創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(236)『メリー・ウェルズ物語』(11)

]40年近くも前のメリー・ウェルズについての、もっとも印象的な事柄といったら、実につまらないことだが、「パーソナル・セクレタリー」を置いていたこと。「パーソナル・セクレタリー」その人には会ったことはないが、この『物語』(4)で、ジャック・ティンカー社時代のメリーの秘書だったグレイス・フェルドマン夫人が、WRGがゴーサム・ホテルの4室でうぶ声をあげた2日後に訪れてきて即座に採用されたというエピソードを紹介しておいた。メリーが誘っておいたのか、グレイスのほうが自発的に決めたことなのかは問わない。何かのリストにこのグレイスのほかに「パーソナル・セクレタリー」の欄が設けられていたのである。「個人秘書」---どんな仕事を担当しているのかと興味を持ったが、そのまま調べることもしないでいまにいたっている。グレイスは「オフィシャル・セクレタリー」あるいは「コーポレイト・セクレタリー」という肩書きだったのかもしれない。

第11章 メリー・ウェルズ語録(その4)

今日風であるために

「私が働いてきた全部の広告代理店のやり方には、賛成できないことがたくさんありました」 (「AA」1971.4.5)
「自分が采配をふるったり決定するためには、自分で会社をつくるよりほかに方法がありません」 (同)
自分の考えを100%実行しようと思えば、自分でボスになるより仕方がないというのは当然のことである。
ただ広告業界以外のところでは難しいだけのことだ。
自分が働いている会社のやり方に賛成できないことがたくさんあるからといって、すぐさま自分自身の新しい航空会社や新しい製鉄所をはじめるのは至難のことである。
ところが広告代理店ならばそれも比較的簡単である(日本の場合は商取引慣習がアメリカとは若干違うからアメリカほど簡単にはいかない)。
才能とビジネス・センスのある3、4人の男女が集まりさえすれば、明日からでも広告代理店の看板が揚げられる。
事実ニューヨークでは1年間に140社もの代理店が産ぶ声をあげ、2、3年目にはその中の10社ばかりが残っているにすぎないという報告がある。
だから問題は、自分がボスになることではなくて、ある程度長つづきしかつ成長し、しかも新しい代理店らしい哲学をもっているかどうかであろう。
「代理店を辞め、自分自身の代理店を設立する人の多くは、結局のところ自分が出てきた代理店の真似をしています。しかし、WRGはそうはしなかったし、これからも決してそうはしません」(「AA」1967.4.17)とメリーが指摘し宣言しているように、WRGは多くのものをDDB、ジャック・ティンカー社から受け継ぎながら別のものを志向している。
もっとも自分が育ったところというのは、その間それだけ学習したということだから、そこから飛躍的に離れることは困難である。
WRGにしたって同じことで、彼らが目指しているのは、
「WRGは今日風な代理店なのです」(「カレント・バイオグラフィ」前出)
という言葉にすぎない。
「今日風な代理店」についてについてメリーは「いかなる時代においても、いくつかの代理店は新しい方向に向かうために、あるいは何らかの方法で経営を明るいものにするためにうまくやっています。WRGの場合は完全に時代に適合しています。WRGは時の流れがつくりだす響き、恐怖、匂い、姿勢などを恐ろしいほどよく知っています。WRGは今日の代理店なのです」(「ニューズウィーク」前出)とやや具体的に語っている。
つまり、WRGは新しい時代に誕生した若い代理店なのだから、それだけ時代の変化、マーケットの変化に敏感だといいたいのであろう。しかしこうした時代変化を強調するものにもP・ドラッカー『断絶の時代』(林雄二郎訳・ダイヤモンド社)、A・トフラー『未来の衝撃』(徳山二郎・中公文庫)、C・ライク『緑色革命』(邦高二訳・早川書房などの一連のベストセラーもあり、WRGの草案ではない。
とすれば、何がWRGを新しい代理店だとしているのか?
それは必要とされるもののほとんどを総合し調和させていることである。
だいたいクリエイティブなどというものは、世間で考えられているほど神秘的なものではない。
既存のものやすでに存在していた知識の新しい秩序立てと統合である。
そうして新しい価値をつくり出すのである。
だからといってそれが簡単だというものではない。
既存の知識、情報の保持、再生のシステムも必要だし、新しい秩序立てにはものすごい才能とエネルギーを要する。
そのアイデアを現実面に適用していくためにはそれ以上の時間とお金が必要である。
だから、WRGのやり方一つ一つがまったく新しいこととはいえないといっても、価値を下げることにはならない。

