創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(162)DDBの隠し玉---J・グリン夫人とスタイリング部(上)


これは、38年前の『DDBニュース』(1969.10月号)に載っていた記事を、許可を得て『DDBドキュメント』(誠文堂新光社ブレーン・ブックス 1970.11.10)に翻訳・転載したものです。広告代理店の機能の未来像を暗示する一つ---と38年前に思ったのです。不幸にして、日本の広告界では、この記事は一顧だにされませんでした。あまりに進みすぎていたからだったからかもしれません。

ジョアン・グリンとスタイリング部


その女性は、クールな洗練さと恐ろしいまでの落着きを備えている。彼女は、あの例外的逆説---つまり、女性らしさをつねに失うことがない。しかも同時に有能で経験を積んだ婦人なのである。あるいは、彼女の仲間が付言したように、「職業的機械でもある最も人間的なるもの」といえるだろう。

ジョアン・グリンは、1942年に、マンハッタンビル大学を卒業して以来、この世界に入った。B・アルトマン社での特別訓練を受けた後、シンブリシティ・パターン社で商業スタイリストに、グラマー社の編集者、ついでDDBのプロダクト・スタイリング部門のヘッド兼副社長と、着実に登り続けていた。

グリン夫人と話していれば、だれでも家庭の主婦である面が決して出てこないことに気づくであろう。「時代が変わったのです。家庭に閉じこもってお料理や生け花をしたのは一時代前の奥さまですわ」と彼女はいう。

ジョアン・グリンはものすごく忙しい。プロダクト・スタイリング部のヘッドとして、広告界におけるこの分野の第一人者らしく、彼女には特異でユニークな仕事をすすめている。そのうえ、彼女は、米国の現代の大衆の趣味を高める人であり、独裁者の一人である。たとえば、アメリカン航空のスチュワーデスの服装一式をデザインしたのも彼女であり、これが制服から、コスチューム・デザイナールックの傾向を招来することになったのである。

彼女はいう。「あれが今、私がいちばん誇りに思っている作品なんじゃないかしら。というのは、それが生きているからです。飛行機に乗るたびに私は、あのアイデアが動いているのを見ることができるんですもの。それは、まあいわば、あなたが書いた本がまだ出回っていて話題にのぼっている、そんな本を持っているようなものですわ」

アメリカン航空の女性客室乗務員



「君は、アリスじゃないじゃないか?」


はい、アリスは、このあいだ、お客さまのお一人と結婚したんです。アメリカン航空の女性客室乗務員は、お客様にどんどんさらわれています。それだけ、女性としての魅力が高いのです。


15年前にファッション・ディレクターだったフランセスカ・キルパトリックとそのアシスタントだったジョアン・グリンの2人で始まったこの部は、高度に専門化された21人の女性ばかりが働いている部門にまで成長し、今では、ジョアン・グリンがその責任者である(彼女は、ふざけて「セント・トリニアン女子校を経営するようなもの」といっている)。


この部には何人かの専門化された職能を担当している幹部がいる。メリー・ルー・サリバンは、たとえばDDBの印刷広告のモデル探しを担当している。
ダイアン・カーは、テキスタイルや繊維のエキスパートである。
キャシー・ジョローイッツは、家具やインテリア・デザインのコンサルタントである。
アン・ドリーズは、料理専門家としてすべての食品コマーシャルに関係している。
ローズマリー・フェイは、ファッション・スタイリストのグループを率いている。
アイリーン・ベックマンは、グリン夫人の片腕であり、お気に入りで、多数の新製品コンセプトのデザインと実務を負っている。


DDBがたくさんの分野でパイオニア的創造性を発揮できたのは、私たちの部があったからですわ。ほんと---」とグリン夫人はいう。「この部は、一種の、スタイリングと製品開発アイデアの『シンクタンク』ともいえますね」


しかし、まだ、ある。グリン夫人の仕事の多くは助言することである。たとえばもし、DDBのクライアントが新しいコストの安いストッキングを発表したいと望んだなら、グリン夫人は製品の可能性について助言するだけでなく、可能なマーケティングやパッケージングの助言すらするのである。


また、よくあることだが、グリン夫人は、たとえば、イタリア家具デザイン展などへスタッフの1人を派遣したりする。持ち帰ったスケッチ類---それがスチーマートランクであったとしたら、彼女は新しいホーム・チェスト(注:少女が嫁入りに必要な品を集めて入れておく箱)を思いついたり、宝石箱のアイデアを思いうかべる。そして、それはDDBのどれかのクライアントの手で実用化されるのだ。


>>つづく