創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(272)ダヴィッド・オグルビー氏とのインタヴュー(6)



写真は、昨朝2時10分のこのブログのカウンター画面---1段目[トータルアクセス数レポート]、2段目[トータルアクセス数](ページビュー)、3段目[トータルユニークアクセス数](延べ訪問者数)である。
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上が、116,516
下が、 44,444
当ブログを立ちあげて、ちょうど1年6ヶ月---ほぼ550日経過。1日平均80人のアクセサーといいたいところだが、違う。全員、毎日アクセスしている人と想定して勘定すれば80人だが、3日ごと、あるいは1週間ごとにみている人も少なくないから、[ページビュー]が[訪問者数]の約2.6倍になっている。とにかく、この[44,444]は、新聞社の広告部、テレビ局のCM関係者、企業の宣伝部、広告代理店のクリエイティブ部門、プロダークションのクリエイターの総数---数十万人中、志がきわめて高い80人(あるいは見当で200人---うち7%強は海外)である。日本の広告を変えるであろう人たちと期待したい。
今日の章もC.E社の制作プロデューサー水口さんと黒木さんの志願による入力です。この「ブログ、つづけろ」と感じている人は、若い協力者へ励ましの言葉をコメント欄へ残してください。注文の多いブログなんですよ、貴重な資料を無料公開している分ね。


>>ダヴィッド・オグルビー氏のインタヴュー 目次


 テレビのCMだけうまいライターや、印刷媒体だけうまいライターについて、どうですか?ライターは、両方とも堪能であるべきではありませんか?
オグルビー 現在では、かなり優秀なライターで、印刷媒体は全然書けない人がおおぜいいます。私の代理店の若いライターですが、テレビのCMだけはうまい人たちがいます。彼らに印刷媒体の広告を依頼すると、2、3日後にもってくる作品は、広告と呼べたシロモノではないのです。まるで広告を見たことがなく、話にだけ聞いた人が書いたような作品です。しかし、彼らは立派なテレビのライターです。しかたがありませんね。
 印刷媒体のライターたちはどうですか?
オグルビー テレビの場合とおなじです。ずっと印刷媒体をやっていて、テレビのコマーシャルを書くことにまったく関心がなく、また、できない人が多いんです。テレビもプリントもおなじようにこなせるライターはきわめて少ないでしょう。
 あなた自身はテレビよりプリントのほうが好きですか?
オグルビー (しばらく考えて)私はテレビよりプリントのほうがうまく書けますから、その限りではプリントが好きなんでしょう。プリントの広告なら、私がこれまで書いたものの中から名前をあげれば、3つか4つは、あなたもごぞんじで認めていただける広告があるでしょう。しかし、私が書いたテレビ・コマーシャルの中で、あなたにすぐ見分けがついて、ほめていただけるようなものはないようです。
テレビ・コマーシャルが本格的になる前に、すでに私の代理店には、私より若いライターが何人かいたので、テレビの仕事は彼らのほうにまわったようです。しかし12年ほど前──100年も前のような気もしますが──私は全盛期で、アカウントの数は現在より少ないくらいでしたが、当時15のそれぞれ異なるキャンペーンを実施していました。そのうち14は私が直接やっていたものです。全部プリントでした。現在では当社がつくるキャンペーンのうち、私が書いたといえるものがはたしてあるか怪しいものです。いずれにしろ、私自身はテレビよりも、プリントのライターだと思っています。当社の50人のライターの中で、プリントに関して私よりうまいのは、3人を出ないでしょう。しかし、テレビなら私よりたくみなライターが37人ほどいますね。
 「最後の将軍」の中で、あるシナリオ・ライターが作家に向かって、シナリオは「書く」のではなくて「描写する」のだ、と話す場面があります。ライターはスクリーン上のものを「書く」のではなく、「描写する」のだというわけです。この意見に同意しますか?
オグルビー その通りだと思います。これはじっさいにあったことで、テレビ広告がつまらなかった原因でもあるのですが、テレビの前はラジオがあったわけです。そのラジオのCMはことばです。むかし、チャーリー・マッカーシーやフレッド・アレンが活躍し、メロドラマが流行したラジオの全盛時代には、CMはことばばかり60秒間つづいたものです。つぎにテレビの時代になって、それまでラジオのCMを書いていた連中が、テレビのCMを書きはじめましたが、彼らが書いたのは、やはりことばでした。効果のあることばを使うように努めたものです。しかし間もなく、効果があるのはことばではなく、目に見えるもの、アクションだと気がつきました。私はときどき考えるのですが、いいCMはことばとしてはじめに「これをごらんください」という2語だけで、それから、視聴者がその商品を買いに出かけようと思うような、興味深い、説得力のある画面を見せてやればいいのではないかと思うのです。これと直接関係はありませんが、もし小説や戯曲や詩を書くのなら、概して好きなだけ時間をかけることができます。5ヶ月後でも5年後でも、完成したら出版すればいいのです。しかし広告では締切りがあります。アイデアを、それも優れたアイデアを、火曜の朝までに考えなければなりません。容易なことではないので、おおぜいのライターが失敗するわけです。いいコピーを急いで書かなければならないのですが、まずいコピーを急いで書く結果にもなります。
 これを避ける方法がなにかありますか?
オグルビー ときどき考えるのですが、もし私が広告主だったら、予算を蓄積して、代理店に大きなキャンペーン──調査の結果もよく、適用したいと思うどのような標準によってもすばらしいと思われるキャンペーン──をつくらせます。
月毎に、年毎に資金を小出しにしていくかわりに、広告のために蓄積した戦争資金を、どっとつぎ込みますね。不幸にして税法のために、メーカーは広告予算を蓄積することができません。
現実の問題として、優れたコピーライターなら大部分の人が──もし私のように経営首脳陣にはいってしまっていなければ──大きな圧力の下で、恐ろしく多くの製品のために、無数のコンテやコピーを書かなければならない羽目におちいっています。しかも、優れたライターがつくりだすことができる以上のものをつくりださねばならないのです。とにかくやらなければなりません。
調査のワナをお話ししましょう。
ある私たちのクライアントは、まったく正当なことだと思いますが、まずテストしなければCMを電波にのせることを拒み、テストの結果のいちばんいいものを使うのです。そのアカウント担当のコピーライターは、一つのすばらしいコマーシャルを書くかわりに、テストできるようにいくつものコマーシャルを書かねばならないということです。