創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

03-25 会わないで、作品を見て選ぶ

幹部コピーライターであるディロン氏は、DDBでのクリエイティブ部門の人材選別方法を、こう話してくれました。
「ライターでもアートディレクターでも最初はその人個人にインタビューするということはありません。
まず彼の作品をインタビューします。
ということは、応募者に作品を置いて帰ってもらうのです。
そして私たちは彼の作品をよく調べます。
というのは、その人の作品を見ればその人となりがわかると考えるからです。
もちろん机の向こうにライターをすわらせて、その作品の主旨を語ってもらってもいいのですが、その主旨というのが大体お決まりのものばかりですからね。
私たちが人を選ぶ場合は、その人がこれまでにしてきた仕事を見て選びます。
自分はこんなことをしたい…とか、こういう能力がある、とかいった言葉を聞いて選ぶようなことはしません。
ライターを選ぶにはその人の作品を見るにかぎります。
他の代理店では経験を軽視しているという意味ではありませんが」
日本には「文は人なり」という諺があります。
表現されたものに、作者の思想や個性や能力が現れるという意味だと思います。
けれども、広告は小説や芸術作品と違って、幾つかの条件をつけられています。
また、自分一人でつくる場合は少なく、パートナーもいるし、監督者のチェックも受けなければなりません。
DDBに志願するまでにいた会社の環境が悪ければ、当然、その人の個性や能力が完全に発揮された作品は制作できないわけです。
そうした場合に、どうやって能力のある人を見つけるのかを、グリーン女史が、こう話してくれました。
「そこで、私たちが新人を雇うような場合には、今まで本人が自分のアイデアとして、あるいは自分の仕事としてやってみたけれど、それが受け入れられなかった、というようなものがあったらそれを見せなさい、自分では最高だと思うんだけれど受け入れられなかった、というものがあったらそれを見せてください、といって、そういうものを基準にして才能を評価します。
こうすると、やらせてやれば彼にはどんなことができるか、ということの予測ができるものです」
つまり、採用にならなかった作品で審査するわけです。
それも、採用されなかったアイデアを語らす、というのではなく、採用されなかったならそれなりにでき上がった作品を見るわけです。
このへんは日本とアメリカの社会習慣が違うところで、職業学校が普及しているアメリカでは、アートディレクターは別として、コピーライターの場合には、大学の新卒者がストレートに就職できる見込みはゼロに近く、モス氏の例のように、とりあえず養成コースにはいって試作品をつくるわけです。
もちろん、クリエイティブ部門以外では、新卒者を採用するのでしょうが、そこのところは残念ながらまだ調べていません。