創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(45)DDBのやり方を語る(2)「DDBのアカウント・マン」

DDBアカウント担当重役 ネッド・ドイル Mr. Ned Doyle
(注:1969年に引退)


これは、『DDBニュース』1969年7月号に載ったインタヴューを、ご本人の許可を得て、拙編『DDBドキュメント』(ブレーン・ブックス 1970.11.10)に翻訳・転載したものです。

DDBのアカウント・マン

ドイル「私たちが正しいと思ったときにとる態度…と言いましたが、私たちが独断的だという意味で言ったのではありませんよ。
ここのところは、若いアカウント・マンにしっかりと覚えておいてほしいところです。
『はい、これです。これを採用するなり、われわれから去るなり、ご随意に』
などと言ってはいけません。
私たちはそんなことをしたことはありません。私たちが正しいと思った場合には、私たちは戦いました。でも、もし、クライアントがXなりYなりZの点がよくないからこの広告はだめだといった場合には、それをすぐに引っ込めてきました」
問いDDBのアカウント・マンは、ほかの広告代理店の人とは異なった性格を持たねばならないのですか?」
ドイル「そのとおりです。ほかの代理店からDDBへ転職してきたアカウント・マンを見てきましたが、DDBのやり方を覚えるまで、トラブルにまきこまれやすいですね。
というのは、DDBのアカウント・マンは、ほかの代理店のそれと違って、この会社の広告哲学をうんと詳しく説明するからです。ほかの代理店ではアカウント・マンに『このキャンペーンにOKをとってきてくれ。クライアントが望んでいるものだけを渡してきてくれ』というだけです。
DDBは、そういうやり方には信頼を寄せていません。そしていつかクライアントも結局はDDBの見解を尊重してくれることになるのですよ。
そしてこういったDDBのやり方の結果、アカウント・マンはとてもたくさんの仕事をしなければなりません。彼は自分のいうことをクリエイティブ・マンに信じてもらうためには、クリエイティブ・マンの信頼をかち得なければなりません。彼はその商品とその目的、競争商品などに精通していなければなりません。それから。クリエイティブ・ワークをクライアントのところへ持って行き、そのキャンペーンの背後にある理由づけを説明しなければなりません。
これらすべてをやり遂げるのは、並み大抵の仕事ではありませんからね」
問い「その結果として、多くのアカウント・マンがくたびれきってしまうということになりませんか?」
ドイル「そうは思えません。彼らにとって、それはとてもいい刺激になるのだと思いますよ。というのは、彼らは、完全にDDBの仕事の一部として欠かせない人たちなのですから。彼らは、単に行ったりきたりしているだけではないんですよ」
問い「それなのに、どうして、DDBのアカウント・マンはクリエイティブ・マンのメッセンジャー・ポーイだという考え方を、マジソン街から一掃できないんでしょう?」
ドイル「確かに、みんなそう思っているようですね。でも、それは大きな間違いです。DDBのアカウント・マンは、ほかの広告会社のアカウント・マンよりも多くのことを知り、より多くのことをしなければなりません。そして、ここのアカウント・マンの価値は、ほかのほとんどの広告会社のものよりも高いと思いますよ」
(明日は、このつづきで[DDBのクライアント])。