創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(56)ジョン・ノブル氏とのインタヴュー(了)

   Mr. John Noble
   Vic-President, Copy supervisor Doyle Dane Bernbach Inc.
  (DDB 副社長兼コピースーパバイザー)

いつかチャンスがあったら自分の代理店をつくりたい

Chuukyuu「最後にもう一つ。バーンバックさんにお会いになった時、もっとも強く印象づけられたものは? それはいつ、どこでしたか? 彼はなんといいましたか?
ノブル「ぼくが25歳の時です。すでに経験を積んでいました。ぼくが正しいと確信していたキャンペーンと、それを駄目だいったアカウントたちの一団とともにバーンバックさんのオフィスに入って---ぼくはここに入ってくる人びとの態度が変わったことに気づきましたが、ぼくだけは例外でした---ぼくは生意気な態度を変えず、面接中も2,3ばかげたことを口にしました。バーンバックさんは、仕事用のメガネをかけると、大きな青い目でぼくを見つめていました。ぼくはバーンバックさんなんといったかは忘れてしまいましたが、あの人の青い目は今でもよく覚えています。以来、ぼくはあの人からいろんなことを教わっています」
Chuukyuu「ところであなたは、アメリカの広告のこれからの傾向をどうごらんになっていますか?」
ノブル「きっとこういう手ごわい質問があると思っていましたよ。この仕事で、人びとに自分の作品を読ませたり、聞かせたり、その製品を好きになってもらうことのほかに、どんなことができるか、ぼくにはわかれません。その問題をどのようにするかというのが、あなたがおっしゃっいることになると思うんですが、省かせてもらいます。
しかし、人びとがコピーライターの作品を読むなり聞くなりして、彼は嫌いだけれどもその製品は好きだということになりでもしたら、ぼくはほかの仕事に移ります。」
Chuukyuu「いつかチャンスがあったら、自分自身の代理店を開きたいとお思いですか?」
ノブル「そう思います」
Chuukyuu「なぜですか?」
ノブル「お金の問題ですよ」
Chuukyuu「コピーライターになりたいと思っている若い人への忠告がありましたら、簡単に教えてください」
ノブル「そうですね。『自分がすることを信じなさい。そして、信じているものには忠実でありなさい。そのためには恐れずに戦いなさい。負けてはいけません。あきらめてはいけません』」


ジョン・ノブル氏とのインタビュー
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