創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(2)VWビートルの4人のアートディレクター


1949年に全米で売れたVWフォルクスワーゲン)ビートルは2台だったが、DDBが広告キャンペーンを引き受けた1959年には、それまで「広告の助けをあまり借りないで」12万台に達していたと、米国VW社C.H.ハン総支配人は語っている。
もちろん、DDBが創造したVWビートルの広告の偉大な貢献をいうための前置きとしてだが。

DDBによるVWビートルのキャンペーンは1959年から17年間つづいた。
その間に、DDBのクリエイティブ・スタッフでこのキャンペーンづくりに参加した人数は、100人をくだるまい。
しかし、対外的に名前が知られているのは20人ほど。うち半分は、アートディレクター。



当初、エディトリアル誌面スタイルと呼ばれる視覚的フォーマットをつくったのは、もちろん、ヘルムート・クローン氏である。
この人の来歴と性格を反映しているのか、几帳面でどことなく冷静な香りがする。

そうそう、VWビートルの雑誌広告は、原則として白黒…質素で、正直で、家計のことを考えた車、というイメージを、誌面からも匂わせたいためだった。
だから、よほどの必然性がないと、カラー広告は出さなかった。

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