創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

02-20 『VW(フォルクスワーゲン)に乗ってアメリカを見ようよ』

クローン氏はまず、彼がVWを担当することになった理由を、当時(1959年)のDDBにおいて、VWについて何か知っているただ一人の人間であったからだと話します。
クローン氏は、アメリカに最初にはいってきたVWを持っていたことがあったのだそうです。
「多分、最初の100台のうちの1台だった」といいますから、DDBに入社する以前の、1950年ごろのことではないかと推測できます(注:VWは1949年に、アメリカに二台のVWを輸出している)。
クローン氏についていえば、「ニューヨークっ子ですがドイツ育ちなんですよ」と本人がいっているように、ドイツ系のアメリカ人です。
これが、VWを買わせた理由かもしれません。
「人間がどんなに悪くなれるものか、私がどんなに誤りに陥りやすい人間であるかを示そうとしているかのように、私はVWのキャンペーンに立ち向かったのです。
私は、あの不格好で小さな車を、できるだけ早くアメリカ的にすることだと思いました。
ダイナ・ショアを使うかな…と思ったのです。
彼女がよく歌っていた歌はどんなのでしたっけ?
『シボレーに乗ってアメリカを見ようよ』でしたか?
私は『VWに乗ってアメリカを見ようよ』というのをやりたかった。
車の回りにモデルを何人か配し、テレビで派手に…」
しかし、そうはしないで、アメリカのそれまでの広告そのものにまで影響を与えてしまうほど、印象深いキャンペーンをつくるようになってしまったことについて、クローン氏はこういいます。
VWのアイデアには、別に新しいものはなかったんです。
ただバーンバック氏が、簡潔で明確な語りを持つ全体のコンセプト、それに彼独特の魅力をそこに加えたということです。
多分、その時よりも八年ぐらい前のことだったと思いますが、バーンバック氏は、フェアモントいちごの広告をやったことがあるのです。
彼は、大きなページのまん中にいちごを置いて見せました。
それも一個だけ、実物大のを…。
見出しは『これを切り刻むなんて、かわいそうなことのように思えました』。
これは、マーケットで、ただ冷凍いちごを売るための広告でした。
要点は、いちごをそのまま保つためには、いちごは完全なものでなければならない、というところにあったのです。
VWは、彼がずっと昔にやった広告と、少しの違いもありません。
唯一の違いといえば、それを車に適用したこと」



関連記事:
>>「レイアウトを語る」ヘルムート・クローン インタヴュー(その1)
>>「レイアウトを語る」ヘルムート・クローン インタヴュー(その2)
>>「レイアウトを語る」ヘルムート・クローン インタヴュー(その3了)