創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

03-32 ガッカリしてやる気のなくなる環境

こうしたことが創造にどのように関係があるかを、かつてDDBにいたことのあるモス氏が、次のように話してくれました。
「どんなに力倆のある人間だったとしても、自分の作品が通らなかったり、一べつもされなかったり、クライアントのところまで持っていかれなかったり、代理店に理解されなかったりしたら、あなたはとてもガッカリして、もう何もやりたくなくなってしまうでしょう?
私は、いわゆる大代理店にいて、あまりよい仕事をしていないライターやアートディレクターをたくさん見たり聞いたりしています。そして、ジャック・ティンカー社やDDBのような代理店に移ったとたんに、突然花開き、すばらしい仕事をした人をたくさん知っています。
ですから、すぐれた素質を持ったライターが悪い代理店でつぶされてしまうということはあると思います。もっとも、悪いライターは、よい代理店によっても救われないと思っていますが…(笑)」
要するに、創造のためによくない環境の条件の1つとして、制作者の才能を認めようとしないアカウント・エグゼキュティブがあげられているわけです。
しかし、考えてみると、広告の制作という仕事は、純粋芸術の制作と違って、条件づきのクリエイティブ・ワークです。もちろん、ほかのクリエイティブ・ワークも制約を持っています。建築家は施工主からの、工業関係の技術者は企業からの制約をある程度受けます。ですから、広告の仕事だけが条件づき…というわけではありません。けれども、広告のクリエイティブ・ワークは、多くの場合、効果の予測をある程度は数字化できても正確にはできません。
そこに、各人の好み、思惑のはいり込む余地が残されているのです。制作者のセンスと、アカウント・エグゼキュティブの思惑が合わないこともあり、その時にトラブルが起きます。