創造と環境

コピーライター西尾忠久の1960年代を中心としたアメリカ広告のアーカイブ

Interview with Mr. Jack Dillon (1)

(Vice-President, Copy Supervisor, Doyle Dane Bernbach Inc.)

chuukyuu What made you pursue the career of copywriter?


Mr. Dillon When I got out of the Navy after World War ?, I wanted to writer fiction but had not been very successful at it. I happened to look up an old girl friend, just to say, " Hello." I told her I was interested in writing and she got me a job as her boss at General Electric, where I started as an editor of technical manuals.


chuukyuu Will you tell me your career history before came to Doyle Dane Bernbach? 


Mr. Dillon I was with General Electric for three years as an editor and sales promotion writer. I went to Syracuse for about a year and worked as a writer and production man for the Porter-Cable Machine Tool Company. Then I started with Fuller, Smith & Ross in 1950. I was with Fuller, Smith for ten and half years as copywriter and account executive. The last five years, however, were spent mainly writing copy.


chuukyuu What was the size and billing of DDB at the time?


Mr. Dillon I don't remember. That was in 1961. I think there were about 30 writers, but that's about all I remember in terms of size.


chuukyuu What kind of training did you get then?


Mr. Dillon I didn't get any training here in the formal sense. I was hired as an experienced writer and I started working.
Even so, working for people like Bill Bernbach and David Reider is a kind of training in itself. There's no formula here. You do ads the way that you do them best.


chuukyuu Would you tell me about the commercial of Cerebral Palsy?


Mr. Dillon The Cerebral Palsy came to us last year about this time and wanted a campaign for 1969. Their drive usually begins in December or January.
In the past, they had done the usual sort of charity advertising. They had happy slogan---"Happiness is helping"---and they preferred to little children smiling and hobbling about, obviously getting better. The theory way all well and good. People wanted to believe their money was getting some results. We did not agree with this sort of approach. We felt, in the first place, that when a charity is advertising, it has pretty stiff-competition. People will only give to so many charities. And there are a lot of charities that are closer to most homes than Cerebral Palsy.


The blind, the heart association, cancer and sort of thing. We also felt that Palsy was pretty unknown. People got it confused with muscular dystrophy and multiple sclerosis.
We felt we had to do two jobs. One, we had to find a way to let people know what this was, and two, we had to dramatize it.
What we did is quite different from anything the Celebral Palsy had done before. This commercial just concerns a telephone call from a young man to his mother. He's trying to explain that his baby was born with Celebral palsy. His mother does not understand. She’s sure that this is a sign of insanity or something. You only hear the man's side of the story. It's clear that his mother still doesn't understand. At the end, the young man sees another man waiting to use the phone. The young man just say, "Have a cigar. I just had a baby." And he walks away. I think we'll probably get more attention for Celebral Palsy this way than with smiling children.


There was a liberty we took with commercial. Generally cerebral palsy can't be diagnosed at the time of birth. We did take that liberty as dramatic license, sort of the way cowboys always seem to have more than six bullets in their six-guns.


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(121)ジャック・ディロン氏とのインタヴュー(1)

     (DDB,副社長兼コピー・スーパバイザー)


DDBがコピーライター1人入用---と広告したら、なんと、2,000人の応募者が殺到するという。ディロン氏も2,000人の中の一人として応募し、採用された。以来、ずっと8年間もDDBで働いてきている。しかし、ズブの素人ではなかったので、早くからスーパパイザーとして責任をもたされてきた。氏のDDB観には熱っぽさはないが、透徹した評価と、冷静な判断がうかがえておもしろい。

小説家志望からコピーライターに


chuukyuuDDBに入社された前後のことをお聞きしたいのですが、コピーライターになられたいきさつは?」


ディロン「第2次大戦が終わって海軍を除隊した時には、小説家になれたらなと思っていました。それまでは小説を書いてはいましたが、これといった傑作はありませんでした。
ある日、あいさつをしに、昔からの女友だちのところを訪ねたんですが、ゼネラル・エレクトリックの人で、結局私はそこで技術手引書の編集員の仲間入りすることになりました」


chuukyuuDDBにお入りになるまでのキャリアは?」


ディロン「技術手引書編集員兼セールスプロモーション・ライターとして、G.E.社で3年間働いて、それからセラキューズへ行き、そこでは約1年間をライター兼プロダクションマンとしてすごしました。
1950年からは、フラー・スミス&ロス(広告代理店)でコピーライター兼アカウントマンとして10年半をすごしました。最後の5年間はほとんどコピーばかり書いていましたよ」


chuukyuu「入社された時のDDBの規模をはどれほどでしたか?」


ディロン「そう、1960年---ちょっと思いだせないな。たしか、コピーライター30人ばかりいたけれど---それしか思い出せません」
(chuukyuu:注 オーバックス、ポラロイドなんかはすでに来ていて、VWやフランス政府観光局が1959年、女性用ワーナー・プラやオリン化学会社が1960年)


chuukyuu「入社なさった時、なにか教育をお受けになりましたか?」


ディロン「正式の教育は受けませんでした。経験のあるコピーライターとして入社し、すぐ仕事を始めました。でも、ビル・バーンバックさんやデヴィッド・ライダーさんのような人の下で働くことは、それ自体が教育といえます。ここには公式はありません。みんな、その能力を最も発揮できる方法で広告をつくっているのです」

