創造と環境

コピーライター西尾忠久の1960年代を中心としたアメリカ広告のアーカイブ

(94)いわゆる「DDBルック」を語る(4)

 前DDBクリエイティブ・マネジメント・スーパバイザー
 ポーラ・グリーン
 (1969年退社 グリーン・ドロマッチ社をDDBの隣のビルに設立)


『MC』誌1969年6月号の記事、ご当人の了解をとって拙編DDBドキュメント』 (誠文堂新光社 ブレーンブックス 1970.11.10)に翻訳・掲載したものです。


<<いわゆる「DDBルック」を語る(1)

大観衆の中の一人に話しかけるように


問い「ええ、もちろん、一見して簡単なように見えるものでも、決してそうではないということですよね。
わたしはDDBのコピーに関しても、このことが言えるのではないかと思うのです。まるで軽く書き流したかのような感じを与えますが---、そういうコピーは最も書きにくいコピーなのですよね」


グリーン「なんでも、そういうやり方がいちばんむずかしいのですよ! 観衆の中の一人の人に話しかけるやり方を学び取った大俳優のようなものです。観衆の中のだれか一人を見つけ、その人に演じかける---それがすべての人に演じかけていることになるのです。
でも、自分というものをなくしてしまわなければならないとわたしは思うのです。
というのは、DDBという船の外に広告が投げだされた瞬間、そこには私たちのテクニックの模倣とも思われるような広告、あるいは、らしく見える広告がいっぱいあるのです。でもそれらには、ハートがありません。そしてとても自分を意識しています。『私を見てください』といっているような広告です」


問い「そうです、『見てください、このクレバーなこと!』といわんぱかりです。ある問題につかみかかる段階、あるいはその問題がどんな問題であるかわかり、多かれ少なかれコピーのテーマを発展させた段階では、あなた方はどういうふうにとりかかって行くのですか?」


>(5)に続く

エイビスは、パキブシーで
1位になりました。
そうしたら、もう、
苦情が舞いこんできました。



先日、ニューヨーク州のパキプシーの私たちの仲間が電話をかけてきて、「オレたち、1位になったぜ」といいました。
うぬぼれているなって感じを受けました。
それからというもの、このジャック・ニューマンのことを、気をつけていました。
そしたら、案の定、電球がきれたままにして失敗信号をともしました。ガソリン・タンクを空にしておくことまでやりました。
けれど、成功は彼をダメにしてはいませんでした。
そのサービスはまだ、キビキビしていて、彼が貸すフォードは、買い入れたときと同じぐらいビカビカです(2位のエイビスの連中がやっているように、32,000km以上走った車は使っていません)。
もし、パプシキーの市民から、これ以上苦情が舞いこんでくるようだったら、私たちは、もう少し自己満足の少ない人を採用しなければならないでしょう。
そんなわけだから、ジャック、気をつけることだね。


これまでにアーカイブしたエイビス・キャンペーン
[DDBの広告]エイビス(01) (02) (03)(04)(05) (06)(07)


>(5)に続く