創造と環境

コピーライター西尾忠久の1960年代を中心としたアメリカ広告のアーカイブ

(124)『コピーライターの歴史』(2)

これまで、いろいろなコピー作法が語られてきた。英語で書いてみてから日本語に翻訳している---とか、俳句で言葉を鍛える---とか、各人各様にご自分の流儀を語っている。それは、基本の先の作法であって、まあ、個人の秘伝---習慣か癖にすぎない。癖だから百人百とおりの発言となり、極端にいうと、自慢話みたいなものだが。否定しているのではない。真似たい人は真似ればいいが、個躰が違うのに、真似てうまい結果がえられるか、どうか。(『五人の広告作家』カヴァーの裏側) 


『コピーライターの歴史』(2)

ホプキンズ、コピー調査から学ぶ


ケネディがロード&トーマス社(Lord & Thomas advertising)を辞めると、ラスカーは、クライアントの勧誘に出かけたときに、もっとも巧みに事情を説明できるすぐれた才能の持ち主の必要性を痛感していました。
そして、たまたま、シュリッツ・ビール(Joseph Schlitz Brewing Co.)の広告コピーを書いていた男がクロード・ホプキンズ(Claude Hopkins)であることを知ると、年俸18万5000ドルで強引に入社させてしまったのです。


そのビールの広告というのは、いまではだれ一人知らぬ人のないほど有名な話です。
当時のビールは、純度を最大の武器として競争していました。
ホプキンズはまず、工科の学校へ通って醸造の勉強をし、それから工場を見学しました。
そこで、ビールがびんに詰められる前に蒸気でびんが洗浄されているのをみるや、
「生きた蒸気であらわれたビール」
という見出しを考えだしたのです。
ビール会社の人たちは、こんなことはどこの会社でもやっていることだと反対しました。
ホプキンズは、
「ビール業界がどんなことをしていようとかまわない。
大切なのはそれぞれの醸造会社がどうやっているかを広告することだ
といいきりました。
効果はみごとにあがったのです。
シュリッツは全国で第5位の売り上げでの商品でしたが、ホプキンスの広告を採用して2,3ヶ月後には1位にのしあがるという奇跡が実現したのです。
「悪いビールと清潔なビール」
という訴えに、他のビール会社は地団駄をふんでくやしがりましたが、あとのまつりです。


こうしたホプキンズの考えは、当時としてはまさに革命的なものでしたが、いまでは広告原理の一つとされ、本書(注・『5人の広告作家』)の中では、ロッサー・リーブスが「ユニーク・セリング・プロポジション(独創的な販売命題)」と名づけています。
ホプキンズは一農家の少年から身をおこし、おもに、ロード&トーマス社でコピーを書いて巨万の富を築いた、いうなれば、もっとも米国的なコピーライターでしょう。
シュリッツ・ビールの広告作戦に参加する前に、10代でビゼル掃除機会社の仕事で、掃除機を柄をエキゾチックないろんな色に塗りあげて小売店在庫を一挙に高めたり、スイフト食品会社の広告部長を勤めたり、ケネディも関係していたドクター・シューブ(注・強壮サプリメント)のコピーを書いたり、ポーリー液体オゾンの権利を買い取って商品名を「リクオゾン」と変え、6本買えば50セントびんを1本無料進呈という新手を考えだして、初年度に百万ドルの収益を手にしていました。


しかし、こういった奇策縦横ぶりをいくら書きならべてみても、ホプキンズが「いつになってももっとも偉大なコピーライター」といまなお呼ばれている秘密に触れることはできません。
ホプキンズを理解するためには、彼が1923年に書いた『科学的広告法 Scientic Advertising』を紹介しなければなりません。
この本の第1章で、ホプキンスは「広告の原則」について述べます。
ここで彼は、彼と彼の仲間が、広告の法則を見いだすために、いかにしてコピー調査(テスト 通信販売テストと調査研究)を利用したかを説明しています。
信販売(メール・オーダー)広告という形式の広告は、現在(1966年当時)の日本にはほとんど利用されていません。


chuukyuu注:いま(2008年当時)ではテレビ・ショッピングやネット販売がこれにあたろう…)


したがって、この形式の広告コピーを経験したコピーライターもほとんどいないといっていいとおもいます。
これは、米国と日本の広告の発達の仕方の差ですからなんともいえませんが、日米のコピーライターの心構えのの違いがあるとすれば、原因は、あんがい、こんなところかも知れません。


すなわち、通信販売広告の場合ですと、その広告掲載料に見合うだけの販売がその広告によって確保されなければ、つぎの瞬間からは広告をつづけえなくなるのです。したがってどう書けば販売が推進されるか、なにが読者の行動をうながすかといったことが、具体的に一つ一つ実践的に調査され、検討されるわけです。
1%の販売量の差の原因が、2つの広告原稿を検討する要素になるのです。


ホプキンスの『科学的広告法』が1952年に再版されたとき、広告調査の専門家アルフレッド・ポリッツはつぎのような序文を書きました。


「偉大なコピーライターであるクロード・ホプキンズは、30年も前に基本原理を定めた。
――広告における創造の偉大な代表である、この卓越した仁が、ひじょうに高度な分析化学者であったということに注目するのはおもしろいことである。
彼自身は、自分が分析科学者だとは思っておらず、彼が広告について学んだほとんどすべてのことは、それが通信販売の形で彼の手許に届けられたコピー調査によるものだといっている」


なお、ホプキンズの経歴に関する資料としては、彼の伝記『わが広告における生涯 My life in Advertising』があります。
ニューヨークのある広告代理店では、全社員にこの本を渡して、全文を暗記するようにとも指示したそうですが、これは行きすぎでしょう。
ホプキンズといえども、間違いを犯しているからです。
たとえば、
「あなたの製品の使用者は、あなたの広告を読まない」
とその本の中でいっていますが、今日の市場では、このことばは誤りであることが証明されています。


ロード&トーマス社に籍をおいた18年間に、ホプキンズは、社長に2度、会長に1度就任しました。
ラスカーのホプキンズにたいする信頼はそれほど厚かったのです。
ラスカーは、会社をホプキンズにまかせ、自分自身は休養のためと称して、仕事から一時手をひくことがあったのです。


そうはいっても、ハード・ワーカーである点では、2人は共通していたようです。
午前2時前に仕事場を離れることはめったになかったといいます。
しかも、ホプキンズは、ケネディと違って仕事が早く、クライアントと話しあってから2時間以内にキャンペーン全体のプランを書き上げており、48時間以内には1年分のコピーを書いていたといいますから、ちょっと常識では考えられないスピードです。
努力型ち天才型が一人の人間の中に同居している例でしょう。
それだけに、いまなお、ホプキンズにたいする崇拝者は広告界に多く、先に名を挙げたロッサー・リーブスをはじめとして、デビッド・オグルビーも、ホプキンズのつくった格言のいくつか、たとえば、
・すべての広告の災難は思慮の浅さに起因する。
・人びとは道化からは買わない。
・輝かしい作家は広告には不必要である。
を、「オグルビーの97ヶ条」に、ことばを変えていれています。


chuukyuu注:オグルビーの「あなたの視点を高めよ――調査に導かれた、コピーライター、アートディレクター、TVプロデューサーのための97ヶ条」も、この本に訳して入れているので、ご希望が多ければ、機会を見て転載)。


>>『コピーライターの歴史』目次


>>『調査から導き出されたコピーライター、AD、TVプロデューサーのための97の心得』