創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(224)チャールス・モス氏とのインタヴュー(2)

Mr. Charles Moss
Wells Rich Greene 社
副社長兼クリエイティブ・ディレクター(当時)


何十人もの米国のクリエイターたちをインタヴューしたが、この人ほど、正直に、誇張することのない言葉で答えた人はいなかった。ほんとうに自分の言葉を持っている人だと思った。

DDBとティンカー社で学んだもの


chuukyuuDDBからジャック・ティンカー&パートナーズへお移りになったのでしたね。差しつかえなかったら、その理由を話してください。またジャック・ティンカー社での担当アカウントについても---」


モス 「なぜ、私がジャック・ティンカー社へ捗ったかとおっしゃるのですか?  そうですねえ、いろんなことが重なったからと言っておきましょうか。
その時私は、DDBをとび出さなければいけないと感じていたのです。私は、DDBにコピーライター見習いとして入社したわけですが、 たとえ、そこで少しばかりお金が入り始めていたとはいえ、見習いというイメージをほんとには破ることはできないのではないかと思ったからなのです。
それに、メリー・ウェルズとかディック・リッチなどによって、ジャック・ティンカー社はクリエイティブな代理店というふうに見られていましたしね。私はこの人たちをよくは知りませんでしたが、彼らがDDBにいたときから漠然とは知っていたのです。
私は、腕には自信がありました。それに、ベラボウな給料を約束されたものですから---。
当時、丁度ブラニフ・インターナショナル航空がジャック・ティンカーに入ってきたところで、そのアカウントをやるヘッドとなるライターとアートディレクターが求められていたのです。そこへ私がとびこんだというわけです。ですから、ジャック・ティンカー社での私の担当アカウントは、ブラニフ航空ということになります」


chuukyuuDDBで身につけたもの、 ジャック・ティンカー社で得たものはなんでしたか?」


モス 「何よりも、問題のとらえ方ということになるでしょうか。私は思うのですが、ほんとうは、ものの書き方なんてことを他人に教えられる人はいないのです。教えられるのは、問題に対する視点とか姿勢とか、問題を解くための基本だけです。
ジャック・ティンカー社で、私はメリーとディック、それにスチューから、問題のとらえ方ということを最も多く学んだと思います。
彼らは、DDBとはすこしばかり違うやり方で問題を見ます。メリーはプローモーション的な見方にかなり重点を置いています。私がいた当時のDDBは、広告が最も大切なものであり、それがすべてでした。
でも、ジャック・ティンカー社では、飛行機の胴体を塗るなんてことも起こり得るということを勉強しました。このことはあなたの広告に話の種をつくるだけではなく、バブリシティにもなり、したがって、クライアントは使ったお金の10倍ものものを手に入れることになるのです。なぜなら、そのクライアントは、新聞や雑誌の記事で書き立てられるようになるからです。もちろんティンカ一社でやったブラニフ航空の話です」

ムスタングをこわすコマーシャルをつくった


chuukyuu 「ウェルズ・リッチ・グリーン杜へいらっしゃったのはいつですか? そして、ここでの位置は?」


モス 「この代理店ができて3日目に入社しました。私は、創業者たちに次ぐ4人目の社員でした。そしていまは、副社長兼クリエイティブ・ディレクターです」


chuukyuu 「ここでは、アメリカン・モーターズを担当していらっしゃいますね? アートディレクターはどなたですか?」


モス 「ドラゴッティ(Stan Dragotti) という名のすばらしい才能の持ち主です。彼は、もとヤング&ルビカムにいて、イースタン航空のために多くのコマーシャルを作っていたのです。私たち2人は、最初からアメリカン・モーターズを担当しており、とてもウマが合うので、ムスタングをこわすテレビ・コマーシャルも2人でつくりました。2人でやった最初のコマーシャルです」