▼WRGの若さ

「私たちはいつまでも現代的でありたいし、その時代の匂いを持っていたいのです。そのための方法の1つは若い人々を採用することです。
もう1つは、小さいままでいることです」 (「AA」1968.7.1)
「若さ」についてメリーは「代理店の雰囲気がいつまでも若々しくホットであるのは経営陣の責任です。オツに澄ましたら死が待っています」(「AA」1971.4.5)とも言っている。
創業が比較的新しいWRGが若々しくあらねばならないのは当然のことだが、メリーの真意は別のところにある。
一つは、30歳以下の人口が半分以上を占める米国では、若い世代に語りかける能力を持った広告代理店こそ今日の代理店---と言いたいこと。それはメリーの次の発言からもうかがえる。
「広告代理業の未来は、洋々たるものだとWRGは考えております。若い大人が急速に増加しているために、可処分所得のある家族、赤ちゃん、世帯も急速に増加していくことと思います。買うもの、売るものも恐ろしく多くなることでしょう。ダイナミックに変動する社会を反映するレジャー・マーケットおよび新製品も手伝って、成長する代理店にとっての健全な環境をつくり出していくことでしょう」(「株主への報告」前出)
二つめは、DDBへの批判である。メリーの言葉に従えば「ピークを過ぎた」であり、別の言い方によれば「クリエイティブな老人」と呼ばれているDDBだが、依然として米国の広告界の巨人としての名声を得ている。
メリーにしてみれば、一日もはやくDDB時代が終わりWRG時代を迎えたい。公平に見て、DDB時代はまだ続いているし、これからもしばらく業界の手本でありつづけるであろう。メリーの頭痛のタネでありつづけるであろう。
そこでつい、「過去における広告代理店の弱点の一つは---」と語調をきびしくなって、創立者のほとんどが、全盛期を迎えている人びとを自分の代理店に入れてより大きな職務を与えようとしなかったことなのです。WRGの場合は違います」(「株主への報告」同上)ということになるのだが、これかは考え方の相違というもので、いささか冷静さを欠いたメリーの発言とおもわれても仕方がない。
古くからある米国の広告代理店の創業者はほとんど引退している。その際には自社株を後継者に売り渡して大金を手にしている。
歴史の古い広告代理店で現在も第一線にいる創業者は、名のある人ではビル・バーンバックデビッド・オグルビー(写真)ぐらいだ。
創業者の中には自分の広告代理店の寿命を自分一代限りのものと割り切っている人もいる。創業者の魅力でクライアントがついている場合にはそれでもいいわけである。他人がとやかくいうことではない。
メリーは、WRGの経理システムを広告代理店の伝統的なそれから脱皮させて、一般企業のやり方に改めた、コンチネンタル航空出身のフランク・コルナー筆頭副社長とか、世界最大の広告代理店J・W・トンプソン社で調査部長をしていたマーチン・スタンを引き抜いたことのメリットをいいたかったのであろうか?
メリーが「若さ」をこれほどまでに強調するのは、自分の容姿と個人的魅力が年とともに衰えることを予測してスイッチ策を講じているともみえるが、結果はあと4,5年待ってからでないとはっきりしない。それよりもメリーの発言の中に「小さいままでいる」という考え方が、WRG創立者の一人---ディック・リッチが去るまでのメリーは「WRGは世界で一番大きい代理店になることには関心がありません」(「AA」1968.7.1)と宣言しながら、急成長の様相がはっきりしてくると欲がでたかしてその旗を降ろしてしまったのである。
もちろん、会社というものはその時代々々の環境の変化に即応して経営されなければならないから、メリーが旗印を変えたからといって責める必要はない。
ただ、メリーが変わったという事実だけに注意しておけばよい。
(敬称略)


続く >>


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