創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(172)大もの---ジョージ・ロイス氏(4)

Great art director Mr.George Lois


プラット・インスチチュート美術大学)の授業に飽きたらなくなっていたロイス氏に、広告を作る楽しさや、学校を辞めて実務につくことを勧めてくれたのは教師のラッカリー氏だったといいます。
「教師というものは、学校へくるように、そして4年間とどまるようにと強制するのが義務であると考えているはずなのに、ラッカリー先生の態度は信じられないほど常識破りで、才能のある学生を見つけると、学校をやめて社会で仕事をするようにすすめる人だった」と話しました。
で、そのすすめに従って、ロイス氏はいくつかの会社で広告制作の実務を習得していきます。
その一つが、ハーブ・ルバーリン氏のいたサドラー・ヘネシー&ルバーリン広告代理店でした。その後、タイポグラフィの神様と呼ばれることになるハーブ・ルバーリン氏は、やってきたジョージのことをこんなふうに表現しました。
「1957年11月、当時25歳だったジョージが初めて私のオフィスに入ってきた時、私はガンと一撃をくらいました。
彼はポートフォリオ(作品見本)でもって、私をノックアウトしました。このようなタレントは、私自身を含めたこの業界ににおける年寄りたちへの一種の殴りこみであり、慎重に見守られるべきものであることを、私は思い知らされました。
私はジョージを採用して私のアシスタントとし、いつも私の目のとどくように隣の部屋を与えました。
また私は、一生の野心を全うし、私の将来の安全を保証する貧困者用の無料食堂をマジソン街に開くための計画を真剣に考えはじめました」
ルパーリン氏の作品集を日本で出版しているので、ほんとうなら、ここで氏のタイポグラフィの作品のサンプルを示して、それらからロイス氏がどのように吸収しているかを示そうと思い、編・著の作品集を探したら、本棚にないのです。多摩美術大学の講師を定年で辞めるとき、同校の図書館へ寄贈した諸資料の中に『ハーブ・ルバーリン』も入れたようです。まあ、エディトリアル・デザインを担当した松本達氏からでも借りて、いつかお目にかけましょう。
(下にルバーリンのデザインについて追補しました。)
ジョージが、ルバーリン氏から学んだといえる作品例の一つが、次のアレレスト(ALLEREST FOR ALLERGY)の広告でしょう。


君は風邪ひいたんじゃないよ!

オデ、カデダァナアッテ?

君はアレルギーなんだよ!

オデ、アデルギダッテ?


風邪のようにクシャミもします、涙も出ます、鼻もフンフンします、咳も出ます、風邪みたいです。それでもやっぱりアレルレギーなのです。見分ける方法の一つは:もし年に3回かそれ以上も風邪をひくようなら、あなたの風邪はアレルギーの見込み十分.アレレストをお飲みなさい。この新錠剤は、アレルギー性の風邪のくしゃくしゃ目を鎮めます。風邪の薬でこういうふうに効くものはありません。起きぬけにくしゃみが出たらアレレストを。もしあなたが----ハッ、ハッ、ハックション! アレレストです。
(風邪を引くと、普通はしばらくの間、抵抗力ができるはずですから、年の3回以上も風邪を引くようなら、アレレストをお飲みなさい。薬局で説明を聞いてからお飲みください。) 24錠入りで1ドル25セント。




You don't have a cold!

I dode hab a cold?

You have an allergy!
I hab an allergee?

  
It can sneeze like a cold, tear like a cold, sniff like a cold, blow like a cold, feel like a cold---and still be a allergy. One way to tell: if you have 3 or more colds a year, the chances are good your cold is an allergy.+ Take Allerest.
Another way to tell: you have hayfevers in summer, you're probably allergic in winter to dust, or feathers, or dogs, or cats, or wool, or cosmetics. (Sorry, daring.) You sniffle and sneeze like a common cold. Take Allerest.


>>continue


【追補】

ぼくがルバーリン氏を訪問したころには、この巨峰は、自分のアトリエを構えて、広告はほとんどつくらず、もっぱらタイポグラフィとエディトリアル・デザインに専念していた。以下の資料は、松本達さんのオフィスから拝借。


西尾忠久・松本達 編
ハーブ・ルバーリン―未来に挑戦したデザイナー』 (誠文堂新光社 1988.11.10)
じつはこれは復刊版で、初版はこの17年前に編集刊行。


アヴァンギャルド』誌が募集した反戦ポスター。


『マザー&チャイルド』誌のロゴ



『エロス』誌特集ページ。バート・スターンが1962年6月21日に撮影したマリリン・モンローの写真。彼女は撮影1週間後だかに死亡。
バーリン氏をインタヴューしたとき、最初にした質問が『エロス』誌のデザインを引き受けた理由だった。
バーリン氏「ある日、ギンズバーグ編集長が私のオフィスへ入ってきて、新しい雑誌のデザインを引き受けてほしいといい、その雑誌のことを説明しました。米国大審院の『わいせつ』に関する定義のうち、<社会的に重要性のまったないもの>というのに挑戦するのだと。
「デザインを完全にまかせてくれるならやっていい」と答えました。彼はそうするといいました」


>>continue