ウェルズ・リッチ・グリーン社のクリエイティブ・マネジャーであるウォーターストーン氏から直接に聞いたところによると、このコマーシャルのことを「ムスタングをこわす」と呼ぶのは間違いで、「ムスタングに似た車をこわす」というのが正しいそうです。氏の説明によると、「ムスタングに似た車」をつくるために4,000ドルかけたそうです。
(のちのちの広告史の書き手のために、これを特記しておきます)。


chuukyuu 「あのコマーシャルは、日本でもたいへん話題になっていますが、この米国での反響はいかがでしたか?」


モスアメリカン・モーターズがこの代理店に入ってきた時の私たちの問題は、できるだけ短時間に広告をつくり上げるということでした。何しろ時間がなかったのです。
このアカウントの仕事を始めたのが7月4日で、9月のはじめには放送しなければならなかったのです。私たちは約1週間でクリエイテイブ・ワークをやり、クライアントの承認をとり、コマーシャルをつくり始めなければならなかったのです。
アメリカン・モーターズの主な問題点は、アメリ力ン・モーターズにはどんな車があるかを知らない人が多いということでした。アメリカン・モーターズといえば、たいていの人はランブラーひとつしか思い出しません。
大型車のアンバサダーや中型車のレベルもつくっているのにです。


そして、当時、新しくスポーティーカー---ジャベリンをつくっていました。ですから、最初の問題は、市場におけるアメリカン・モーターズの位置を決めるということでした。つまり、人びとがジャベリンのことを話す時、この車がどんな車かを知った上で話してほしいということです。あの、一見変わったコマーシャルとなってしまった大きな理由のひとつは、ここにあるのです。
私たちは、米国中の人にジャべリンがスポーティーカーであり、首位の車(たまたまそれがムスタングだったのです)と戦っているということを、しっかりとわからせたかったのです。そして私たちは、その首位の車を攻撃するにしても、あまりそれを傷つけないで、しかも私たちに利があるように考えていたのです。


結果は、上々でした。国中に大きな反応が起こしました。とくにデトロイトでは、あんな広告を見たこともやったこともなかったので、少なくとデトロイト市と大手の自動車メーカーは仰天しました。
しかし、これはたくさんの論評やら新聞記事やらを私たちにもたらしました。そして人びとに、アメリカン・モーターズが勇気のある強力な会社だという印象を与えたということも大切な点です。というのは、その頃、アメリカン・モーターズは消えかかっている自動車メーカーという評判だったんですものね。
ですから私たちは、アメリカン・モーターズは戦っているのだというこ人びとにほんとうに信じこませるまで強力にやる必要があったのです。
この会社が、そこでなんとか自分の場所を得ようとして戦っていると言いたかったのです。そして、その意味ではこれは成功したのです。


chuukyuuアメリカン・モーターズというクライアントは、ビック3の下にいて、非常に困難なアカウントだと思いますが、とくにどういう点が問題ですか? またその解決法?」


モス 「私は、アメリカン・モーターズは、考えうる限り、世界でいちばん働きいいアカウントの一つじゃないかと思います。クライアントとの関係からいえば、こんなにやりやすいアカウントなんてほかには絶対ないと思いますよ。
このクライアントは初めから、私たちのような特異体質児にも信じられないほど寛容でした。アメリカン・モーターズの人たちは、私たちのいうことを常に快く聞いてくれました。私たちも、あの人たちのいうことをよく聞いたとも思っていますが。
アメりカン・モーターズの主な問題は、 私の思うに、やっぱり予算でした。この会社は、ゼネラル・モーターズに対抗するために、1,200万ドル程度のものを使ったと思います。正確にはわかりませんが、GMは、 おそらく数億ドルを使っただろうと思います。そして結果は、私たちのコマーシャルは、競争相手のより3倍も強烈な吸引力があり、3倍も忘れられず、3倍も効果的でした。
なぜって、私たちには競争相手のように金にあかせてコマーシャルをぶちまくるほどの予算はありませんでしたから。
また、もう1つの問題は、アメリカン・モーターズのイメージです。このお話をするのは私たちにとってすごく喜ばしいことなんですが、評判はたしかに変わりつつあります。でも、完全にというわけではありません。ですから私たちはも、常に戦っていなければならないのです。そして、私たちの問題解決法は、ベストをつくすということだけです」


>>続く