おきまりの慈善広告の型を破った脳性小児麻痺キャンペーン


chuukyuu「おつくりになった広告で、お好きなのは?」


ディロン「脳性小児麻痺のためのテレビのコマーシャルです。
この協会は1967年にDDBにやってきて、1969年の募金訴求のコマーシャルを依頼されたのです。1968年の暮れ12月か、1969年の1月ごろから放送が開始される予定になっています。
このクライアントは、これまでいわゆる慈善広告というおきまりの広告しかやっていませんでした。幸福めいたスローガンをかかげて、小さな子どもたちが遊びまわっている姿を出して快方に向かっている様子を示したものでした。
このネライの背後にあるのは、すべてのものが健康でうまくいくと思わせる程度のものです。
人びとは、自分たちのお金がある程度結果になって出てくると信じたいようでした。
ところが、私たちは、まず、慈善を広告する場合には、手ごわい競争相手がいると考えたのです。人びとはたくさんの慈善団体に興味をもっており、脳性小児麻痺なんかよりもっと身近な慈善団体がたくさんあるわけです。全米対ガン協会とか、心臓麻痺の会とか。
それに脳性小児麻痺の実態は人びとにあまり知られていなくて、筋ジストロフィとかと混同されているのではないかと考えたんです。そして結局、私たちは2つの仕事をやってのける必要があるという結論に達しました。
一つは、人びとに脳性小児麻痺とはどんな病気なのかを教えること、そして、もう一つは、それをドラマタイズすることです。
できあがったものは、脳性小児麻痺協会がこれまでつくったことのないようなキャンペーンでした。
産院の公衆電話から若い男性が母親へ電話で、生まれた赤ん坊が脳性小児麻痺だということを説明しようとしているものです。
ところが、母親は、それが理解できずに何か精神異常といったようなものだと考えます。
視聴者には男の声しか聞こえません。
話しかけは約1分間、ほとんど終わりまで続いて、最終場面は、次に電話をかけようとして電話ボックスの外で待っている男に「葉巻をどうぞ。男の子が生まれたんですよ」とすすめて終わります。
私たちは、このキャンペーンのほうが人びとの関心を脳性小児麻痺にもっと引きつけることができると思います。こういった表現の仕方をすれば、まず視聴者の興味を引くことができ、少なくともそれがどういった病気であるかわかってもらえると思います。
このコマーシャルには、ひとつの特権を利用しました。脳性小児麻痺は、子どもが生まれた時にはわからないということです。これをうまくつかいこなしたと思います」

脳性小児麻痺協会の「葉巻をどうぞ」のコマーシャル
Telvision commercial for Cerebral Palsy "Have a cigar."


産院病棟で公衆電話をかける男A「おかあさん、生まれたよ。
五体満足、バカでもないし気狂いでもない。
だけど---普通じゃないんだ。どっかがおかしいんだ。
脳に障害があるんだ---その、ある部分が---脳性小児麻痺っていわれたよ。
訓練すればよくなるかも知れないが---、
誰も悪いんじゃないよ。
誰のせいでもないんだ。
きょうはヘレンに会わないほうがいいと思うよ。
それがいちばんいいんだ、いまは---」
電話を終えると、ボックスの前で次を待っている男Bに、
「男の子が生まれたんです」
と、胸ポケットに用意していた葉巻を、
「葉巻はいかが」
とすすめる。
電話ボックス内の声が聞こえなかった男Bは「おめでとう」とばかりに受け取る。
男Aは、足早に産院の出口でシガレットに火をつける。
アナ「みんなで力を合わせて助けてあげましょう。脳性小児麻痺協会があなたからの寄付をお待ちしています」


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【chuukyuu注:】
欧米では、子どもが生まれると葉巻を配る習慣がある。
初めて父親になる男Aも、葉巻を用意して産院で誕生を待っていた。
無事、誕生---が---、悲痛さを隠して葉巻をすすめる。
自分は吸う気分にはなれない。

公共広告には、媒体側が紙面や時間を提供し、広告代理店側はクリエイティブ・スタッフが志願して制作、広告主側は紙型やフィルムの焼き増しを受け持つ制度が長くつづいているものがある。
無料奉仕を受ける側は、全米対ガン協会や山火事防止協会など数100の団体。

この小児麻痺協会はその中に入っていて、DDBがコマーシャルを志願した。


DDBのみごとなコピーライターたちとの単独インタヴュー(既掲出分)
デビッド・ライダー氏とのインタヴュー
(1)(2)

ロバート・レブンソン氏とのインタヴュー
(1)(2)(3)(追補)
ロン・ローゼンフェルド氏とのインタビュー
(1)(2)(3)(4)(5)(了)
フィリス・ロビンソン夫人とのインタヴュー
(1)(2)(3)(4)(5)(6)
ジョン・ノブル氏とのインタヴュー
(1)(2)(3)(4)(了)
ポーラ・グリーン夫人とのインタヴュー
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(了)
スタンレイ・リー氏とのインタヴュー
(1)(2)(3)(了)