創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(22) 「あまりにも無秩序な」(1)

             副社長アート・スーパバイザー ビル・トウビン



ビル・トウビン氏は、アート・ディレクターとして、1956年にDDBに入社しました。DDBが小型代理店から中型へと足をかけたころでしょう。
トウビン氏の参加で、ホっと息をついたのは、創設以来、クリエイティブ部門をしょって立っていたボブ・ゲイジ氏だったでしょう。

トウビン氏には、ELALイスラエル航空のアートディレクションがまかされました。1957年春にDDBへやってきたELALは、DDBにとって12番目のアカウントでした。

その年の12月6日付『ニューヨーク・タイムズ』に、50年後の今日でも広告表現の手本の一つとして語られる、海を破った作品が掲載されたのです。

この経緯は、[6分間の道草](11)にあげました。

【訳文】
12月23日を期して、大西洋は20%小さくなります

12月23日に就航するブリストルブリタニア号にご期待ください。
大西洋を横断する最初のジェット機です

ここに掲げたのは、トウビン氏がどこかで語ったスピーチです。タイトルは、冒頭の示した「あまりに無秩序な」


写真における<流行>というものを考えるとき、どんな<流行>といえども、本来の「新しさ」からは、ほど遠い潮流でであると感ぜずにはいられません。<流行>が存在するということ自体、オリジナルな考え方をテクニックにすりかえていることを意味しています。
アービング・ペン(写真家)がソフト・フォーカスな背景をある課題のために「カスタムメイド(特注品)」として使うことによって一つのムードを創りだしました…が、こんなに多数の写真家やアートディレクターが、ソフト・フォーカスな写真を撮ったり指定したりしなければならないというのは、どういうことなんでしよう?
しかも、それらの写真は、彼らのセールスやコミュニケーションの課題を解決したり助けたりするはずんがない場合でさえ、使われているのです。
メッセージがテクニックにふりまわされているとしかいえません。
たぶん、そうしたテクニックは潜在意識的に模倣されているのでしょう。あるいは熟考の上でそうなったのでしょう。でも、結果は表面的なコミュニケーションに終わり、「すげえ写真だったね。たけど何の広告だったっけ?」といわれる広告を制作したことになるのです。
なぜ、こんなにも多くのクリエイティブに人たちがこんなやり方で、<流行>を永続きさせる罪を負う必要があるのでしよう?
たぶん、その人たちはよっぽと強く、「通でありたい」「仲間でいたい」という欲求をもっているのでしよう。その人たちは、だれかが「古い」と気づいた瞬間に自分は葬り去られるのだという恐れや不安の中でせいかつしているのでしょう。そこで「汽車に乗り遅れるな」とーなってしまうのでしーょう。
もちろん、アートディレクターや写真家のすべてが有罪だといっているのではありません。そういう手合いが多すぎるといっているのです。
「それでどこがいけないのかね?」と聞き返してくるアートディレクターもいます。「最も今日風てあることは、スマートだろう? 巨大な若者マーケットにはもってこいのやり方だろう?」と、
真に最も今日風というのは、オリジナルということであって、模倣することではありません。


>>つづく



【訳文大意】
あの最後の2時間、とてつもなく長く感じますね・・・ELALのジェット・ブリタニアでヨーロッパヘどうぞ。2時間節約できます・・・


>>つづく