(93)いわゆる「DDBルック」を語る(3)
前DDBクリエイティブ・マネジメント・スーパバイザー
ポーラ・グリーン
(1969年退社 グリーン・ドロマッチ社をDDBの隣のビルに設立)
『MC』誌1969年6月号の記事、ご当人の了解をとって拙編『DDBドキュメント』(誠文堂新光社 ブレーンブックス 1970.11.10)に翻訳・掲載したものです。
いわゆる「DDBルック」はない
問い「ハッキリ言って、広告業界の人たちが語っている、いわゆるドイル・デーン・ルックとかドイル・デーン・フィーリングといったものが特別な広告にありますね」
グリーン「それもいうなら、ドイル・デーン・バーンバックでしょう」
(注:ある広告主がDDBへの依頼を望んで、そこの経営者が「ドイル・デーン」「ドイル・デーン」を連発したとき、苦りきって聞いていたバーンバック氏が、ついにたまりかねて「あなたとうちは、ファースト・ネームで呼び合うほど、までしたしくなっているとはいえませんけれどね」とぶちかましたことを、DDBの全員が知っているのです)。
問い「すみません、ルックというのは適切な言葉ではないと思いますが---」
グリーン「私たちは、ルックというものがあると責めれた時もありましたが、わたしは持ったことがないと思います。
仮に持ったとしたら、それは長い期間のことで、一時期のことではないでしょう。
ご存じのとおり、私たちのアカウントは大きくなってきましたし、私たちも大きくなりました。
(注:このグリーン夫人の発言には、2通りの意味がこめられています。一つは、DDBが広告によってそのクライアントを大きくしていったという自負。も一つは、それによってDDB自体の扱い高(広告代理店の場合は規模を代弁させる)が大きくなって、それにふさわしい大きな広告予算を持った企業がクライアントとなってきた---という意味。日本の広告システムと異なり、1ブランド1社制のほかに、広告代理店の(扱い高)規模によってそれに相対する規模の広告費をもった広告主が依頼します)。
DDBには人がたくさんいます。そしてアカウントの数が増えれば増えるほど、100近いそれぞれ異なったルックが生まれてくるでしょう。そしてそれはとてもすばらしいことだと思います。
公式などは存在しません。商品とその問題に取り組む際の根本的な哲学といえるようなものはあります。
それは、広告の場合、起こりやすいのですが、自分の好きな問題に逃げ込まないということです。その問題はどうも虫が好かない、こっちのほうがずっと見栄えもするし楽だから、こっちのほうがいい---というのではなく、私たちはその商品がどういうものであるか、問題はなんなのか、競争相手とのマーケットにおける立場などを常にアタックします。
そしてひとたび商品の性格、その問題をつかんだら、次にはそれに新しいフィーリングを加味するのです。
中にはそれをみくびる人も出てくるのは、一度それがなされてしまうと、じつに簡単なふうに見えてくるからでしょう」
エイビスは、業界で2位の
レンタカーです。
それなのに、お使いいただきたい、その理由(わけ)は?
私たちは一所懸命にやります。
(だれでも、最高でないときはそうすべきでしょう)。
私たちは、汚れたままの灰皿をがまんできないのです。満タンにしてない燃料タンクも、いかれたワイパーも、洗車してない車も、山欠けタイヤも、調整できないシート、ヒートしないヒーター、霜がとれないデフロスタ…そんな車はお渡しできません。
はっきりいって、私たちが一所懸命にやっているのは、すばらしくなるためです。フォードのスーパー・トルクのような生きのいい新車を、笑顔つきでお渡しするために。そう、ダラスのどこかでおいしいパストラミ・サンドイッチを姪上がるかが計画できるように。
なぜ? って。
私たちは、あなたにそれが当然のことと受けとっていただくことが、まだ、できないからです。
この次、私たちの車をお使いください。
すいていることでもありますし、ね。
(注:ダラスは日本の追分のように、米国中のどこにでもある地名)
注:レイアウトのパワー
エイビス・キャンペーンのアートディレクターに指名されたヘルムート・クローン氏は、実は、もう一つのレイアウト・フォーマットを用意していたことが、C・シャリス編著『クローンの本・クリエイティブ革命』で明かされています。それは---コピーはそっくり同じだが、写真の大きさや位置を変化させたものでした。DDB内部の検討会で、こちらは斬新すぎるという理由で、採用されなかったそうです。
採用されなかったほうのレイアウト。
「レイアウトを語る」ヘルムート・クローン インタヴュー(1)(2)