しかもチャンスとみれば、それをつかむ大胆さをも合わせ持っているガブリエルソンが、どうして自動車に目をつけたのか、聞いてみたかった。
「いいかい、グスターフ。私が興味を持っているのは、自動車ではなくて、自動車工業なんだよ。ここのところを間違えないでくれ」
ガブリエルソンは、1891年(明治24)8月13日、スウェーデン中南部のスカラボルイ県のクルスベルガで生まれ、ストックホルムの商科大学で経営学を学び、1911年(明治44)から4年間、スウェーデン議会の速記者を勤め、その後、イェーテボイ市にあるこの国最大の企業SKFにはいるや、卓越したセールスマンシップを認められて、1920年には、30歳にもならないのに同社のパリ支社長に抜擢されていた。パリ駐在中、彼は、自動車産業の可能性に魅せられはじめていた。品質のすぐれているSKFのポール・ベアリングの需要がフランスの自動車業界で高かったからである。
そこで彼は、そのボール・ベアリングを使って、スウェーデンで自動車をつくる可能性を読んでいた。
3年後には、SKFの営業総責任者として呼びもどされたが、まだ32歳であった。
ガブリエルソンは言った。
スウェーデンは、立派な工業国である---。
スウェーデンの労賃は、安い---。
スウェーデンの鋼鉄(スチール)は、世界的にその名が知られている---。
スウェーデンの道路は悪い。この悪路のためにつくられた車が求められている---。
どうだい、グスターフ。自動車工業に必要な条件は、このスウェーデンにすべてそろっているじゃあないか」
(拙著『ボルボ スウェーデンの雪と悪路が生んだ名車』より)


>>続く


chuukyuu注】米国ボルボ社の広告アカウント(取引口座)を、カール・アリー広告代理店から移したスカリ・マケイブ・スローブ代理店(SMM)は、1974〜5年にかけて、「非文明な世界のためにつくられた文明的な車。」という、わけの分かったような、分からないような不思議なキャンペーンを打った。その中の、比較的わけが通じる2点。


ボルボ164


非文明的な世界のためにつくられた文明的な車。


私たちはボルボ164をつくるにあたって、岩だらけの道をも物ともせずに走るようにつくりました。
どろんこ道を何千キロも走り抜くよう、164になみはずれて頑丈なシングル・ユニット・ボディ(単一構造)のボディを与えました。
下塗り、塗装、荒塗り、塗装を何度も何度もくり返しました。
交通渋滞の道を何千キロも走り抜くよう、 164にあなたの体格に合わせられる盤形外科的設計の座席、10ヶ所も出口のあるエア・コンディショニング、身長2mのドライバーでも楽なたっぷりしたレグルームをつけました。
張り巡らされた郡市の道を何千キロも走り抜くよう、164にすばらしい機動性をもたせました。回転半径は、フォルクスワーゲンのかぶと虫より小さいほど。
ガソリンスタンドの間にまたがる果てしない距離を走り抜くよう、164の燃費は同価格クラスの人気ある米国産車よりほぼ50%(最近の政府調査)少なくてすむように 向上させました。
舗装の行きとどいた走りやすい道路を走るように、164に3リットルの燃料噴射式エンジンを搭載しました。
そして、「あ、危ない」と思ったとき咄嗟にに役立つよう、4輪をディスク・ブレーキにしました。


掲載誌『ニューヨーカー』1974年4月8日号




The Volvo 164


A CIVILIZED CAR BUILT FOR AN UNCIVILIZED WORLD.

When we built the Volvo 164, we prepared it for all the rocky roads ahead.
FoR the thousand of miles of torn-up roads, we gave the 164 an enormously strong single-unit body. As well as coal upon coat of rustproofing, primer, paint and undercoating.
For the thousands of miles of jammed-up roads, we gave the 164 orthopedically-designed seats that adjust to your spine, ten-out air conditioning and ample legroom for even a 6'6" driver.
For the thousands of miles of snarled city streets, we gave the 164 remarkable agility. With a turning circle actually smaller than the Volkswagen Beetle's.
FOR the endress roads between open gas station, the 164 gets (accordmg to latest govemment figures) aoout fifty percent more gas mileage than the most~popular
domestic cars in its price range.
And for the road that offers nothing but smooth surfaces and easy going, we gave the 164 a three-liter, fuel-injected engine.
And 4-wheel disc brakes, in case you quickly have to come down to earth again.


NewYorker, April 8, 1974


ボルボ164

非文明的な世界のためにつくられた文明的な車。


ボルボ164はどんなに嵐が吹きまくろうとも、心静かにいられるように設計してあります。
あなたの周りで起こっていることがはっきりと見える3800平方インチ幅ガラスの電暖式の曇り除りリアウインドー。
あなたが走る道をしっかりとグリップするラジアル・タイヤ。
従来のドラム・ブレーキよりはるかにフェーディング現象に抵抗力があり、雨にも強い4輪パワー・ディスク・ブレーキ。
ステアリング・コラムにあるワイパーとハイビーム・ライトのスイッチ。
頭は道路に、手はハンドルに集中することができます。
文明的な車。
少なくとも車の中の状態だけはあなたの自由にできる開口部が10ヶ所もあるエア・コンディショニング。
多くの人が天候のことを取り沙汰しています。ボルボは行動に移しました。


掲載誌『ニューズウィーク』1974年5月6日号




Volvo 164

A CIVILIZED CAR BUILT FOR AN UNCIVILIZED WORLD.


The Volvo 164 was designed to keep you calm, no matter how stormy theweather.
With 3800 square inches of glass and an electric rear window defroster to provide a clearer understanding of what's going around you.
With radial tires to provide a firmer grip over what's going on under you.
With 4-wheel power-assisted disc brakes that are more resistant to fading and less vulnerable to wetness than conventional drum brakes.
With the controls for the windshield wipers and high beam lights located on the steering column, so you can keep your mind on the road and your hands on the wheel.
With a ten-outlel air conditioning-heating system that at least gives you a say over the climate inside your car.
A lot of people talk about the weather. At Volvo, we've done something about it.


News Week, May 6, 1974


>>続く