創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

02-06ロビンソン夫人が語るペア・チーム

DDBのクリエイティブ・ワークがペア・チームで進められていることは、今や常識です。
しかし、それは、自然に常識になったのではありません。多くの人がDDBに関心を持ち、質問し、彼らが答えたからです。次のロビンソン夫人の講演がそれを語っています。

DDBが設立されてまだ日が浅かったころ、外部の人々は、DDBの内部に強い関心を持っていました。どうやっているのかって…。そこで私たちは説明しました。ビル(注・バーンバック氏の愛称)もお話ししました。何回も何回も…。

そして、わかってもらいました。それで、何が起きたかですって?どの代理店も、自社のコピーライターを自社のアートディレクターに紹介しました。同じ屋根の下で仕事をしながら、彼らはそれまで、お互いの顔さえ知らなかったのです。
彼らの仕事ぶりときたら、こうだったのです。
ライターは、できあがったコピーを、デパートなどでよく見かける気送管の中に放り込むだけでよかったのです。放り込まれた原稿は、『レイアウト』してもらうために、管の中をアートディレクターのところまで行けばよかったのです。

そういうわけですから、同じ代理店で働きながら、改めて紹介する必要があったというわけ。そして、彼らにペアで仕事をするという自由を与えたわけです。

こうした代理店の上役は、つくれ、行動せよ、創造せよ、ルールを破れと号令をかけました。
その後、どうなったかご存じでしょう?すごく優秀なスタッフがたくさん飛び出てきました。中にはお世辞にも優秀といえない人もいましたが…。とにかくこうする人がたくさんいたのは事実です。

みんながいいました。『これだ』って。自由。自由こそ彼らが求めていたものです。
でも、ご存じですか?自由だけが彼らが求めていたすべてを与えてくれるものではないってことを。

自由とは、環境の面からいえることなのです」(注・1967年、NY広告ライターズ協会での講演)

ロビンソン夫人はこのあと、ペア・チームの相互尊敬のあり方について語りつないでいますが、この問題は、別の項で取り上げることにします。