創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(153)『コピーライターの歴史』(番外−3)

70の手習い---とはこのこと。老女がインターネットを始めたら、クラスメートや友人から、どっと写真がメールされてくるらしい。季節の花や孫の笑顔や韓国の男優やらが。世の中変わった。最初はコダック氏がボックス・カメラで「あなたはボダンをおすだけ。あとは---」と訴えたのは100年前。50年前には1分間写真の愉しみを世に送り出したポラロイドの出現。そして第3の写真世紀を迎えた。ケイタイに仕込まれたデジカメ+インターネット。見せる範囲とチャンスがとてつもなくひろがった。ぼくは、それに背をむけて、スキャナーばかり。去年の今頃買い代えた初級機ですでに3650回を越えて図版と文字をスキャンし、2つのブログへ。もう一つは、http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/


>>『コピーライターの歴史』目次


ご覧いただいているのは、掛け値なし、ぴったし60秒で仕上がったポラロイド・ランドの写真です。そう、新パンクロマチック・ポラロイド・ランド・フィルムで撮ったのです。道化師の肌の微細なところまで鮮明に、繊細なトーンで写しとっていますね。このところのポラロイド・ランド・カメラは、60秒で写真を出来上がらせるだけでなく、高品質の仕上がりまでお届けします。




YOU ARE LOOKING at an enlargement of an actual 6O-second Polaroid Land picture. It was taken with the remarkable new panchromatic Polaroid Land Film. Notice the critical sharpness, especially around the down clown's chin, and the over-all delicacy of tone. Today's Polaoid Lond Camera not only gives you finished pitures in 60 seonnds--- but pictures of astonishing quality.You can own a Polaroid Land Camera for a little as $72.75, or $1.5O a week.


【アトキンスの選抜理由】 ポラロイド 驚くべきシンプルさ!
ポラロイドの印刷広告とTV-CMについては、話すべきことは山ほどありますがね。ま、製品のことはおいといて---と。
スターチ社の広告浸透率調査では、男女ともにとびきり高い数字を得ていることを報告しましょう。販売実績も、1954年に2,350万ドルだったのが、DDBが広告を扱うようになった1957年には4,804万ドルですからね。これって、新製品の投入も値上げもなしでですよ。DDB効果としかいいようがありません。そうでしょ? コピーライターは、最初の数年間はビル・ケイシー、アートディレクターはヘルムート・クローン。

【Mr.Atkins's visual angle】POLAROID---Simply Terriific!

You could talk-talk about this series (both print and TV) but like the one-minulte ture of the product itself: here's the story, Polaroid-style ---
Most of these ads have come up with exceptionally high Starch rating among men and women. Perhaps of greater sipignificance, Polaroid sales rose from $23,501,OOO in 1954 (the year in which DoYle Dane Bernbach began to handle their advertising) to $48,043,OOO in 1957. This was done without the introduction of any new camerase or change in price structure. Doyle Dane Bernbach, Inc. did it gain. They sure make it tough, don't they?
The campaign was initially written, and there-after for several years, by Bill (William J.) Casey, with layout by Helmut Krone.



【chuukyuu注】コピーライターのビル・ケイシーは、ジョージ・ロイスとジュリアン・ケーニグがDDBを飛び出してパパート・ケーニグ・ロイス(PKL)を設立したときに、彼も同社へ移籍した。PKLが空中分解したとき、どうしたかは、知らない。
彼が、夕刻から、マンハッタンのビルの地下でやっていた、コピーライター養成教室は取材入学し、その独特なやり方を見学したことはある。PKLの現役のアートディレクターが来ていて、生徒のコピーをその場で視覚化しながら、コピー=アート・セッションをやって完成化していたのが、日本のその種の養成所とまったくちがっていた。