創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

03-42 もっとカラフルなアイデアが出せると思うけど


たくさんの幹部コピーライターを育て上げてきたロビンソン夫人は、どうやって教育したかとの質問に、
「まず、練習させることを第一に置きました。私たちはできるだけたくさん彼らに書かせましたし、きびしく教育しました。
DDBの効果的なやり方は、むろんアートディレクターとペアで仕事をさせることでした。こうすれば、二人の間でアイデアの交換が行われるからです。
この代理店ができたばかりのころ、私たちはかなりきびしくスーパバイザー・プログラムを組んでいましたので、彼らは、早く一人前になり、できるだけたくさん書けるようになりなさいと励まされはしましたが、常に注意深く監視もされていたのです。
そして、もはや私が指導しなくても立派にやって行けるほどに成長した時、より未熟なライターのめんどうを見るサブ・スーパバイザーになってもらいました。
私が用いた教育の仕方でよかったと思うのは、みんなに、自分の語法(イディオム)を持つようにきびしくいったことです。
私は、『こんなやり方はだめ、こうしなくては』と教えることは決してやりませんでした。そうすれば、私のスタイルを押売りすることになるからです。
『こうやると、面白くなくなるわよ』とか、『ここがポイントなのよ』とか、『これでは全然通じないわ』…これが私のやり方だったのです。
また、こうもいいました。『もう一度、しっかり核心をつかんでいらっしゃい』、『もっとカラフルなアイデアが出せると思うけど』、『ちゃんと調べた?』
つまり、彼らに、いちばん大切なものが何かを知ってもらい、スジ道を立ててやりながら、しかも私自身のアイデアを示さずに教えたのです。
こういったやり方が、私たちをよりクリエイティブにしたのではないかと思います。
こうやるかわりに、小さなビル・バーンバックや、小フィリス・ロビンソンを流れ作業でつくったとしてもしょうがありませんもの」


と話してくれました。
このロビンソン夫人の発言を、彼女に指導されたパーカー夫人と個人的に接触していた時のいろいろな状態でのさまざまな発言に重ねてみると、DDBの教育法が大体想像できます。
パーカー夫人は、よく気のつく人で、私たち日本人以上に思いやりがあり、どんなに小さなことからでもそれをヒントに相手の心理状態を推察しました。
思うに、DDBのやり方に、部下への思いやりを加えて判断すべきでしょう。




【ひとこと追加】
ロビンソン夫人の自信作TV-CM---ポラロイドの[動物園]のYouTube、tempoさんがhttp://d.hatena.ne.jp/chuukyuu/20070526/1180146524
にリンクしてくださいました。ぜひご覧になってください。