創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(7)『みごとなコピーライター』まえがき

『みごとなコピーライター』(誠文堂新光社 1969.7.15)に付した[まえがき]です。

独白
こんな形の「広告創造論」が日本で読んでもらえるかどうか、私には、答えることがまったくできない。
この本の出版を引きうけてくださった誠文堂新光社には悪いけれど、多分、この本は日本ではあんまり売れないであろう。
日本人は、対話形が好きでないし、どんなに重大な思想がそこに語られていても、それが対話形であるというだけで軽く見る傾向がある。
序論、第1章、第2章…と、系統だったように見える本のほうが、ありがたがられる。
しかし、ソクラテスも対話の形で書き残されているし、「論語」も、まあ言ってみれば孔子と弟子たちとの対話集だ。
だからと言って、この本がソクラテス論語に匹敵すると言いたいのではない。対話の形でしか記録できない内容のものもある…と言いたいだけのことだ。
(付注:対話の名人・司馬遼太郎さんはこのころ未登場だった)。
そう、対話の形でしか記録できなかった。今日のアメリカの第一級コピーライターの考え方をさぐり、それによって、これからの日本の広告のあり方に思いをめぐらすには…。
彼らは、目がまわるほど多忙なのだ。
人によっては、対話を中途で切りあげ、後日もう一度訪問して質問したこもあったほどである。
しかし、この本が仮に対話形をとらなかったとしても、やっぱり、この本は日本ではあんまり読まれないであろう。
日本の広告界には、東は東…的な、あきらめに似た考え方がひろがっているからである。
たしかに、東は東…かも知れない。が、イギリスやフランス、カナダやスウェーデンの心ある広告人たちが、いま、DDBやウェルズ・リッチ・グリーン社に注目し、吸収しようとしている事実を、どう説明すればいいのか?
それをも東は東さ…と言いきるわけにはいかないのではあるまいか?
この本に、英文をつけたのは、別に私のペダンチシズムではない。イギリスや西ドイツ、オーストラリアやスウェーデンの広告人たちが、どう読むかを知りたいからである。いや、それ以上に、アメリカでどう受取られるか、試してみたかった。

それは、私がこれまで書いた本…『VWの広告キャンペーン』がVW本社でドイツ語に訳されてノルトホフ前社長に読まれ、『ボルボ』がスウェーデン語に訳されてエンゲロウ社長に読まれ、『繁栄を確約する広告代理店--DDB』をバーンバック会長が日系の秘書に命じて英訳させた…などのニュースを耳にした時以来、私の心をとらえて放さなかったプランであった。
そして、スウェーデンで『DDBの本の英語版はないのか』と念を押された時に、次は英文つきを…と心に決め、この本に登場する人々に「英文もつくんだろう?」と言われた時は、ためらうことなく「もちろん!」と答えた。
考えようによっては、英文版をつけるとすれば、この本は、最も適している。彼らとの対話はすべて英語でやられたのだから。
(私の唯一の心配は、英文をつけることによって、本の定価が上がることである。ますます売れにくくなるのは、まあいいとして、買ってくださる少数の読者に、余分の負担をかけることになることを恐れる。
しかし、いつの日か、その人たちもニューヨークやロンドンを訪ね、彼らと話し合うこともあろう。その時の手引書とでも思ってあきらめていただこう)。
英文をつける…これはたいへんな作業になった。テープから文章化し、それを12人に送って校閲を求めた。
彼らのほとんどは、大幅な加筆、削除をしてきた。
それによって、自由奔放な語り口のおもしろさがやや減じた場合もあった。
私は、日本文にあって英文にはなし…を決行することにした。つまり、あまり読まれないであろう日本文の部分にいちばんおもしろさを残しえたのは、皮肉といえば皮肉である。
そうしたトリックはあっても、この本は、充分にユニークな存在であることを主張していいと、私は、思う。
なぜユニークかというと、何がいわれたかよりも、誰がいったかを重視しているからである。(後略)
1969年1月2日